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2019年1月14日月曜日

(1482)  現代病 (3) 「絆欠乏症」(あるいは中毒)

 
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(K0623) 「ウォーキングサッカー」高齢者・障害者健康増進に <インクルーシブ社会>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/01/k0623.html
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 少し減ってきた来たと思いますが、特に東日本大震災の時に、「絆」という言葉が盛んに使われていました。私は、ずっと違和感がありました。
 

 意味があるという意見もあります。

===== 引用はじめ
 (絆と言う言葉を使った)キャンペーンとしては良かったと思います。東北の人たちと「つながらなきゃ」というある種の強迫観念を持った言葉だったので。ソーシャルネットワークをうまく活用出来た一部の被災者は今でもつながりを持っています。
===== 引用おわり
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9026?page=2
 

 その一方、次のような意見もあります。

===== 引用はじめ
 「もう「絆」なんて、タダの建て前の偽善でしかないということが被災者や被災地もとっくに理解していると思います。東北の人達は逆に気を遣っているのでしょう。管理人は、この1年を機に「絆」などという安っぽくて偽善に満ちた空虚なだけの言葉を使うことはやめるべきだと思います。「 困った時はお互い様」の精神がこれほど欠落している中での「絆」なんてありえない、ただの絵空事でしかないのですから。」
===== 引用おわり
https://ariesgirl.exblog.jp/17950276/
 

 現地に、反発する声もあります。

===== 引用はじめ
 福島の人から取材中に「絆って言葉が嫌いだ。絆は、そもそも家畜などをつないでおく綱のことだ」と言われました。そこで「絆」の語源を『大辞苑』(小学館)で調べると「馬などの動物をつないでおく綱」と書いてあった。
===== 引用おわり
 

 「絆」には「つながる」という意味もあり、もちろん、そのような意味で言っているのだとは思いますが、現地の方が反発するのは、語源がどうのこうのというより、「絆」という言葉を言っている人に、偽善を感じるから「嫌いだ」と言うのだと思います。
 
 中には、自分自身に存在感が無い、連帯感がない、自分自身に「絆」がないために、「絆」を強く主張している人もいるのではないでしょうか。具体的な支援はしなくても、「絆を大切に」と口で言っておけば、一応の格好はつきます。そういう人たちが、結構多いような気がします。
 
 
 被災された方に寄り添いながら、良い意味でのつながりをもった活動をされている方は、素晴らしいことであり、その方々が「絆」という言葉を使うとするなら、その「絆」は良いものだと思います。

 
 一方、「絆、絆」と安易に言う人、「絆」と言うだけ言うが何もしない人、インタビューマイクを向けられると「絆」という言葉を使うがそれが終わったら「絆」を忘れてしまう人、それらの人の使う「絆」を本物ではないと思っています。
 

 本当に「絆」を知っている人、困っている方々に本当に「絆」でつながっている人、彼らは「絆」と言葉に出さず、ただ、つながっていこうとするでしょう。「絆」は実行するものであって、語るものではないと思います。
 


<出典>
東日本大震災から6年、「絆」とは何だったのか
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9026

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