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(K0402) 自治体に広がる終活支援<終活>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0402.html
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前回引用したが、佐藤愛子さんの「90歳。何がめでたい」という本はインパクトがある。工藤美代子さんは「邪魔者扱いするくせに"めでたい"とはなにごとだ」と題して、書評を書いた(「サンデー毎日」8月14・21日合併号)。その一方、辻村深月さんは「九十歳。それでもめでたい」と題して、書評を書いた(「女性セブン」8月18・25日合併号)。(共に2016年?)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09396537
本の影響もあってか、「私の誕生日はめでたくない」という年配の方が増えたようだ。私はそういう言葉を聞くと、何故か寂しさを感じる。
ある勉強会で次のような話を聞いた(聞き覚えなので正確ではない)。
===== 引用はじめ
この前、80歳になった方に「お誕生日おめでとう」と言ったら、「子供じゃない。この年になって誕生日はめでたくない」と言い返されました。私は、「いろんなことがあっただろうけれど、ともかくこの一年生きてきて誕生日を迎えられた。そのことに私は“おめでとう”と言ったのですよ」と説明しました。
===== 引用おわり
何故「誕生日おめでとう」と言われたくないのだろうか。想像してみた。
・ 邪魔者扱いするくせに“めでたい”とはなにごとだ
・ 人の苦労も知らずに“めでたい”と機械的に言うな・ 生きているのがしんどいのに、まだ死ねずに誕生日を迎えてしまった。めでたくはない
・ 私はいつまでも若いままでいたい! 1歳、歳が増えるのは悲しいことなのに
・ 子供扱いするものではない
・ 今更、てれくさい
・ はやっているから、格好いいから
こういうことなのかな? 私は違うな。
前の誕生日から1年間、死なずに生きてきた。まだ私には、なすべきことが残っているのだろう。今、生きていることに感謝したい。
「お誕生日おめでとう」と言ってもらったら、私は単純にうれしい。それを、うれしく感じられる私は幸せ者だと感謝している。
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