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2017年5月27日土曜日

(885) 過去は「ある」のか


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(K0029) 「脳の健康度」「脳の自立度」 / 自立度など <自立喪失からの脱却>
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過去は「ある」のか、ということについて考えてみた。三つのことが分かった。

1.   過去は「ない」

2.   過去は現在に二つの影響を与える

3.   二つの影響への対処は異なる

 

<各論>

1.   過去は「ない」

 よく考えてみると、日常使っている言葉に答があった。
 『過去』は「過ぎ去った」もので今はない。『未来』は「未だ来たらず」なので今はない。『現在』は「現に在る」ので今ある。過去はない。
 その通りだと思う。日本語はすごい。

 
2.   過去は現在に二つの影響を与える

 過去はないが現在に二通りの影響を与える

   結果としての過去
 「1年前に父か死んだ」という過去は「今父は生きていない」という現在の結果として現れる

   記憶としての過去
 「1年前に父が死んだ」ときの悲しい気持ちが今でも蘇る
 

A)   紫外線は目に見えないが日焼けを引き起こす。現実を変える限り何かがあるに違いないと考えると「紫外線はある」という結論になる。

B)   幽霊に怯えて発狂した人がいるとする。幽霊はその人を発狂させた(現実を変えた)が、そこから「幽霊はある」という結論は導けない。幽霊はないが幽霊があるとその人が思ったから発狂したこともありえる。幽霊は「なく」、「ある」のはその人の思いである。

現在に影響があるからといって、「過去がある」という結論は導き出せない。

 
3.   二つの影響への対処は異なる

二つの影響へは、異なる対処をしなければならない。

「結果としての過去」は変えられない。適切な対処は「過去を受け入れ、今の自分の行動を変える」ことである。「1年前に父か死んだ」という過去変えられない。「今父は生きていない」ために収入がなくなり貯金が減ってきたので私が働いて金を稼ぐ、というように「今の自分の行動を変える」。

「記憶としての過去」は変えられる。適切な対処は「必要なら過去の記憶を置き換える」ということである。「1年前に父が死んだ」という嘆きと悲しみをずっと引きずっていたのでは動けなくなってしまう。自分を愛してくれた父を思い出してみる。その父が塞ぎ込んでいる今の私を悲しむのではないか。父の思い出と感謝が記憶の真ん中に来ると、過去への思いは変わる。

「昔こんなひどい目にあった。私は不幸だ」と思いながら生きるのではなく、「昔こんなひどい目にあったけれど私は頑張った。その頑張りと周囲の支えで今の自分がある」と思いながら生きていきたい。

 

<検証>


ちょうど、読んでいた本に関係する記述があった。

私の考えたことと矛盾しない。


===== 引用はじめ ( P.43 - P.44 

… 仏教では、すべてのものはこの瞬間にしか実在しないと説いている … すべてのものが瞬間、瞬間で消え去っていくとすれば、過去はどこにも存在しないことになるし、未来はいつまでも未来であって、現在にはないことになります。すべては瞬間、瞬間、変化し続けて、この一瞬の連鎖によって次の一瞬が成立します。

===== 引用おわり

釈徹宗、『維摩経』、100de名著、NHKテキスト(2017/6)

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