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2021年4月18日日曜日

(2307)  渋沢栄一『論語と算盤』(3-3) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1448)  60代就労、制度の変更 <高齢期の仕事>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1448-60.html

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1924年にアメリカで成立した「排日移民法」は、日米関係の悪化を決定づけた。民間外交により両国の関係改善を試みた渋沢は「日本国際児童親善会」を設立、日米の子どもたちが人形を贈りあう事業を支援した

☆☆

 

第3回  19日放送/ 21日再放送

  タイトル: 「合本主義」というヴィジョン

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1)   資本主義とは何が違うのか

(2)   ビジネスは社会を豊かにする手段

(3)  「公益に資する経済活動」とは

(4)   百年後によみがえった渋沢の思想

 

(5)   封建体制への反発

(6)   武士の精神に学べ

(7)   異文化と接するときの心構え

(8)   立場によって変わる「公益」

(9)   争いの是非

 

(10) 元祖・社会起業家

(11) 社会事業で公益を追求

(12) 渋沢栄一と岩崎弥太郎

(13) 公益のために「適材適所」を

(14) 無私を貫いた渋沢栄一

 

【展開】

(1)   資本主義とは何が違うのか

(2)   ビジネスは社会を豊かにする手段

(3)  「公益に資する経済活動」とは

(4)   百年後によみがえった渋沢の思想

(5)   封建体制への反発

(6)   武士の精神に学べ

(7)   異文化と接するときの心構え

(8)   立場によって変わる「公益」

(9)   争いの是非

 以上は、既に書きました。

 

(10) 元祖・社会起業家

『わたしは常に、事業の経営を任されるにあたっては、その仕事が国家に必要であって、しかも道理と一致するようにしていきたいと心がけてきた。たとえば、その事業がどんなに小規模であって、自分の利益が少なくても、国家に必要な事業を合理的に経営するなら、心は常に楽しんで仕事ができる。』

 渋沢がかかわった会社は約五百ありますが、渋沢本人に給料が支払われていたのは第一国立銀行だけで、ほかはおそらく無給でした。給料はもらわなくても、新しい会社の設立にかかわる時には、その会社の株を所有し、会社が成長して株価が上がると、その株を売却します。そして、得られた利益は、自らの懐に入れるのではなく、次に設立する会社の原資に使っていました。

 

(11) 社会事業で公益を追求

 渋沢が自ら行っていた公益への貢献は、実業界での活動にとどまりません。

 渋沢は「実業家」のほかに、まさしく公益に直接資する「社会事業家」という顔を持っていました。実業界での活動と並行して、渋沢は、会社よりも多くの約六百の社会事業にかかわりました。しかも、数えで七十歳のときに基本的に実業界から退いた後も、社会事業には死ぬまでかかわり続けたのです。

 渋沢は晩年になって、悪化していた日米関係の改善にも力を注ぎました。すでに高齢だった渋沢は、何度も渡米し、大統領や大統領経験者に会い、日米の関係改善に努めています。

 さらに、関東大震災後には、東京の復興支援にも奔走します。

 

(12) 渋沢栄一と岩崎弥太郎

 岩崎弥太郎は、三菱財閥の基礎を築いた人物として知られています。渋沢と岩崎は、明治の実業界で活躍したという点では共通しているのですが、経営や経済に対する考え方は、まるで違っていました。

 岩崎は渋沢に「二人で事業を独占しよう」という誘いを持ちかけました。二人が手を組めば、さまざまな事業を独占的に推し進め、多額の利益を得ることができたでしょう。

 しかし、より多くの人が豊かに、幸せになる経済体制を目指していた渋沢にとって、一部の人間が利益を独占するような経済体制は、自らの志に反するため、受け入れるわけにはいきません。渋沢は、市場の競争を奪う独占を許すことはできなかったのです。

 

(13) 公益のために「適材適所」を

『わたし渋沢は、渋沢の心をもって、自分と一緒にやっていく人物に相対するのである。その人を道具にして自家の勢力を築こうとか、どうだとかという私心は毛頭持ち合わせていない。ただ、わたしの素直な気持ちとして、適材を適所に得たいと考えているのである。適材が適所で働き、その結果として、なんらかの成績をあげることは、その人が国家社会に貢献する本当の道である。それは、わたし渋沢が国家社会に貢献する道ともなるのである。

(中略)渋沢の下にいては舞台が狭いというのなら、すぐにでも渋沢と袂を分かち、自由自在に海原のような大舞台に乗り出して、思うさまやれるだけの働きぶりを見せてくれることを、わたしは心より願っている。』

 

(14) 無私を貫いた渋沢栄一

『お金は社会の力をあらわすための大切な道具でもある。お金を大切にするのはもちろん正しいことだが、必要な場合にうまく使っていくのも、それに劣らずよいことなのだ。よく集めて、よく使い、社会を活発にして、経済活動の成長をうながすことを、心ある人はぜひとも心がけて欲しい。』

 「渋沢栄一を実業家と呼んでもいいのか」という議論があります。そもそも、渋沢には、実業家に必要な大きな要件「自分が儲けたい」という動機が欠けているからです。渋沢は自分が儲けるためではなく、日本を強く繁栄した国にしたいという思いで活動をしました。「近代日本の設計者であり運用者である」と考えるのがおそらく正解なのだと思います。


<出典>

守屋淳(2021/4)、渋沢栄一『論語と算盤』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

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