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2017年5月6日土曜日

(865) 『レ・ミゼラブル』


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(K8) PPK信仰の欺瞞 <仕上期>
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Facebook友だちのHidechiyo Andoさんのページに、「感動再び【不朽の名作 レ・ミゼラブル】」と題して、推薦する映画『レ・ミゼラブル』の放送予定が書かれていた。

観て、良かった。

 
映画『レ・ミゼラブル』の概要と、『レ・ミゼラブル』のあらすじを、後ろの方に書いている。

 
以下に私の感想を述べる。

1.   「生き方が劇的に変わる」ということ

 ミリエル司教に触れて、ジャン・ヴァルジャンの生き方が劇的に変わった。ジャン・ヴァルジャンの生き方に触れて、警官ジャヴェールの生き方が劇的に変わった。

 生き方は他の人が「変える」ものではなく、何らかのきっかけがあって「変わる」ものだと思った。「変えられた」あるいは「自分で変えた」というのが普通の見方だろうが、私は「変わった」と感じた。両ケースとも相手を変えようという意図はなく、ひたすら自分の生き方をしただけなのではないか。人を本当に大きく変えるのは本でも説教でも講演でもない。生き方に生き方が反応するのだ。

 なお、警官ジャヴェールは生き方を変えたとたんに自殺してしまった。私はそれを良かったとも悪かったとも言えない。

 また、生き方は伝染する。ミリエル司教 → ジャン・ヴァルジャン → 警官ジャヴェール と伝染した。

 
2.   ミュージカルの表現

 私はミュージカルをほとんど見たことがないので、ことさら感じたのかもしれないが、一つの場面で、一つの音楽の流れで、複数の人が独白していた場面が新鮮だった。対話ではなく、一つのシーンを巡って、各々が異なった思いを持ち、その思いをかわるがわる独白している。思いはバラバラだが、現実は一つ、同じシーンと楽曲の上に乗っている。現実とは、こういうものだろう。臨場感があった。これはミュージカルならではの表現で、文学では絶対に表現できないだろう。

 
3.  

 様々な愛の形が表現されていた。唐突感もあったが、伝わってくるものもあった。作者は様々な愛を感じ取れる人なのだろう。そうでないと、表現できない。

 
4.  

 一つの死のあり方を示していた。精一杯生きた人のみが到達できる死に方ではないだろうか。そのように死ねたことを祝福したい。

 
5.   タイトル

原題 Les Misérables は、「悲惨な人々」「哀れな人々」を意味する。

そうすると、ジャン・ヴァルジャン、ファンティーヌ(母)、コゼット(娘)などの悲惨な生活に目が向きそうだ。確かに前半は、その姿が描かれていたが、私の印象の中では、薄い。映画のタイトルが「悲惨な人々」や「哀れな人々」だったら、観る気が起こらないし、観た後も違和感が残りそうだ。

日本語ではカタカナ表記「レ・ミゼラブル」あるいは「あゝ無情」のタイトルで紹介されている。「無情」の意味は、「いつくしむ心がないこと」「思いやりのないこと」であるが(デジタル大辞泉)、これも少しずれているような気がする。

ミリエル司教も、ジャン・ヴァルジャンも、警官ジャヴェールも、通常の「情」の域を突っ切っている気がする。もはや「情」の域ではないという意味での「無情」なら納得する。

 

なお、Hidechiyo Andoさんの映画紹介の詳細は、次を参照。

 

===== 観たテレビ番組
BS朝日 55()よる7:009:54 放映済み

映画「レ・ミゼラブル」
公開 2012
監督 トム・フーパー
出演 ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、
   アマンダ・サイフリッド、エディ・レッドメイン、ヘレナ・ボナム=カーター
===== 
映画写真を引用

 

『レ・ミゼラブル』は、ヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆したロマン主義フランス文学の大河小説。

===== あらすじ はじめ

181510月のある日、76歳のディーニュのミリエル司教の司教館を、46歳のひとりの男が訪れる。男の名はジャン・ヴァルジャン。貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年も服役していた。行く先々で冷遇された彼を、司教は暖かく迎え入れる。しかし、その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、2本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに、サヴォワの少年プティ・ジェルヴェ(Petit-Gervais)の持っていた銀貨40スーを結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、正直な人間として生きていくことを誓う。

1819年、ヴァルジャンはモントルイユ=シュル=メールで『マドレーヌ』と名乗り、黒いガラス玉および模造宝石の産業を興して成功をおさめていた。さらに、その善良な人柄と言動が人々に高く評価され、この街の市長になっていた。彼の営む工場では、1年ほど前からひとりの女性が働いていた。彼女の名前はファンティーヌ。パリから故郷のこの街に戻った彼女は、3歳になる娘をモンフェルメイユのテナルディエ夫妻に預け、女工として働いていた。

