◆ 最新投稿情報
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(K0517) 保険外リハビリ <体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/09/k0517.html
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1.
『福翁自伝』は、福沢諭吉の自伝である
1.1. 口述筆記させたものである1.2. 小林秀雄の評価
2.
福澤諭吉はどんな人だったのか
2.1. 近代日本の啓蒙思想家2.2. 功なり名挙げた存在
3.
物質文明ではない部分
3.1. 風俗や政治・社会制度3.2. 近代的社会の構築、自立した個人の確立
4.
「一身独立して一国独立する」
4.1. 一国独立する4.2. 一身独立する
5.
現在へのヒント
【展開】
1. 『福翁自伝』は、福沢諭吉の自伝である
1.1. 口述筆記させたものである
===== 引用はじめ
福澤諭吉が晩年に自らの生涯を口述筆記させた … 自伝文学の傑作として今も読み継がれている。
…
その波瀾(はらん)万丈の生涯を、ユーモアを織り交ぜた洒脱(しゃだつ)な口調で語っていく。
===== 引用おわり
1.2. 小林秀雄の評価
===== 引用はじめ昭和の批評家、小林秀雄は「強い己れを持ちながら、己れを現わさんとする虚栄が、まるでない」と評し、「日本人が書いた自伝中の傑作」と絶賛した(『考えるヒント』)。
===== 引用おわり
2.
福澤諭吉はどんな人だったのか
2.1. 近代日本の啓蒙思想家
===== 引用はじめ
近代日本を代表する啓蒙(けいもう)思想家、 ‥‥ 封建社会から近代国家に向かう激動期を思想的にリードした
===== 引用おわり
2.2. 功なり名挙げた存在
===== 引用はじめ
幕末以来の著述活動はもとより、慶応義塾の創設や高級紙「時事新報」の創刊など、教育者や経営者としても功成り名遂げた存在だった。
===== 引用おわり
3.
物質文明ではない部分
3.1. 風俗や政治・社会制度
===== 引用はじめ
英学を猛勉強して米国へ渡る。米側が案内したメッキ工場や電信などの科学技術については既に輸入書で学んだ通りで驚かなかったが、女性尊重などの風俗や政治・社会制度の違いには仰天した。
===== 引用おわり
3.2. 近代的社会の構築、自立した個人の確立
===== 引用はじめ
日本が封建社会から文明国となる際、工場や軍艦といった科学技術の移入よりもずっと難しいのは近代的社会の構築であり、それを市民として支える自立した個人の確立である-
===== 引用おわり
4.
「一身独立して一国独立する」
===== 引用はじめ。「一身独立して一国独立す」と説いた希代の啓蒙家、福澤がいかにして誕生したか。その一部始終を、よくできた小説のような味わいで読み進められる。
===== 引用おわり
4.1. 一国独立する
===== 引用はじめ
明治28年の日清戦争の勝利で、「一国の独立」はひとまず達成をみた。だがプロイセンを範とした官尊民卑の明治国家が完成するこの時期、人民の国家への依存は次第に高まりつつあった。
===== 引用おわり
4.2. 一身独立する
===== 引用はじめ
「本書と対になる存在といえる『修業立志編』をはじめ、日清戦争後の福澤の著作はすべて『一身の独立』に関する内容。個人の独立を基盤にしない国家の独立の脆弱(ぜいじゃく)性について、福澤は不安を抱いていた」
===== 引用おわり
5. 現在へのヒント
===== 引用はじめ
現在も、所属集団の「空気」に従う形で、非合理的判断や違法行為へと流されてしまう組織人は後を絶たない。合理的思考を保ち、理非曲直の判断を空気に委ねない「強い己れ」を、日本社会の中でいかに確立していくべきか。刊行から100年以上たってなお、『福翁自伝』はわれわれに大きなヒントを与えてくれる。
===== 引用おわり
【プロフィル】福澤諭吉(ふくざわ・ゆきち)
天保5年12月(1835年1月)、豊前国(現大分県)中津藩士の家に生まれる。安政5(58)年、江戸で蘭学塾を開く(後の慶応義塾)。英語を独習し、幕府の外国奉行翻訳方を務める。維新後は新政府への出仕を拒み、在野で教育や言論活動に注力。『学問のすゝめ』『文明論之概略』など多数の啓蒙書を著した。明治34(1901)年、死去。
<引用>
正福澤諭吉『福翁自伝』 希代の啓蒙家誕生の軌跡【明治の50冊】(27) 産経新聞(2018/09/17)
(27)福澤諭吉『福翁自伝』 希代の啓蒙家誕生の軌跡
https://www.sankei.com/life/news/180903/lif1809030006-n1.html
写真は、このサイトからの転載。
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