吉川英治は、①小説『宮本武蔵』を書いた後、小説のフィクションと史実が混同されることを恐れ、②『随筆宮本武蔵』を書いた。
①の小説は、映画、芝居、ラジオ、テレビ、マンガなどで繰り返され強固な「宮本武蔵イメージ」ができたが、これは虚像である。では「本当の武蔵はどうだったか」、研究の成果がこの本に書いてある。虚像の武蔵には『五輪書』を書けない。
『五輪書』は、宮本武蔵 ( 1582 – 1645 ) が、自らの生涯を通じて見出した「武士としてのあるべき生き方」を後世の人々に遺すために著した書物であり、「地(チ)・水(スイ)・火(カ)・風(フウ)・空(クウ)」の五巻から成っている。
「地の巻」は、自らの来歴を書くとともに、正しい道の地盤を固める巻として武士の道のあらましを示す。武士は剣術を基礎として道を学ぶが、兵法は剣術だけでなく、武家の法すべてに関わることを論じる。
「水の巻」は、器に応じて変化し、一滴から大海にもなる水のイメージによって、兵法を核として、武士が常に鍛錬しておくべき剣術の鍛錬法を説いている。
「火の巻」は、小さな火がたちまち大きく燃え広がるイメージによって、一人の剣術の戦い方の理論は、千人、万人の合戦にも応用できることを示す。
「風の巻」は、「その家々の風」として、他の流派について、その誤りを指摘して、自らの理論の正しさを確かめている。
「空の巻」は、何事にもとらわれない空のイメージによりつつ、自らを絶えず省みながら鍛錬を積み重ねていくことを説く。道理を体得すれば道理にとらわれない自由な境地が開かれ、実の道に生きることを説く。
「兵法における拍子」が興味深かった。
諸芸諸能の道においては、まわりと合うことを拍子(リズム)の基本としている。
ところが兵法においては、敵と「あふ」拍子を知るとともに、敵の意表を衝く「ちがふ拍子」も知らなければならない。
また、大小・遅延の中で「あたる拍子」「間の拍子」「背く拍子」を知る必要もある。
そして、それぞれの敵の拍子を知って、敵が思いもしないリズムで勝ちを得るのが兵法における拍子だとしている。
納得できる説明である。今までの経験をよく説明できるし、これからの作戦にも使えそうである。
『五輪書』は、記述がきわめて具体的で明晰で、人間のからだに即しており、まさに武道の「思想」を論じた書といえる。
「武道の三大古典」とは、柳生宗矩の『兵法家伝書』、沢庵の『不動智神妙録』、宮本武蔵の『五輪書』を指すが、『五輪書』が圧倒的に素晴らしいと、専門家は言う。