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(K0413) 「世界一孤独な日本のオジサン」(3)② <社会的健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k04133.html
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<A>
6/14の神戸新聞に、「5つ教えて3つ褒め、2つ叱ってよき人にせよ」という、二宮尊徳の言葉が掲載されていたそうだ。
私の解釈: 叱ってばかりではなく、褒めることも大切。「褒めて育てよ」という言葉がある。しかし、褒めてばかりも駄目。両方必要で、かつ、「褒める」が「叱る」より少し多いぐらいが、ちょうどよい。
<B>
Facebook友達の木南
武志さんが、<A>の紹介につづけて、書き込んでいた。
===== 引用はじめ
「褒めて育てる」が進んでいますが、30歳超えて自立しているはずの社員に、まだ「褒めて育てる」の? 教えることや、2つは叱ることも忘れずにしたいものです。2つ教わって、5つ考えて、3つ叱られてきました。みんな、そうですよね?
===== 引用おわり
なるほど。
私の解釈: 2つ教わって、2つだけ考えているのでは駄目。教わらなくても、3つは自分の頭で考えよ。そうやって5つ考えるが、あとの3つは「教えていないのに、なんでそんなことを考えるのか」と叱られるかもしれない。それでも、教えられないことも考えていこう。
<C>
二つとも正しいが、<A>は教える側の論理、<B>は教えられる側の論理だと思う。そして二つを融合すると、新しい教えが出てくる。
教える側にも<B>の論理が必要だ。相手が考えるべきことが5つあっても、教えるのは2つにとどめ、あとの3つは本人が気づくのを待つ。ヒントは必要かもしれない。機が熟するのを待つことも必要だろう。教えたことだけを考えよというのは、パターナリズム(強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう)になりかねない。
相手が自分の翼の中にいるときは困らないかもしれないが、翼からはなれ自ら大空を飛ぶようになったとき、「教えられたことしか考えない」では駄目。何を考えねばならないかを自分で探し出すことが必要になり、その訓練はしておかねばならない。
<D>
もう一つ、気になった。
「5つ教えて3つ褒め、2つ叱ってよき人にせよ」は、表面的なことしか書いていない。その裏に「無条件の愛」「100%の受容」が必要だろう。「褒めても叱ってもうまくいかない」時は、自分の心の中に「無条件の愛」「100%の受容」がしっかりあるか、点検してみるとよいと思う。
<ご参考>
「可愛くば 五つ数えて 三つほめ 二つ叱って 良き人となせ」というのもあるそうだ。『数えて』である。
「子どもがかわいいと思ったら、叱るときでも、一呼吸おいて、まずよいところを三つみつけて、それをほめる。そしてそのあと、二つくらいの割合で、叱れ」という意味らしい。
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