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=====(K0155) 個人Blog 9月下旬リスト <サイト紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k0155-blog.html
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ボランティアについて、気になっていることを四つ挙げる。
(1) 道具としてボランティアを利用してはいけない。「道具とされたボランティア(人・組織)」は崩壊する
(2) ボランティアには責任が伴う。「責任が無いあるいは軽い」と思っているなら、それはボランティアとはいえない
(3) ボランティアは、性善説により成り立つ。性悪説でボランティアに接することは、「(性善説の)ボランティア」を全否定することである
(4) 「やってもらって当たり前」と思う人には、ボランティアはすべきでない
【各論】
(1) 道具としてボランティアを利用してはいけない。「道具とされたボランティア(人・組織)」は崩壊する
===== 引用はじめ
「サービスB類型」に要注意:地域福祉との争点
1. 「サービスB」は、そもそもサービスではない
2. 「安易なサービスB」は「ボランティアの資源化につながる」
= ボランタリーアクションの衰退 = 地域力の低下
3. 80年代の住民活動の逆コースか?:
「制度外」のもつ力を生かすか、制度に取り込むか?↓
B型モデルとしての、川崎市のVoグループ「すずの会」の「すずの家の要件」
===== 引用おわり
藤井博志(関西学院大学)、みんなで支え合って生きるまちへ - 介護保険改正と地域福祉(住民参画) -、講演会(主催:神戸の地域福祉を考える会)(2017/10/01)資料より
解説しようとすると長くなり、また、間違ってはいけない。講演会資料の提示に留める。
ご参考
有償・無償のボランティア等により提供される、住民主体による支援
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12301000-Roukenkyoku-Soumuka/0000052668.pdf
http://nihonhelper.sharepoint.com/Documents/kaigo_guideline_2.pdf
「すずの会」
http://suzunokai.com/?page_id=241http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12301000-Roukenkyoku-Soumuka/suzunokai.pdf
(2) ボランティアには責任が伴う。「責任が無いあるいは軽い」と思っているなら、それはボランティアとはいえない
そのボランティアを引き受けるかどうかは、自由である。しかし、いったん引き受けたら、引き受けた内容を遂行する責任がある。「無償だから責任を負わなくてよい」ではないし、「薄謝なので責任が軽い」でもない。
(3) ボランティアは、性善説により成り立つ。性悪説でボランティアに接することは、「(性善説の)ボランティア」を全否定することである
ボランティアに補助・助成を支給するとき、ボランティアが悪事をはたらかないように、がんじがらめに規則を決めているように感じる。「補助」せず「助成」せず「邪魔」している。がんじがらめに規則を決めるべきは例えば「政務活動費」であって、ボランティアを政治家より疑うのは、ボランティアに対してはなはだ非礼である。
(4) 「やってもらって当たり前」と思う人には、ボランティアはすべきでない
「できる限りのことは自分でして、どうしてもできないことは助けてもらう」というのは、その人の尊厳にかかわることである。助けてもらうと、自ずと感謝の念がでる。「やってもらって当たり前」は、その尊厳を損なっている状態であり、そこにボランティアをすると尊厳の喪失を助長する。ボランティア対象にしてはいけない。
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