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2019年9月12日木曜日

(1724)  大江健三郎『燃えあがる緑の木』(3-1) / 100分de名著

 
◆ 最新投稿情報
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(K0865) 「自分は結核だから無理に退院させられる」と言われて <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/09/k0865.html
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第3回  16日放送/ 18日再放送

  タイトル: 信仰なき「祈り」は可能か?
 


【テキストの項目】

(1)   魂の父と息子
(2)  「暗い谷」への帰還
(3)   偏在する分身
(4)   書き込まれる願い
(5)  「永遠」に対抗しうる「一瞬」

(6)   世界の息が吹きとおる時間
(7)   死者とともに生きる
(8)   全体に包まれる個
(9)   ドストエフスキーの遠いこだま
(10)兄と姉、女と男、母と父
 

【展開】

(1)  魂の父と息子
 みずからの魂の問題に取り組むことで、息子の魂の問題とつながりたいと切に願う作家は、魂の問題にまっすぐ向き合う父と息子の姿を作中に描き込まずにはいられません。
 その父と息子とは、総領事と息子の隆、つまりギー兄さんです。 … 父と子の血縁という絆と同時に、魂の問題こそが二人をゆり深く結びつけています。
 
(2)  「暗い谷」への帰還
 人間は労役しなければならず、悲しまねばならず、そして習わねばならず、忘れねばならず、そして帰ってゆかなければならぬ / そこからやってきた暗い谷へと、労役をまた新しく始めるために。
 「やってきた暗い谷」については多様な解釈が可能だと思います。①シンプルにふるさとのこと。②命が誕生する前の世界、生と死がいまだ未分離の状態にある無の世界
 
(3)   偏在する分身
 アサさんの発言は小気味いいですね。 … 地元の人にもよそからやって来た者たちにも公平な態度で接し、地に足のついた的確な助言を他の登場人物たちに与えるこのアサさん … アサさんのモデルは、大江健三郎自身の故郷に暮らし続けている妹なのでしょうが、この人物には、作家が自己批判するために作り出した分身的なところがあります。
 この教会のモデルは、原広司が設計して建てられた内子町立大瀬中学校だと思われます(添付図参照)。
 
(4)   書き込まれる願い
 総領事とギー兄さんはザルツブルグで山荘風のホテルに宿泊した際、そこでK伯父さんの息子のヒカリさんのCDをホテルの経営者の女性から見せられるという嬉しい驚きに出会います。
 言うまでもありませんが、総領事とギー兄さんの旅行はあくまでもフィクションです。この父と息子に、大江自身が家族と宿泊したにちがいないホテルを訪ねさせて、ヒカリさん=大江光さんのCDと出会わせるところに、父の息子への深い愛情が窺われます。
 おそらくこのCDとは、1992年に発表された『大江光の音楽』でしょう(添付図参照)
 
(5)  「永遠」に対抗しうる「一瞬」
 「一瞬よりはいくらか長く続く間」
 人生に喜びや意味を与えるのは、決してその長さではない。大切なのは、魂が喜びとも感動とも呼べるような何か強く深く濃密なものに満たされている感覚に打たれるような時間――それがどれほどわずかな持続であれ、少なくとも一瞬よりはいくらかは長く続くわけです――を経験できるのかどうかなのだ。
 

 以下は、後に書きます。

(6)   世界の息が吹きとおる時間
(7)   死者とともに生きる
(8)   全体に包まれる個
(9)   ドストエフスキーの遠いこだま
(10)兄と姉、女と男、母と父
 


<出典>
小野正嗣(2019/9)、大江健三郎『燃えあがる緑の木』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)


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