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2016年12月23日金曜日

(731) 弔電 / 時を紡ぐ(1)


365 + 366 = 731 (2016年は、閏年)

今回は第731回。1回/1日のペース。
今日で丸2年が終わった。

明日から3年目に入ります。
いつまで続くやら…、わかりません。


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それ以前は、Facebookのみ。

 
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(731) 弔電 / 時を紡ぐ(1)

 
疑問:

告別式を終えて、弔電が話題になった。
叔父さん・伯父さんのお葬式に

弔電を打った甥・姪と
打たなかった甥・姪とがいた。

その違いは何か?

 

考えたこと:

子供の時から墓参りや法事に

連れて行ってきたか
連れて行ってこなかったか

の差ではないだろか。

 

先祖 → 我々 → 子孫
という自分の生を超えた時の流れを

感じ取るか
感じ取らないか

の差ではないだろうか。

 
これは、教えられて頭の中で理解するものではなく、
体験の中から感じ取るもののように思われる。

 

「時を紡ぐ」ご参考

===== 引用 はじめ

Question

『紡ぐ』と言う言葉がありますが本当は『糸を紡ぐ』ってのが本当の意味ですよね?

時を紡ぐ、時代を紡ぐ、夢を紡ぐという使い方をされていますがどんな意味になるのでしょうか?

 

Best Answer

繊維をよって糸を作るのと同じように、様々な要素を織り交ぜながら、時代の姿を作り出して行く、夢の姿を作り出して行く。と、喩えているんです。

紡ぐのは、地味で根気のいる仕事ですから、特に「夢を紡ぐ」の場合は、逆境にも負けず、一人で将来の夢を描きながら逆境を生きぬいて行く姿がイメージされますね。

===== 引用 おわり

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