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2018年6月23日土曜日

(1277)  われ反抗す、ゆえにわれら在り / アルベール・カミュ『ペスト』(4-2) / 100分de名著

 
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第4回  25日放送/ 27日再放送

  タイトル: われ反抗す、ゆえにわれら在り
 
Eテレ。
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【第4回の目次】

(1)   共感と幸福――夜の海水浴
(2)  タルーの最後の戦い――いまこそすべてはよい

(3)  記憶による勝利
(4)  (ノン)という人間――『ペスト』から『反抗的人間』へ
 

【展開】 今回の投稿は、(3)(4)
 
(1)  記憶による勝利
 
A)   リウーの死と残された者の責務。記憶による勝利

 勇敢な戦いもむなしく、激しい熱と咳、吐血と痙攣の末、タルーは息絶えた。
===== 引用はじめ
 タルーは自分でいったとおり、勝負に負けた。しかし、リウーは何を勝ち得たのか? 彼が勝ち得たのは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを忘れないこと。友情を知ったこと、そしてそれを忘れないこと。愛情を知ったこと、そしていつまでもそれを忘れないにちがいないということだ。ペストと生命の勝負で勝ちえたものは、認識と記憶だった。
===== 引用おわり
 いまリウーの心に残るのは、「ひとつの生の温かみと、ひとつの死の面影」だけだが、その認識と記憶で充分なのだと彼は悟った。
 

B)   何のためにこの物語を書いたか

 医師ベルナール・リウーは、自分がこの記録の作者だと告白した。
===== 引用はじめ
 そして医師リウーは、ここに終わりを迎える物語を書こうと決心したのだった。沈黙する者たちの仲間にならないために、ペストに襲われた人々に有利な証言をおこなうために、せめて彼らになされた不正と暴力の思い出だけでも残すために、そして、ただ単に、災厄のさなかで学んだこと、すなわち、人間のなかには軽蔑すべきものより賞賛すべきもののほうが多い、と語るために。
===== 引用おわり
 

C)   小説の結び

===== 引用はじめ
 ペスト菌はけっして死ぬことも、消滅することもない。数十年間も、家具や布製品のなかで眠りながら生きのこり、寝室や地下倉庫やトランクやハンカチや紙束のなかで辛抱づよく待ちつづける。そして、おそらくいつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、どこか幸福な町で死なせるために送り込むのである。
===== 引用おわり
 

D)   ペストという災厄が表すもの

 「決して死ぬことも消滅することもない」ペストという災厄が表すものは、天災のみならず、戦争をはじめとする人間の作り出す不条理も含んでおり、すなわち、人間から自由を奪い、人間に死と苦痛と不幸をもたらすものすべての象徴である。
 
 

(2)  (ノン)という人間――『ペスト』から『反抗的人間』へ
 
A)   『異邦人』『ペスト』『反抗的人間』

   1942年刊行『異邦人』:不条理の第一段階。不条理の認識は自分だけのものだと思い込んでしまい、それによって世界とのつながりを絶ってしまった
   1947年刊行『ペスト』:不条理の第二段階。同じように不条理に苦悩し反抗する人間たちと連帯する可能性がある
   1951年刊行『反抗的人間』:『ペスト』にその萌芽あった反抗と連帯のテーマを、思想的に発展させた
 

B)   デカルトとカミュ。「われ反抗す、ゆえにわれら在り」

   デカルト:「われ思う、ゆえにわれ在り」
   カミュ:「われ反抗す、ゆえにわれら在り」

 単なる思考ではなく、世界のあり方に反抗し行動することが、我々の存在の証となるから、「われ思う」は「われ反抗する」となる。
 あらゆる人間が同じように反抗することで、連帯することが可能になるので、単数形だった「われ在り」が複数形の「われら在り」に変わる。
 

C)   サルトルとカミュ

 カミュは『反抗的人間』で、革命の歴史に内在するニヒリズムや暴力ばかりでなく、イデオロギーによって神格化されたマルクス主義そのものにも、反抗する立場を打ち出したため、サルトルとの間で論争を生んだ。
 カミュの思想は、強権的な政府が、“上から目線”で人民を指導し幸福にするという共産主義とは逆に、個々の人間の自由を基本に置くものだった。
 
 共通点:世界が不条理であり悲惨であるという現実をまず直視するという点で、サルトルとカミュは同一の地平から出発していた。
 相違点:
  サルトル:最終的に政治的人間になることを選んだ。革命をふくむ政治的手段による、より良き未来の社会建設というものを信じた
  カミュ:文学的人間にとどまった。革命などの理念が不可避的にもたらす暴力の悲惨さから目をそらすことができなかった
 
 サルトルによる舌鋒鋭い批判は論理的に厳密だったので、直感的で詩的な表現に頼るカミュは、きわめて不利だった。カミュはサルトルとの論争に敗北した形となり、政治的に孤立し沈黙してしまった。サルトルから「裁かれた」ことに傷ついた。
 

D)   ノーベル賞受賞(1957年)、死亡(1960年)

 43歳という異例の若さでのノーベル賞受賞は、文学者カミュにふたたび活力をあたえる出来事だったが、自動車事故で突然その命を絶たれてしまった。
 

<出典>
中条省平(2018/6)、アルベール・カミュ『ペスト』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付写真:1958年のカミュ。友人ミシェル・ガリマールとカミュ。2年後この2人は事故死


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