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=====(K0867) 「竹内まりあ/人生の扉」を聴いて <仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/09/k0867.html
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第3回 16日放送/ 18日再放送
タイトル: 信仰なき「祈り」は可能か?
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 魂の父と息子
(2) 「暗い谷」への帰還(3) 偏在する分身
(4) 書き込まれる願い
(5) 「永遠」に対抗しうる「一瞬」
(6) 世界の息が吹きとおる時間
(7) 死者とともに生きる
(8) 全体に包まれる個
(9) ドストエフスキーの遠いこだま
(10)兄と姉、女と男、母と父
【展開】
(1) 魂の父と息子
(2) 「暗い谷」への帰還(3) 偏在する分身
(4) 書き込まれる願い
(5) 「永遠」に対抗しうる「一瞬」
以上は、既に書きました。
(6) 世界の息が吹きとおる時間
ワーグナーの歌曲『トリスタンとイゾルデ』の最後のアリアのおしまいの方の、des Welt-Atems という言葉が好きでね、世界の息というか… トリスタンは死んでしまったけれども、その生命の息吹がイゾルデのなかに入ってきて、また彼女の周囲に波だつように広がって、すべてがその世界の息のただなかにある。そのなかに沈み込むことで、意識を超えた最上の快楽へと自分は向かう、というわけで、そこには愛と死が溶け合っている。
(7) 死者とともに生きる
「魂のことは人それぞれ別々ではあるけれども、思いがけない繋ぎ目もあるように感じておりますが!」
一人ひとりの人間の魂はどこかでつながっている。つまりその魂は、生者のものであろうが死者のものであろうが、大きな全体に包み込まれている。
(8) 全体に包まれる個
7、8歳のころ、健三郎少年は、川のなかにある大岩の下のウグイの群れを見ようとして水中に潜るのですが、岩棚に頭を挟まれて溺れ死にそうになります。しかし、その少年を彼の母親が救出してくれるのです。母によって与えられた命を息子は失いかけるのですが、再び母がそれを取り戻してくれます。そしてこの事故が起きたとき、健三郎少年はウグイの群れ全体を見つめていると同時に、一尾のウグイとなり、岩の裂け目に引っかかっている自分を見つめているような不思議な感覚に浸されるのです。ここにも全体と個と分かちがたく結び合っているという世界認識が窺えます。
(9) ドストエフスキーの遠いこだま
『カラマーゾフの兄弟』は、イリューシャの墓の前に集まった少年たちに、アリューシャが語りかける場面で大団円を迎えます。アリューシュは言います。
「 … まさにその一つの思い出が大きな悪から彼を引きとめてくれて、彼は思い直して、『そうだ、僕はあのころ、善良で、大胆で、正直だった』と言うかもしれません」
ギー兄さん、すなわち大江健三郎が「一瞬よりはいくらか長く続く間」について語った言葉からは、ここに読まれるアリューシャの言葉の遠いこだまが聞き取れないでしょうか?
(10)兄と姉、女と男、母と父
もしもドストエフスキーが、大江健三郎という作家にとって、同じ文学的な課題を共有し、その精神的な支えとも言える「文学的な兄」だとすれば、『燃えあがる緑の木』には、作家の「文学的な姉」とでも呼ぶべき思想家がいます。 … 独特の力強い思想を展開し、わずか34歳で亡くなったフランスの女性――「注意力とはもっとも純粋なかたちの祈りにほかならない」と書いたシモーヌ・ヴェイユです。
もしかするとサッチャンが両性具有なのは、そこに男と女を共存させるためではなく、母親でもありながら父親であるような存在を、大江が必要としていたからではないでしょうか。
<出典>
小野正嗣(2019/9)、大江健三郎『燃えあがる緑の木』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
トリスタンとイゾルデ
https://books.google.co.jp/books?id=d_tDDwAAQBAJ&pg=PT221&lpg=PT221&dq=des+Welt-Atems&source=bl&ots=fvbT5wkA73&sig=ACfU3U1Cc6UnezRZYE8kuzwiXmdTbZ7wug&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjRmd_i2cnkAhW8zIsBHbhgDdkQ6AEwEnoECAkQAQ#v=onepage&q=des%20Welt-Atems&f=false
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