===== ケース1
A:「逃げたい」
私:「逃げたらいいと思うよ」
しばらく考えて
A:「でも、私は逃げない」
私:「自分で決められて良かったね」
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実際にあったことを以上に簡略化して書いた。
以下は、私が想像して書いた。
===== ケース2
A:「逃げたい」
私:「逃げちゃいけないよ」
しばらく考えて
A:「でも、私は逃げる」
私:「自分で決められて良かったね」
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あくまで想像だが、ケース2も起こるだろうと、私は信じている。
その前提の下、以下に考察する。
考察1
Aは私にアドバイスを求めたのだろうか。そうとするなら奇妙なことが起こっている。折角アドバイスをもらったのに、逆の結論を出している。
考察2
Aは独り言を言ったのだろうか。でも独り言なら一人で言えばいい。わざわざ私に向かって言ったので、純粋な独り言はない。
考察3
私は「逃げたらいい」「逃げちゃいけない」の根拠を何も示していない。それなのに結論が出たのは何故か。
おそらく、「逃げたい」と言った時は、自分の中で「逃げたい」という感情が、出口のないままに渦巻き、感情に振り回されていたのだろう。感情だけで何も考えていなかった。しかし「逃げたらいい」「逃げちゃいけない」と他者の声で聞いて、具体的なシーンが自分の外に浮かび、思考が動き出したのだろう。
考察4
では、何故、思い描いたシーンとは逆の結論を出したのか。
「逃げる」「逃げない」のいずれを選んでも、「良いこと」と「悪いこと」の両方がある(そうでないなら、迷うことはない)。具体的にシーンを思い描いた次に、「悪いこと」が「良いこと」より優先されて思い浮かんだのだろう。それなら逆の結論を出した理由を説明できる。
考察5
ケース1・2がいつも起こるとは限らない。「良いこと」と「悪いこと」のどちらが優先されるかにより結論が変わる。
楽観的な人は「良いこと」を先に思い浮かべるだろう。順調にいっている時も「良いこと」が優先されるだろう。逆に絶望的な時に希望をもとめてあえて「良いこと」を先に思い浮かべるかも知れない。
考察6
ケース1でも2でも私は「自分で決められて良かったね」と言った。他意はなく祝福している。何せ、私が言ったのとは逆の結論を自分で出しているのだから、「自分で決めた」と言ってよいだろう。
しかし、私が「逃げたらいい」「逃げちゃいけない」のどちらを言うかにより結論が左右されるなら「自分で決めた」とは言えない。私の影響を受けて、Aの結論が変わる。また、その人の性格(「楽観的」「悲観的」)、「置かれている状況」や「置かれている状況に関する認識」に、無意識のまま左右される。
考察7
とはいえ、「逃げる」「逃げない」を自分で言ったのは、良いことである。どちらに決めても「良いこと」と「悪いこと」の両方が起こるだろう。
強制的に決めさせられたと感じているときは「悪いこと」が気になり、強制した人を恨むだろう。「悪いことが起こったのは、間違ったことを強制されたからだ」と思い、他責になって、自ら努力しなくなる。
自分で決めたのなら、人を恨めない。自責である。何が起ころうと自分で解決するしかないので、自分で解決しようとするだろう。自分で決めたことは良いことだ。
人間というものは、ややこしいものである。
それを理解し、説明しようとすると、とても、ややこしくなる。