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2019年9月23日月曜日

(1735) 「ぶら下がる」人々は、どこから来たのか

 
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(K0876)  証券会社から見た高齢者顧客 <高齢期の家庭経済>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/09/k0876.html
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個人主義を利己主義に置き換え、家族主義も破壊してした日本。「社会が貧しい」「政治が悪い」「政府はなんとかしろ」「もっと金銭(かね)を出せ」「弱者を助けよ」と叫びはじめた。「ぶらさがる」人々が登場した
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 「社会が貧しい」「政治が悪い」「政府はなんとかしろ」「もっと金銭(かね)を出せ」「弱者を助けよ」…と。利己主義が蔓延している。
 現在の日本は、「ぶら下がる」人々を多く輩出するという、愚劣にして悲惨な状況に陥っている。
 「ぶら下がる」人々は、相互扶助の拠(よ)りどころを失い、政府にぶら下がろうとする。個人主義が確立されていないので自己責任などどこ吹く風、ひたすら喚(わめ)き続けている。
 
 利己主義を抑制しないと、社会が崩壊する。個々人が利己主義を頑なに主張すると、当然他の人の利己主義と衝突する。それを「政府なんとかしろ」と言っても、なんともできるわけがない。各々が自己主張しながらも、全体の調和を見据え、各々が利己主義の一定部分を抑制しないと、折り合いはつかない。それが分かっていない人、分かっていても無視する人が増えているように思える。彼らが「ぶら下がる」人々になっていく。
 
 二つの文明があって、各々が利己主義を否定してきた。
 能力第一の狩猟民族系から個人主義が生まれ、近代以降、世界中で威張っている。その個人主義は、個人の自立・自律・自己責任を確立してゆくことにより、利己主義を抑制してきた
 一方、東北アジア(日本・中国など)では、多人数の協力第一の農耕民族系が続き、その基盤となる家族主義(一族主義)を中心にして生きてきた。その家族主義では一族の長を核として血族が団結して相互扶助を行ってきた。その〈無償の愛〉で利己主義を乗り越えてきた。
 
 しかし、明治維新後、日本は個人主義の導入を図り、特に戦後それを推進したが、猿まねに過ぎず、個人主義は利己主義と化して今日に至っている。また、伝統的家族主義を古臭(ふるくさ)く否定すべきものとして破壊してきた。共同体そのものの家族主義を自ら拒否し、今や心の故郷も失ってしまった。
 
 日本人は異文化の合成、早く言えば各文化のいいとこ取りに巧みだ。となれば、個人主義と家族主義とを合成して共に身に付けさせることを試みてはどうか。その一つのあり方が「和して同ぜず」(子路第十三)である。
 
元々の文を整理したものを、添付に示す。
 
続く
 
<出典>

【古典個展】大阪大名誉教授・加地伸行 「ぶら下がる」人々
産経新聞(2019/09/22)
https://www.sankei.com/column/news/190908/clm1909080006-n1.html

 

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