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2020年12月6日日曜日

(2175)  ブルデュー『ディスタンクシオン』(1-3) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1316) (鏡現象・人形現象)懐かしい人と楽しくおしゃべり(2) / 認知症の人の不可解な行動(50) <認知症>

http://kagayakiken.blogspot.com/2020/12/k1316250.html

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☆☆

上流階級の家で育った人はフオーレやドビユツシーのような享楽的な音楽を好む傾向があり、中産階級出身で自ら努力して大学に行って公務員や教員になった人はバツハなどの禁欲的な音楽を好むという結果が出ています

☆☆

 

第1回  7日放送/ 9日再放送

  タイトル: 私という社会

 

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1)  好きで選んだはずなのに

(2)  農村の優秀少年、パリへ

(3)  まずは実態を知ろう

(4)  先鋭な階級意識

 

(5)  ブルデュー社会学の焦点

(6)  「稲妻の一撃」の否定

(7)  難解な理論と文体

(8)  同じ写真に対する反応の違いはどこから?

(9)  眼は歴史の産物である

 

(10)ハビトゥスとは何か

(11)普遍的に応用可能な規則

(12)ハビトゥスはどこで構築されるのか

(13)分類し、分類される

 

【展開】

(1)  好きで選んだはずなのに

(2)  農村の優秀少年、パリへ

(3)  まずは実態を知ろう

(4)  先鋭な階級意識

(5)  ブルデュー社会学の焦点

(6)  「稲妻の一撃」の否定

(7)  難解な理論と文体

(8)  同じ写真に対する反応の違いはどこから?

(9)  眼は歴史の産物である

 以上は、既に書きました。

 

(10)ハビトゥスとは何か

 ブルデュー理論におけるハビトゥスとは、簡単に言うと「傾向性」「性向」です。私たちの行為や価値判断には傾向性が存在し、私たちはその傾向性に動かされてあるものを好きになったり嫌いになったりするというのです。演歌ではなくジャズを、フットサルではなく散歩を好む私には、それらを好むハビトゥスがあることになります。

 『ディスタンクシオン』においては、ハビトゥスは非常に深いレベルで私たちの嗜好や行動を方向づける「身体化された必然」であると書かれています。つまり私たちは、意図することなく自然に、無意識に、反射的に、ある選択や評価をしているというわけです。

 

(11)普遍的に応用可能な規則

 お金持ちの家に生まれた子どもがピアノを習わされたとします。このとき、この子は何を体得しているのでしょうか。もちろん、ピアノを弾く技術だけではありません。

 さらにここが非常に重要なところなのですが、その子は「何かを努力して身につける」という過程を体験します。日の前の楽しみを先送りにしてでも、いま努力することで技能を習得する。そういう態度を学ぶわけです。この態度、あるいは傾向性は、おそらく将来、学校教育をはじめとするさまざまな場でも有用であるに違いありません。

 

(12)ハビトゥスはどこで構築されるのか

 ハビトウスが構築される具体的な場所は、家庭と学校です。 … 同じように「高級文化」を嗜好するハビトゥスでも、それが家庭の中で小さいときから自然に身についた上流階級(ブルジョワ)のハビトゥスと、学校で教えられ自ら努力して身につけた中間層(プチブル)的なハビトゥスは異なるというのです。

 家庭の中で身についたハビトゥスは、まるで空気のように自然で、その人をのびのびと自由に振る舞わせます。「文化的正統性を手にしているという確信にともなう自信と、優秀性と同一視されるゆとりとを与えてくれる」からです。 一方、学校の中で意識的な努力を媒介にして培われたハビトゥスは禁欲的な規範として働きます。

 

(13)分類し、分類される

 私たちは、この音楽は好きだけれどあの音楽は嫌い、この学校に行きたいけれどあの学校には行きたくない、あの人とは結婚したくないけれどこの人とは結婚したい、などとその都度自分で選んでいるようですが、大きな視点に立てば、私たちが「この音楽」や「この学校」などに集められているわけです。

 ですから、ハビトウスは世界を分類していくものであると同時に、それによって行為者が分類されていくものでもあります。傾向性の体系としてのハビトゥスに分類されることによって、その人の位置が確定され、同じハビトゥスを持つ者たちの集団(クラスター)ができていきます。こうして似た者同士の集団がつくられることによって、人びとは何者かに「なっていく」のです。

 

<出典>

岸政彦(2020/12)、ブルデュー『ディスタンクシオン』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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