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2018年9月26日水曜日

(1371)  (26) 正岡子規『歌よみに与ふる書』 / 「明治の50冊」

 
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(K0512)  デイサービス「お迎えです」はやめてくれ(シルバー川柳) <その他>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/09/k0512.html
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1.   「歌よみに与ふる書」とはどんな本か

1.1.  短歌の改革の狼煙
1.2.  すでに病床での生活を強いられていた
 

2.   子規は何をどう評価したか

2.1.  くだらないとしたもの
2.2.  絶賛したもの
 

3.   写実性を武器に短歌感の転換を迫った
 

4.   子規はどのように評価されたか

4.1.  批判された
4.2.  収穫も大きかった
 


【展開】
 
1.   「歌よみに与ふる書」とはどんな本か
 
1.1.  短歌の改革の狼煙
===== 引用はじめ
 美術のスケッチを手本にした「写生」を説いて俳句革新を推し進めた正岡子規は、やがて短歌の改革にも乗り出す。 … 『歌よみに与ふる書』はその狼煙(のろし)だった
===== 引用おわり
 
1.2.  すでに病床での生活を強いられていた
===== 引用はじめ
 発表当時、子規は30歳。すでに脊椎カリエスと診断され、病床での生活を強いられていた。
 病に苦しみながら35年の短い生涯を駆け抜けた文豪の衝撃的な歌論は、大衆短歌への道を切りひらく。
===== 引用おわり
 


2.   子規は何をどう評価したか

2.1.  くだらないとしたもの
===== 引用はじめ
 当時、歌の聖典とあがめられていた平安期の勅撰和歌集『古今集』の歌を、駄洒落(だじゃれ)や理屈っぽいものが多いとこき下ろし〈これを真似(まね)るをのみ芸とする後世の奴こそ気の知れぬ奴〉と歌壇の主流派を批判した。
===== 引用おわり
 
2.2.  絶賛したもの
===== 引用はじめ
 一方、現存する日本最古の歌集『万葉集』や源実朝らの雄々しく、迫りくるような調べを持つ歌を絶賛。〈歌は感情を述ぶる〉として〈実景〉〈真心〉といった言葉を連ねた。
===== 引用おわり
 


3.   写実性を武器に短歌感の転換を迫った

===== 引用はじめ
 俳句革新のときと同様、写実性を武器に短歌観の転換を迫ったのだ。
 形を重んじ技巧や理屈をこねくり回すことで権威を誇った旧派歌人への疑問が子規にはあった。目を向けたのが、素直な表現を使い、人間の心の叫びやたくましさも宿す『万葉集』の精神だった
===== 引用おわり
 


4.   子規はどのように評価されたか
 
4.1.  批判された
===== 引用はじめ
 子規は親友の夏目漱石に書簡で打ち明けている。〈歌につきてハ内外共に敵にて候。外の敵ハ面白く候へども内の敵にハ閉口致(いたし)候。内の敵とは新聞社の先輩その他交際ある先輩の小言(こごと)ニ有之候。 … >
===== 引用おわり
 
4.2.  収穫も大きかった
===== 引用はじめ
 もちろん収穫も大きかった。発表後、子規門下には賛同する若い才能が集う。
 子規の論が「伝統的に上流階級のものだった短歌が大衆に開かれる」起爆剤になった。
 その先に、口語や外来語を自在に使う現在の短歌も見えてくる。
===== 引用おわり
 


【プロフィル】正岡子規(まさおか・しき)
 慶応3(1867)年、現在の松山市に生まれる。本名・常規(つねのり)。東大国文科中退。日本新聞社へ入社し、新聞「日本」紙上で俳句の革新運動を展開。短歌革新や写生文の提唱にも力を注いだ。脊椎カリエスによる病床生活の末、明治35(1902)年に死去。著書に『獺祭書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)』『病牀(びょうしょう)六尺』など。
 
 
<引用>

正岡子規『歌よみに与ふる書』 心の叫び重視、大衆短歌に道
【明治の50冊】(25) 産経新聞(2018/09/17)
 
(26)正岡子規『歌よみに与ふる書』 心の叫びと実景、大衆短歌に道
https://www.sankei.com/life/news/180827/lif1808270021-n1.html
写真は、このサイトからの転載。


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