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2018年6月7日木曜日

(1262)  私における「目標」と「使命」

 
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(K0403)  不安な気持ちから「嫉妬妄想」 <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0403.html
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 前回のFacebook(1261)で、「何を目標に生きて行くのかまだ見えません。寿命は亡き親父の年を越えるという目標をイメージしています。しかし、その年が近づいております。」というコメントをいただいた。


 よい機会をいただいたので、考えてみた。
 
 私は、「外に目標を置いてそれに向かって進む」という生き方はしていない。前回「なすべきことが残っている」と書いた。別の言葉でいうと「使命」だろうが、「では、あなたの使命は何ですか?」ど、大上段に聞かれると困ってしまう。



 あらためて、自分が何をしようとしているか考えてみた。二つあるのではないか。
 
   眼の前に困っている人がいたら助ける
   困っている個々の人を助けるだけではなく、仕組みとして対応したい
 

 この二本立てのような気がする。

 このうち①については、たまたま困っている人に出会って行動することもあるが、自分から困っている人に出会うように動いてもいる。市民後見人が、その一つ。

 ただ、①だけでは「モグラたたき」になる。問題が起きてからの対応になる。また基本的に一対一対応になるので、影響を与えられる範囲は狭い。②だと、多くの人に役立てる可能性がある。対症療法ではなく、根本的な予防・治療になるかもしれない。創生塾で挑戦した「住民の孤立化防止」の試みが、その一つ。
 

 また、①については、「ここまで行く」という目標はない。続けられる時まで、一つ一つの行動を積み上げるだけ。

 一方、②については、課題を見つけて、できる範囲で動いている。見つかった課題に対して、短期間の計画は立てるが、その先どうなるかは見えていない。少し進んだら、そこでちょっと立ち止まって、次を考える。死ぬまでにどこまで行けるか、さっぱり分からない。「準備」ばかりしていて、結局、何の役にも立たず、終わってしまうかもしれない。それが私の実力なら、やむを得ない。
 



 「大きな目標を設定して、そこに向けて進む」のではなく、「小さなゴールを設定して、そこに向かう」。Better を積み上げようとしているのだろう。
 
 どちらかというと、やりたいのは②。でも①がないと頭で考えるだけの②になってしまって、そこに自己満足はあっても、世の中の役に立つかは怪しい。それでは虚しい。また、②だけだと、結局何の役にも立たず終わってしまうかもしれない。①は小さいけれど、確実に役に立っている。
 

 う~ん、こう書いてくると「(誰かを)助ける」「(誰かの)役に立つ」がキーワードかな。人によって、キーワードは違う。
 
 他の方に「あなたも、こういう生き方をしなさい」と勧める気持ちはない。多くの人が選びそうな生き方ではない。私がどうしているかを整理しただけである。
 

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