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2016年4月9日土曜日

(473) 歎異抄(2) 悪人こそ救われる(悪人正機説)


411() 22:25~22:50 放映予定 100de名著」「歎異抄」のテキストより。
 
本の解説を組みなおし、私流の順番で説明します。
間違っていないと思います。

 
『悪人正機説』
   善人でさえ浄土に往生することができるのです。
   まして悪人はいうまでもありません。

これを、どう読み解けば良いのか

 
<A>

(a) 間違った解釈
 この文を一般的な意味(例えば、デジタル大辞泉)で解釈するのは間違い
 善人=善良な人。行いの正しい人。
 悪人=心のよくない人。悪事を働く人。

(b) 正しい解釈
 善人=自力の人
 悪人=他力の人

置き換えると次のようになります。

『悪人正機説』
「自力の人」でさえ浄土に往生することができるのです。
   まして「他力の人」はいうまでもありません。


<B>

(a) 間違った解釈
 この文を一般的な意味(例えば、デジタル大辞泉)で解釈するのは間違い
 自力=自分ひとりの力。じりょく
 他力=自分以外のものの力。他人の助力

(b) 正しい解釈
   この文は仏教用語(例えば、デジタル大辞泉)として解釈する必要があります。 
 自力=自分だけの力で修業し悟りを得ようとすること
  注)「自力の人」=「善人」は、仏にすべてをお任せしようという
    「他力」の心が希薄で、
    自分の修業や善根(よい報いを受ける原因となる行い)によって
    どうにかなると思っている。
 他力=衆生を悟りに導く仏・菩薩の力。仏・菩薩の加護
    特に、浄土門で、一切の衆生を救おうと発願した阿弥陀仏の力。
    弥陀の本願の力。
  注)「他力の人」=「悪人」は、「煩悩具足のわれら」
     どんな修業をしても迷いの世界から離れられない人。

 
置き換えると次のようになります。
 
『悪人正機説』
「自分だけの力で修業し悟りを得ようとする」人でさえ
浄土に往生することができるのです。
   まして「一切の衆生を救おうと発願した阿弥陀仏の力」を信じる人は
いうまでもありません。

 
<C>
この独特の言い回しを、釈撤宗は、わかりやすく説明しています。
=====

 自分で悟りを開けない人のための仏教であり、仏様なのですから、言うなれば、自分で泳げずに溺れている人からまずは救うことになるでしょう。でも、もちろん泳げる人も救いますよ、と付け足す。そんな理屈になっています。

=====
釈徹宗(2016/4)、『歎異抄』、100分でde名著、NHKテキスト、P.35

 
<D>

この順番の感覚は、『悪人正機説』の「正機」を理解するとわかりやすい。「機」とは対象の意味です。
 「正機」(真ん中のストライクの対象)の逆が「傍機」(中心を外れた対象)です。他力の仏教(浄土宗・浄土真宗など)においては、悪人こそが「正機」であり、善人は「傍機」ということになります。

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