◆ 最新投稿情報
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(K0400) 将来の認知症に備える(10) 後見と民事信託の関係(2) <脳の健康><後見と電話相談>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0400-102.html
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Facebook友達の松本
桂樹さんが、「なるほど!」と思う投稿をされた(2018/06/01)。
全文、引用させていただく。===== 引用はじめ
「自分で考えて行動しなさい」というメッセージを目にすることがあります。このメッセージを受け止めたとき、このメッセージ内容を実現することは不可能になります。
似たようなメッセージに「自発的に進めなさい」「能動的に動きなさい」というものもあります。そのメッセージを受けて動いた時点で、自発や能動は達成されません。
相手に対して自発性や能動性、主体性や自律性を求める側の心境って、どんなものなのでしょうか。「自分で片付けて!」と子どもを叱る母親の心境に似るのでしょうか。
社会構成主義の視点は、こういったダブルバインドのメッセージに目を向けさせ、かつ解明しようと方向づけてくれます。自分で考える手助けをしてくれるように思います。
===== 引用おわり
ロジックとして、興味深く、納得できる。モヤモヤとしていたものがスッキリした。
まさに「ダブルバインド」であって、この指摘は正しいと思う。
ここからスタートして更に考えると、この正しさの向こうにもう一つ別の世界があるのではないかと思った。
「自分で考えて行動しなさい」というメッセージは『指示』なのだが、『気づき』と位置付けると、別の世界が現れる。
「自分で考えて行動しなさい」というメッセージを受けた人が、そのメッセージを契機として『自分で』『自発的に』『能動的に』「自分で考えて行動していなかった」と気づいたとしたら、それは『指示』として発信されたメッセージであっても、『気づき』として受信できる可能性がある。
コミュニケーションにおいては、発信された情報が、そのままの形で受信されないことがよく起こる。
発信する側が『指示』『気づき』のどちらで発信しようとも、受信側の自らの感性により『自分で』『自発的に』『能動的に』、『気づき』として受信することは可能だろう。
また、発信する側として、受信側が『気づき』として受信しやすいように、『指示的』でなく『気づき的』に発信する余地はあるだろう。
例えば、「あなたは、自分で考えて行動しているのですね」とあえて意図的・非指示的・肯定的に投げかけた結果、相手に「実は、自分で考えて行動していないのではないか」という「気づき」が発生することも、起こり得るだろう。
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