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2016年4月20日水曜日

(483) 女の会話・男の会話


 昨年何度か、加古川市にある「かこむ」での「シニア交流会サロン」に参加した。テーマ無しに集まり「だべる」会である。最近の様子は行っていないので分からないが、当時はサロンの進め方を模索していた。

  興味深かったのは、前半を男女混合の2グループに分け、後半は男女別の2グループに分けたときの様子である。記憶によれば、参加者は20人程度、男女数は、あまり偏っていなかった。

前半と後半とでは、様子が一変した。


  前半は2グループとも、どちらかと言うと男の話が多く、女の話は少なかった。後半になったら、女のグループは一気に「うるさく」なり、男のグループは、話が途切れることはないが、静かになった。

男のグループは、一応「グループ全体で」というスタイルは継続したが、女のグループは、あっちの塊・こっちの塊ができて、「ぺちゃくちゃ」喋っている。そちらの方が気になって、私の耳は半分そちらに向かっていた。
 
内容は(男である)私が聞くと「くだらない」。最近あったことを「べらべら」喋っている。次の人が話し始めると、内容に脈絡がない。「くだらない」と書いたのは「私にとって」であり、「彼女らにとって」は大事な会話なのだろう。

 

今年の43日、上述「かこむ」での別の集会「哲学カフェ」で、私は次のように話をした。


男の会話と、女の会話は、違う。先ず、目的が違う。男は何かを主張したくて話すが、女は仲良くなりたくて話す。

 次に、女は自分の弱みを平気でさらけ出すが、男は自分の弱みを見せようとしない。

 (これは、その時には言わなかったが)男の会話は「戦闘モード」であり、女の会話は「平和モード」である。

 
 その時のテーマは「健康」であり、「体の健康」と「心の健康」があるよね、という話になっていた。その流れで、私は続けて言った。

 
 「女の会話はストレスコーピングになるが、男の会話はストレスコーピングにならない、むしろストレスを強める」

因みにその時は「ストレスコーピング」という言葉は使わなかった。簡潔に表現するため、ここで書いている。「(ストレス)コーピング」とは、「ストレス要因や、それがもたらす感情に働きかけて、ストレスを除去したり緩和したりすること」(コトバンク)である。

 
 女は「平和モード」の中で、辛いこと・悲しいことをしゃべり(弱みをさらけ出し)、それを「仲良くしたい」人たちが「大変だったね」と受け入れる(傾聴)。コーピングになっている。

 男は「戦闘モード」の中で、プライドをかけて(弱みを見せずに)、自己主張する。意見は当然人によって違うので、緊張が走る。ストレスの元になっている。

 
 「だから、」という発言があった。「男も女を見習って話せばいいのよ」

 私は「違いのではないか」と反論した。「男には男の特性があるので、それを女の特性に合わせよというと、さらにストレスを高めてしまうのではないか」

  
 今、ここまで書いて、思った。私は、完全に、自己主張・戦闘モードに入っていた。なんとまあ(笑)。

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