容認できない現実を突きつけられた時、二つの対処があります
① 「容認できない現実」を変えようとする
② 「容認できない現実」を前提とし、価値観を再構築しようとする
例えば、大病や事故で元の健康な体に戻れなくなったとき、出世街道から外され出世の道が絶たれたとき、等です。あるいは、加齢に伴い否応なく体の衰えを自覚させられたときも含みます
先ずは①の努力をしますが、限界があります。その時に②への移行が必要になります。価値観再構築に成功するか、失敗するか、がその後、その人が幸福になれるかどうかに、大きく関わります
(2608)で述べた“「確立している」は、「変わらないこと」とは違います。価値観は確固としていてかつ柔軟で、絶えず見直され、進化を止めません”は、このことです。自分の置かれる環境は変わっていくので、価値観もそれに応じて見直していかねばなりません
「Beingな生き方」と「Doingな生き方」とのどちらを選ぶかは幸福になれるかどうかにあまり関係せず、価値観を再構築できるかどうかが、決定的な意味をもつようです
これをうまく出来る人と、出来ない人がいるようです。私の観察によれば、「私の生き方が正しい、貴方の生き方は間違っている」といった態度で生きてきた人には難しく、「私は私の生き方で生きていきたいが、貴方には貴方らしい生き方があるのね」という態度で生きてきた人は、自分の価値観を再構築しやすいようです。他人に寛容な人は、自分にも寛容になれます
前回の(2609)に当てはめると、次のようになります
① 競争原理を価値観の中心におく人はそれでよい(そうでない人もそれでよい)
② 競争原理で勝ち組となった人は、その価値観を維持してよい
③ 競争原理で負け組になった人は、苦しくとも勝ち組を目指し続けるか(幸福度が低いまま続く)、価値観を再構築する。価値観の再構築に成功した人は、幸福になる
④ 競争原理で勝ち続けた人も、リタイヤした時点では価値観の再構築をしなければならない。それに失敗した人は、幸福度が下がる
このうち④に失敗し、自ら晩年を穢す人がとても多くいます。「老害」と呼ばれる人たちです。その自覚がないと、救いがたい存在になります。出世した人ほど危ない
今の自分の価値観をとことん吟味し納得しておれば、他者の価値観が自分のとはちがっていても、その価値観を尊重し、また、異なる価値観を泰然として受け容れることができます。その人は、自分の価値観の再構築が必要になった時に柔軟に対処できるでしょう
勝ち組になり、その時に負け組をバカにしていた人は、ほぼ確実に④で失敗すると思います。バカにしていた対象に今度は自分がなってしまい、それを認めたくないから「老害」をまき散らし続け、そのため周囲から疎まれていくからです
0 件のコメント:
コメントを投稿