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2018年4月16日月曜日

(1208)  「永遠のブッダ」が示すもの/ 『法華経』(3-2) / 100分de名著

 
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(K0349)  ある老健の試み(下) <自立>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/04/k0349.html
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第3回  「永遠のブッダ」が示すもの
16日放送/18日再放送

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25

 

 前回からの続き。このFacebook(Blog)では、

D)   15章では、「釈迦が、四十数年間でどうやってこれだけの菩薩を強化したか」から始まり、仏とは・ブッダとは・菩薩とは・涅槃とは、といったテーマを深めている<(8)(12)

を説明していく。
 
 

   仏とは …さまざまな仏を釈尊に統一する

===== 引用はじめ
 釈尊の滅後、多くの如来や菩薩が考え出されるようになりました。弥勒菩薩をはじめ、イランなどの外来の神格が仏・菩薩として仏教に取り込まれることもありました。 … しかし、それらはいずれも、人間が考え出した架空の仏・菩薩です。歴史上実在した人物としてのブッダは釈尊だけです。そこで、「それらは私が名前を変えて姿を現したものであって、本当はすべて私なのだよ」と釈尊が言うことで、種々の仏を釈尊に統一しようとしているのです。
===== 引用おわり
 

   ブッダとは … ブッダとしての永遠性

 「ブッダとしての永遠性」(釈尊は、本当は死んだのではない)が強調されると、一神教的な解釈にすり替わってしまうという危険をはらんでいる。しかし、『法華経』は別世界にいる絶対者のような存在は認めず、あくまでも歴史上に実在した人物である釈尊自身の永遠性を説いている。

===== 引用はじめ
 中村元先生は「西洋の絶対者(=神)は人間から断絶しているが、仏教において絶対者(=仏)は人間の内に存し、人間そのものである」と言われました。これが仏教なのです。個々の人間から一歩も離れることはない。仏教は、人間を原点に見すえて、人間を“真の自己”(人 ニン)と法に目覚めさせる人間主義なのです。
===== 引用おわり
 

   菩薩とは … 菩薩もブッダも同時進行

===== 引用はじめ
 これまでは、「菩薩行を実践した結果、ブッダになる」という順序が前提となっていました。この場合、菩薩はブッダになるための手段です。ところが寿量品では、菩薩もブッダも同時進行だということになっています。つまり、人間としての菩薩行は手段かもしれないが、同時に目的でもある、ということです。
===== 引用おわり
 

   涅槃とは … 「方便現涅槃(方便として涅槃を現ず)」

 釈尊は衆生を仏道に入らせるための方便として涅槃に入ってみせたのだ。
 「衆生を教化するために、私は巧みなる方便を示して、完全なる滅度の境地を現すのだ。けれども私は、その時、実際には完全なる滅度に入るのではなく、まさにこの世において法を説き続けているのである」
 
 

出典
植木雅俊(2018/4)、『法華経』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

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