画面の説明

このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2020年12月23日水曜日

(2191) 「身をすてる」とは何か

 

◆ 最新投稿情報

=====

(K1332)  心身の不調同時に / 高齢者の鬱病(1) <心の健康>

http://kagayakiken.blogspot.com/2020/12/k1332-1.html

=====

 

☆☆

「身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ」(詞花和歌集 雑 西行法師)何だろうと悩んで自分なりの答えを出したが、インターネットで調べたら違っていた。それでも私は、私の解釈に固執したい

☆☆

 

身を捨つる 人はまことに 捨つるかは

 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ (西行)

 

?なんだ?これは?

なのだが、自力で考えてみた

 

 困難な場面に遭遇し、うまくいく保証はないし、それどころか、失敗して大損害を受けるかもしれない。それでもあえて飛び込んでいった、という経験を、振り返ってみると何回かした。その時の心境かなと思った。勝算はないけれど、心は澄んでいる。迷いはない。

 

 身を捨てなければ、飛び込んでいけない。だから、身を捨てているのだが、現実から逃避しているのではなく、現実に直面して生きようとしている。

 

 身を捨てずに、何とかしようともがいても埒が明かないことがある。その結果は、身が捨てられてしまう。

 

 一方、逃げ出す「世捨て人」もいる。それはそれでよい。逃げ出さないと潰れてしまいそうなら(鬱になってしまいそうなら)、躊躇なく逃げればよい。それは、敗北ではなく、勝利への一歩だ。

 

 でも、違うやりかたもある。身を捨てて、世を捨てないのである。

 

 インターネットで調べてみた。

===== 引用はじめ

 身を捨てて仏道に励む人はほんとうに我が身を捨てたのだろうか

むしろ捨てずにいる人こそ 身を捨てたことになるのだ

 命を捨てる覚悟で修行に励むことを捨身(しゃしん)といいます。

そのように捨て身で悟りを得ようとする人よりも、

汚れたこの世で我が身を顧みずにいる人のほうが

自分を棄てた(=大切にしない)ことになるのだと、

おそらく西行はそう言っているのでしょう。

===== 引用おわり

https://ogurasansou.jp.net/columns/arakaruta/2018/01/19/1779/

 

 全然、違う!(笑)

 私は、煩悩のただ中にいるのだろうか。それならそれでよいと、居直ってしまう。思い切り、煩悩に身を任せよう。

 もしも試験問題なら、わたしは、零点かもしれない。

 試験を受ける時は、そう答えておこう。でも、私は私の解釈で生きる。

 

添付図は、

http://tokinoao.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-b862.html



0 件のコメント:

コメントを投稿