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2016年8月26日金曜日

(611) 子供・若者育成


 824日に、滋賀県にて、二つの研修会に参加した

  平成28年度「子供・若者育成支援のための地域連携推進事業」 - 近畿ブロック研修会 (主催:内閣府)

  「平成28年度 近畿地区青少年育成アドバイザー研修会」 (主管:京都府青少年育成アドバイザー協議会)

 

  いくつかの「聞いたこと」「感じたこと」

(1)   子供・若者育成支援推進大綱(平成2829日決定)

聞いたこと:基本的な方針(5つの重点課題)は、「1.全ての子供・若者の健やかな育成」「2.困難を有する子供・若者やその家族の支援」「3.子供・若者の成長のための社会環境の整備」「4.子供・若者の育成を支える担い手の育成」「5.創造的な未来を切り拓く子供・若者の応援」である。

感じたこと:「2.困難を有する子供・若者やその家族の支援」の主役は、臨床心理士、臨床発達心理士、あるいは特別の訓練を受けた人たちであって、「青少年アドバイザー」の中にはそういう人もいるが、多数派はそうでない人たちだろう。人材という観点からいえば、「課題2」と「青少年アドバイザー」は、ミスマッチではないか

 
(2)   「京都府家庭支援総合センターのひきこもり支援

聞いたこと:青少年の社会的ひきこもり支援職親事業『職親』を使った連携を進めている。『職親』の目的は、「社会的ひきこもりから回復期にある青少年が自主的に取り組めるような、社会での就労体験の機会を提供し、もって、自立に向けた自信を取り戻させること」である。職親事業の流れは「相談行動を意識した相談面接見学職親体験就労」である。ただ、相談後いきなり見学に連れて行った若者が「キラキラ目」になり、大きく変容した事例もある。柔軟に対応していきたい

感じたこと:マニュアルは必要であるが、マニュアルの厳密適用は、個性の否定につながる。その若者の個性にあわせたマニュアルの運用が大切だろう

 

  私が思ったこと

(1)   「普通の子」を大切にすることも必要である

(2)   切れ目なく、分断することなく、個性を尊重することが大切である

(3)   親に寄り添うことの意義は深い

 

<各論>

(1)   子供・若者は、大きく「普通の子」「困難を有する子」の2層に分けられるのではないか。現在社会的な問題として意識されているのは「困難を有する子」であり、「子供・若者育成支援推進大綱」もそちらを志向している。しかしながら、だからこそ、「普通の子」を大切にしなければならないのではないか。「普通の子」を健全に育むことにより、「困難を有する子」を減らすことができるのではないか。「青少年アドバイザー」の得意分野はここにあり、ここで貢献することにより、社会に寄与できるのではないか

 
(2)   公的な制度はマニュアルに基づき運用それるのが原則であるが、それは、一人一人を枠に押し込めることになり、個性を否定することになるのではないか。また、対応する組織が複数あり、様々なところから様々なことを言われると、困ってしまう。「京都府家庭支援総合支援センター」はこのような課題に挑戦しようとしている。また、「一般社団法人 リージョナルネット」は、「中学生」を対象とする活動において、その対象を「中学生以上」とユニークに設定している。それは、中学生を卒業した時点で見放されることないようにするためである。発達過程において、一般的には制度は分担して対応しようとするので、切れ目ができたり、段差ができたりする。個々人は途切れなく連続して発達しようとしているのに、制度がそれを分断してしまう。それを和らげようとしての「中学生以上」である。一人の人間を分断することなく、各々の個性を尊重しようとするとき、制度にはどうしても限界がある。民間である「青少年アドバイザー」は、官ではできないこともできるはずである。民が官に協力することは必要であり、大切であり、それを否定するつもりはない。しかし、もしも民が「官の下請け」になり下がったら、それは民の自殺行為ではないか。官からは常に、「下請けになれ」と要請がくるものだ

 
(3)   切れ目なく、段差なく、個性を尊重するために、一人の子のために関連機関・担当者か集まり「カンファレンス」を開き、成功したという事例はある。しかし、それは本筋ではない。「大きな困難を有する子」を対象とし、そこで起こったことを分析し、その手法を明らかにすることは、研究しては有意義である。しかし、どうみても現場でそんなに人手はかけられない。多くの「困難を有する子」に対応しようとすれば、支援する人が先に壊れてしまう。そもそも「切れ目なく、段差なく、個性を尊重する」のは、親の役割である。「そうは言っても、実際にダメな親なので助ける」という親切心から出ているのであろうが、親の肩代わりはできない。他方、「親の支援として、働く親のために待機児童をゼロにしよう」という動きもあるが、一つ間違えると、親としての役割放棄に手を貸してしまう。ダメな親をどんどん作るのに忙しく、ダメな親を助けるのに忙しい。官としての仕事が増え、税金が増え、いたちごっこが繰り返される。民として親に寄り添うことの意義は深い。「青少年フドバイザー」が、困っている親に寄り添うことができれは、一つの立派な役割を果たしていることになると思う

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