しかし、それから4年後の18231月、売春婦に身を落としたファンティーヌは、あるいざこざがきっかけでヴァルジャンに救われる。病に倒れた彼女の窮状を知った彼は、彼女の娘コゼットを連れて帰ることを約束する。実は、テナルディエは「コゼットの養育費」と称し、様々な理由をつけてはファンティーヌから金をせびっていた。それが今では100フランの借金となって、彼女の肩に重くのしかかっていた。

だが、モンフェルメイユへ行こうとした矢先、ヴァルジャンは、自分と間違えられて逮捕された男シャンマティユーのことを私服警官ジャヴェールから聞かされる。葛藤の末、シャンマティユーを救うことを優先し、自身の正体を世間に公表する。結果、プティ・ジェルヴェから金40スーを盗んだ罪でジャヴェールに逮捕される。終身徒刑(=終身刑)の判決を受けて監獄へ向かう途中、軍艦オリオン号から落ちそうになった水兵を助け、海に転落。通算5度目となる脱獄を図る。

 そして、1823年のクリスマス・イヴの夜。今は亡きファンティーヌとの約束を果たすためモンフェルメイユにやって来たヴァルジャンは、村はずれの泉でコゼットに出会う。当時、コゼットは8歳であったにも拘らず、テナルディエ夫妻の営む宿屋で女中としてただ働かさせられている上に夫妻から虐待され、娘たちからも軽蔑されていた。ヴァルジャンは静かな怒りをおぼえ、テナルディエの要求どおり1500フランを払い、クリスマスの日にコゼットを奪還する。

道中、後を追ってきたテナルディエを牽制したヴァルジャンは、コゼットを連れてそのままパリへ逃亡する。パリに赴任していたジャヴェールら警察の追っ手をかいくぐり、フォーシュルヴァン爺さんの協力を得たふたりは、ル・プティ・ピクピュス修道院で暮らし始める。母のことをあまり覚えていないコゼットは、ヴァルジャンを父として、また友達として心の底から慕い、愛し続ける。ヴァルジャン自身もコゼットを娘として、あらゆるたぐいの愛情を捧げる絶対的な存在として、彼女にまごころからの愛を注ぎ続ける。

 フォーシュルヴァン爺さんの没後、パリのプリュメ通りにある邸宅に落ち着いたヴァルジャンとコゼットは、よくリュクサンブール公園に散歩に来ていた。そんなふたりの姿をひとりの若者が見ていた。彼の名はマリユス・ポンメルシー。共和派の秘密結社ABC(ア・ベ・セー)の友に所属する貧乏な弁護士である。ブルジョワ出身の彼は幼い頃に母を亡くし、母方の祖父に育てられたが、17歳のとき、ナポレオン1世のもとで働いていた父の死がきっかけでボナパルティズムに傾倒し、王政復古賛成派の祖父と対立。家出していた。マリユスは美しく成長したコゼットに一目惚れし、「ユルシュール」と勝手に名づけ、何も考えられないほど彼女に恋焦がれてしまう。

テナルディエの長女エポニーヌの助けを得て、マリユスは「ユルシュール」の住まいを見つけ、同じころ彼に惚れていた「ユルシュール」ことコゼットに、ようやく出逢うことができた。この出逢い以降、ふたりは互いを深く愛し合うようになる。だが、183263日、コゼットはヴァルジャンから、1週間後にイギリスへ渡ることを聞かされ、それをマリユスに話してしまう。ふたりの恋路は突然の別れという最大の試練に塞がれてしまった。

コゼットと、彼女に絶対的な愛を捧げるジャン・ヴァルジャンとマリユス――この3人を中心とした運命の渦は、ジャヴェール、テナルディエ一家、マリユスの家族や親しい人々、犯罪者集団パトロン=ミネット、そしてABCの友のメンバーまで巻き込んで、『悲惨な人々』(レ・ミゼラブル)の織りなす物語をあちこちに残していく。大きくなった運命の渦は、七月革命の影響で混沌のなかにあるパリを駆けまわり、やがて183265日に勃発する六月暴動へと向かってゆくことになる。

これは、ひとりの徒刑囚が偉大なる聖人として生涯を終えるまでの物語であり、その底を流れているのは、永遠に変わることのない真実の『愛』である

===== あらすじ おわり
引用:『レ・ミゼラブル』(wikipedia

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