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2020年1月29日水曜日

(1860)  価値観に従うが、価値観に囚われない / イッテンイチナナカラ(4)

 
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(K1001)  シニア就労のための環境 <高齢期の仕事>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/01/k1001.html
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 (1858)からの続きです。
(1858)  「タニンゴト」と「ジブンゴト」との狭間で / イッテンイチナナカラ(3)
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/01/1858-3.html
 
☆☆
価値観が伴わないと、震災支援を継続できない。しかし、「震災支援すべき」「ジブンゴトにすべき」「感受性は強くあるべき」と「べき論」がはびこると、おかしくなる。「価値観に従うが、価値観に囚われない」
☆☆
 
 震災支援を続けているということは、それがその人の価値観に合致しているからだと思います。しかし、続けていると、価値観に囚われる人も出てくるようです。
(注) 今回、感じたことではなく、私の経験を踏まえた、一般論です。
 
(1) 「震災支援をすることは良いことで、震災支援をしないのは悪いことだ。震災支援すべきだ」
 ときどき、こういう人がいます。熱心なのは良いのですが、どんなものでしょう。

(2) 「ジブンゴトは良いが、タニンゴトは悪い。タニンゴトではなくジブンゴトにすべきだ」
 「すへきだ」と言われて、ジブンゴトになる訳ではありません。

(3) 「感受性が強いことは良いことで、感受性が弱いのは悪いことだ。感受性が弱い人は強くすべきだ」
 感受性が弱いことは悪いことではありません。一つの性格です。
 
 いずれも、他人に向かうと、批判的あるいは指示的になってしまうことがあります。こうなってしまうと、周囲に不満が蓄積し、人が去って行きます。自分に向かうと、傲慢になったり(私は凄いだろう)、自己卑下や自己否定になったり(できない私は良くない)することもあります。
 
 良い意味で「いいかげん」(良い加減)を大切にしたい。
 
続く(連続でなく)
 
添付図は、

https://www.fleapedia.com/五十音インデックス/い/いい加減とは何か/

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