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2018年6月6日水曜日

(1261) 「90歳。何がめでたい」

 
      最新投稿情報
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(K0402)  自治体に広がる終活支援<終活>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0402.html
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 前回引用したが、佐藤愛子さんの「90歳。何がめでたい」という本はインパクトがある。工藤美代子さんは「邪魔者扱いするくせに"めでたい"とはなにごとだ」と題して、書評を書いた(「サンデー毎日」81421日合併号)。その一方、辻村深月さんは「九十歳。それでもめでたい」と題して、書評を書いた(「女性セブン」81825日合併号)。(共に2016年?)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09396537
 

 本の影響もあってか、「私の誕生日はめでたくない」という年配の方が増えたようだ。私はそういう言葉を聞くと、何故か寂しさを感じる。


 ある勉強会で次のような話を聞いた(聞き覚えなので正確ではない)。

===== 引用はじめ
 この前、80歳になった方に「お誕生日おめでとう」と言ったら、「子供じゃない。この年になって誕生日はめでたくない」と言い返されました。
 私は、「いろんなことがあっただろうけれど、ともかくこの一年生きてきて誕生日を迎えられた。そのことに私は“おめでとう”と言ったのですよ」と説明しました。
===== 引用おわり
 

 何故「誕生日おめでとう」と言われたくないのだろうか。想像してみた。

  邪魔者扱いするくせに“めでたい”とはなにごとだ
  人の苦労も知らずに“めでたい”と機械的に言うな
  生きているのがしんどいのに、まだ死ねずに誕生日を迎えてしまった。めでたくはない
  私はいつまでも若いままでいたい! 1歳、歳が増えるのは悲しいことなのに
  子供扱いするものではない
  今更、てれくさい
・ はやっているから、格好いいから


 こういうことなのかな? 私は違うな。
 

 前の誕生日から1年間、死なずに生きてきた。まだ私には、なすべきことが残っているのだろう。今、生きていることに感謝したい。
 
 「お誕生日おめでとう」と言ってもらったら、私は単純にうれしい。それを、うれしく感じられる私は幸せ者だと感謝している。


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