画面の説明

このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2020年12月17日木曜日

(2186)  ブルデュー『ディスタンクシオン』(3-1) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

=====

(K1327)  全世代型社会保障検討会議 <少子高齢化>

http://kagayakiken.blogspot.com/2020/12/k1327.html

=====

 

☆☆

社会空間や界の構造に、複数の軸を加えた。縦軸は資本や権威の「総量」で、横軸は資本の「種類」です。もっともマクロな階級という社会空間では、横軸の右側が「経済資本」、左側は「文化資本」になります

☆☆

 

第3回  21日放送/ 23日再放送

  タイトル: 文化資本と階層

 

 

【テキストの項目】

(1)  文化資本とは何か

(2)  美的性向と階級の相関関係

(3)  内容ではなく形式を受容する

(4)  文化的再生産論とは何か

(5)  学校は階級格差を正当化する?

(6)  はたして決定論か

 

【展開】

(1)  文化資本とは何か

 文化資本とは、経済資本と対比させることで社会や界の横幅を描くための概念です。ハビトゥスに近いものでもあるのですが、もうすこし具体的で、それは文化財、教養、学歴、文化実践、文化慣習、あるいはブルデューが言うところの美的性向などを指します。美的性向とは、美的なものを美的なものとして評価する傾向性や能力です。絵を見てその美しさがわかるかどうか、音楽を聴いてその美しさがわかるかどうか。ブルデューはそうした美を受容する能力を含めて、文化資本という名前を付けました。

 なぜそう名付けたか。それは、階層構造やそれぞれの界の中で、資本として機能するからです。資本とは何か。それは投資され、増殖され、蓄積されます。そして所有する人々に「利得」をもたらします。

 

(2)  美的性向と階級の相関関係

 芸術に対する評価図式を、ブルデューは別の言葉で美的性向と言っています。これは、芸術を芸術として受け取る能力のことですが、ブルデューは美的性向とは生まれながらに備わっているものではなく、歴史的につくられるもので、しかも階級に相関性があることを指摘しています。

 ブルデューは、芸術に対する「正統的性向」、あるいはそれについて詳しくなるような能力は「だいたいにおいて、それと気づかぬうちに習得されてゆくものであり、それは家庭や学校で正統的教養を身につけてゆくなかで獲得される一定の性向によって、可能になるものである」と述べています。

 

(3)  内容ではなく形式を受容する

 ブルデューは、美的性向とは端的に言って、内容や実用性と切り離して純粋に形式だけを受容する能力のことだと言っています。内容ではなく形式。絵画で言えば、描かれているテーマや対象ではなく、その「描き方」、つまりそれぞれの作品が持つ、描線や色彩のスタイル、技法、流派、「見せ方」を鑑賞し評価するめの知識や態度のことです。

 そもそも、あるひとつの作品を見たときに、そこで「何が描かれているか」ではなく、それが「どう描かれているか」という視点で見ることができるということ自体、長年にわたる家庭と学校での教育を必要とするのです。

 美的性向を含む文化資本は、大きくは階級によって形成されます。それは文化的な評価と意味づけと実践のシステムであり、私たちはそれによってあらゆる趣味や文化を分類します。そして、私たちもまた分類される。

 

 以下は、後日書きます。

(4)  文化的再生産論とは何か

(5)  学校は階級格差を正当化する?

(6)  はたして決定論か

 

<出典>

岸政彦(2020/12)、ブルデュー『ディスタンクシオン』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



0 件のコメント:

コメントを投稿