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2017年6月18日日曜日

(908) 「蓮と鶏」(金子みすゞ) / 『維摩経』(3-2)


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(K0050) 高齢者の自殺 / 高齢期の死生観(6) <臨死期>
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   『100分で名著』 6月19() 22:25 22:50 Eテレ 放映


熱心な仏教徒の家に生まれ育った金子みすゞは、仏教的感性溢れる詩をたくさん残した。

===== 引用はじめ

「蓮と鶏」

泥のなかから
蓮が咲く。

それをするのは
蓮じゃない。

卵の中から
鶏が出る。

それをするのは
鶏じゃない。

それに私は
気がついた。

それも私の
せいじゃない。

===== 引用おわり

 
「泥の中にありながら、泥に染まらず美しい花をさかせた」蓮ではない。
美しい花を咲かせたのは泥だ。「泥があるからこそ蓮は咲く」

「それに気がついた」私ではあるが、
そのことに「気づかせてくれた存在」がある。
 

まるで、
聖なる世界と俗なる世界を融合させて語る大乗仏教において、

相反する項目を融合させてしまう「空」について、
すべては連続性、関係性の中に存在する「縁起」について、
語ってるようである。

 
「すでに悟りを得た人は、それ以上悟りを求めることはしません。その人は、煩悩の泥の中へまみれることが仏道の実践になるのです。空中に種があっても芽は出ませんが、泥土の中にあれば芽をふくのと同じです。大海の底に潜らなければ海の底の宝が手に入らぬように、煩悩の中を生き抜かなければ智慧を獲得して実践することはできません」。文殊菩薩はこれを、「仏陀となる素質」だと言う。

 
出典:
釈徹宗、『維摩経』~とらわれない、こだわらない~、「100DEで名著」、NHKテキスト(2017/6)
 

 

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