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(K0495) そもそも見守りとは何か <見守り>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/09/k0495.html
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『半分、青い。』は、「強度」を求めるが「物語」に決着をつけられなくなった社会を映す鏡のようだ。
(1) ドラゴンボール
戦闘シーンが次々に繰り出され、どんどんエスカレートして「強度」を高めてゆく。読者は興奮し、マンガは人気を博したが、最後まで「物語」を構成することはなかった。最終回を迎えた理由は作者の疲弊以外の何物でもなく、物語自体の内在的な理由ではなかった。(2) モリカケ
いわゆるモリカケ問題や公文書改竄事件でも刺激的な情報が立て続けに報道されて大騒ぎになったが結局、出来事の全体像は明らかにならず、確かな決着に至ったわけでもなかった。
(3) 半分、青い。
漫画家になる夢が破れた主人公が新しい恋愛に夢中になり、あっという間に結婚し、すぐ妊娠出産したかと思えば離婚する。 … 早い展開についてゆくのに必死となっているが、ふと気づくと何の物語なのか全体像が掴めない(『ひよっこ』は高度成長期の家族を描く確かな手応えがあった)。
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次々により強い刺激を求めるうちにそれ自体が自己目的化してしまい、出来事を歴史の中に位置づけて評価を下すことが疎かになっている。いつしか日本社会はそんな傾向を示すようになったのではないか。
<出典>
武田徹、決着できない社会映す鏡 高視聴率の『半分、青い。』【複眼鏡】 産経新聞(2018/08/20)
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