===== 新たに投稿した
(K0011) コントロールできる部分もある <仕上期>
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会話で「ごめんね」を乱発する人がいる。
私から見ると謝る必要がないので、戸惑ってしまう。
「わたしのために、あなたが不愉快になったのではないでしょうか。
あなたを困らせてしまったのではないでしょうか。
もしもそうなら、ごめんなさい」
という意味かなと思っている。
謝っているとか、感謝しているとかいうより、
相手の気持ちへの配慮を感じる。
自分が正しいとか、正しくないとかは、
気にかけていないようである。
もう少し突っ込んで検討した。まず、辞書で調べた。
===== デジタル大辞泉
すみ‐ませ‐ん【済みません】:
相手に謝罪・感謝・依頼などをするときに用いる。
「連絡が遅れて―」「お見舞いをいただいて―でした」「―が本を貸してください」
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つまり、「すみません」には、謝罪・感謝・依頼の三つの意味があるので、
そのどれかを、聞き手が読み取ることになる。
「すみません」の基本は「申し訳なく思う」ではないかと私は思っている。
【依頼】 これには、違和感がない。
誰かに何かを依頼すると、相手に何らかの負担がかかる。
それに対して「申し訳なく思う」のは、自然な姿だろう。
【感謝】 これには、違和感がある。
「そんなに良くしていただいて大変恐縮です」といった気持ちがあるのだろうが、
「ありがとう」と言われると嬉しく、「すみません」と言われても嬉しくない。
「すみません」と言われても、謝罪なのか感謝なのか依頼なのかわからない。
感謝の気持ちを伝えたいときは、率直に「ありがとう」が良いだろう。
私も、心がけて「ありがとう」と言うようにしたい。
【謝罪】 当然のようで、これが一番複雑である。
自分が悪くないのに、謝罪の意味の「すみません」が使われるケースが多い。
三つのケースを挙げる。
①
結果責任
②
連帯責任
③
不作為責任
①
===== 大辞林 第三版
結果責任:
故意・過失の有無にかかわらず
結果に対して責任を負うこと。
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故意も、過失もなく、自分が悪くなくても、
悪い結果に対して、責任を感じて「すみません」と言う。
②
===== 大辞林 第三版
れんたいせきにん【連帯責任】:
複数の者がある行為について連帯して負う責任。
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自分がしたのではなく、仲間がしたことなのだが、
あたかも自分にも責任があるように、「すみません」と言う。
③
===== ブリタニカ国際大百科事典
不作為犯:
不作為によって成立する犯罪。
すなわち法律上一定の法益侵害の結果を
防止しなければならない義務のある者が,
その果すべき義務にそむいて放置したために発生した
犯罪的結果について刑事責任を追及される罪である
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もし私が何かしたらこんなことにならなかったのにと、
何もしなかったことに責任を感じ、「ごめんなさい」と言う。
自分が悪いことをしたわけでもないのに、
簡単に謝罪するのは、日本人ぐらいだろう。
閉ざされた村社会において、閉ざされた国の中で、
このような心遣いで相手を思いやり、住みやすい社会をつくってきた。
美徳だと思う。
ただ、開かれた社会に出て行ったときは、通じず、誤解を生む余地ができてしまう。
「すみません」という言葉の裏にこのようにとっても広い、
こころ豊かな世界がある。
日本の良い文化だと思う。
逆にそれだけに、今言われた「すみません」の意味をくみ取るのは至難の業である。
現実的には、 “
Simple is best” 単純が良いだろう。
難しく、分析的に、考えなくてよいだろう。
「すみません」とい言葉に含まれるのは、
「私は、あなたのことを大切に思い、あなたと仲良くしたいのです」という心。
「すみません」と言われたとき、
いつも、このメッセージだけを受け取って、間違いないと思う。
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