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(K1461) 「認知症の語り」(001) <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1461-001.html
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主観的規範が破られたときに、怒ります。私の主観的規範に反することをしたとき、怒りがこみあげてくるのです。そして、その怒りは、行動せずに心に抱いているだけでも、人間関係を壊してしまいます
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NHK 連続テレビ小説 「あぐり」の再放送(BS プレミアム 朝7:15 – 7:30)を観ているのですが、主人公のあぐりは、困っているけれど、怒りません。不思議だなと思っていたのですが、やっと謎が解けた気がしました。
あぐりは、女学生のうちに結婚し、夫の家で同居し、子ができました。しかし、夫(エイスケ)は、東京に行ったまま。舅と、姑は優しいが、自分本位。子育ては、姑がとってしまう。小姑は、実家にしばしば帰り、嘘を言ってまで嫁(あぐり)をいじめます。
困った顔をするあぐりですが、怒りません。「あぐりに規範がない」というのが、私が考えた理由です。
「上司は…であるべき」「部下は…であるべき」「夫は…であるべき」「姑は…であるべき」…これが規範です。正確に言うと、主観的な規範が、あぐりにはないのです。世の中に出回っているのが客観的規範、各人が自分の中で勝手に作っているのが主観的規範です。恵まれた家庭に育ち、15歳の女学生のまま嫁いだあぐりは、素直な性格もあって、主観的規範がないまま、子を産んだのです。主観的規範がないあぐりは、起こったことをそのまま受け止め、困ったなと思います。
ひるがえって私は、主観的規範をたくさんもっています。そして、その規範が破られたときに、怒ります。「友達なら…すべき」という主観的規範があって、その友達(と思っている人)が、私の主観的規範に反することをしたとき、怒りがこみあげてくるのです。そして、その怒りは、行動せずに心に抱いているだけでも、人間関係を壊してしまいます。
ならば、意識しないままに身に着けてしまった主観的規範を、意識して捨ててしまえば、怒らなくてすむのではないでしょうか。
それでも、理不尽なことが起こると、感情が高まり、心が揺さぶられます。これを否定してはいけない、この心の高ぶりは、時に攻撃的になるかもしれないが、先に述べた主観的規範から生まれた怒りとは、異質のものです。
その感情の高まりをぶつけ合い、そして文字通り、泣いたり笑ったりして生きていけばよいのではないでしょうか。この泣きも笑いも、生きている証であり、死ぬまでついてまわり、それはそれでよいのではないでしょうか。
なんだか、現在進行中の「おちょやん」の世界には入ってきました。
添付図は、
https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/90000/443430.html
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