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2016年6月30日木曜日

(555) 「逃げたい」と言う


===== ケース1

A:「逃げたい」
私:「逃げたらいいと思うよ」

しばらく考えて

A:「でも、私は逃げない」
私:「自分で決められて良かったね」

=====

実際にあったことを以上に簡略化して書いた。

 

以下は、私が想像して書いた。

===== ケース2

A:「逃げたい」
私:「逃げちゃいけないよ」

しばらく考えて

A:「でも、私は逃げる」
私:「自分で決められて良かったね」

=====

あくまで想像だが、ケース2も起こるだろうと、私は信じている。

その前提の下、以下に考察する。

 

考察1

 Aは私にアドバイスを求めたのだろうか。そうとするなら奇妙なことが起こっている。折角アドバイスをもらったのに、逆の結論を出している。

 

考察2

 Aは独り言を言ったのだろうか。でも独り言なら一人で言えばいい。わざわざ私に向かって言ったので、純粋な独り言はない。

 

考察3

 私は「逃げたらいい」「逃げちゃいけない」の根拠を何も示していない。それなのに結論が出たのは何故か。

おそらく、「逃げたい」と言った時は、自分の中で「逃げたい」という感情が、出口のないままに渦巻き、感情に振り回されていたのだろう。感情だけで何も考えていなかった。しかし「逃げたらいい」「逃げちゃいけない」と他者の声で聞いて、具体的なシーンが自分の外に浮かび、思考が動き出したのだろう。

 

考察4

 では、何故、思い描いたシーンとは逆の結論を出したのか。

 「逃げる」「逃げない」のいずれを選んでも、「良いこと」と「悪いこと」の両方がある(そうでないなら、迷うことはない)。具体的にシーンを思い描いた次に、「悪いこと」が「良いこと」より優先されて思い浮かんだのだろう。それなら逆の結論を出した理由を説明できる。

 

考察5

 ケース1・2がいつも起こるとは限らない。「良いこと」と「悪いこと」のどちらが優先されるかにより結論が変わる。

 楽観的な人は「良いこと」を先に思い浮かべるだろう。順調にいっている時も「良いこと」が優先されるだろう。逆に絶望的な時に希望をもとめてあえて「良いこと」を先に思い浮かべるかも知れない。

 

考察6

 ケース1でも2でも私は「自分で決められて良かったね」と言った。他意はなく祝福している。何せ、私が言ったのとは逆の結論を自分で出しているのだから、「自分で決めた」と言ってよいだろう。

 しかし、私が「逃げたらいい」「逃げちゃいけない」のどちらを言うかにより結論が左右されるなら「自分で決めた」とは言えない。私の影響を受けて、Aの結論が変わる。また、その人の性格(「楽観的」「悲観的」)、「置かれている状況」や「置かれている状況に関する認識」に、無意識のまま左右される。

 

考察7

 とはいえ、「逃げる」「逃げない」を自分で言ったのは、良いことである。どちらに決めても「良いこと」と「悪いこと」の両方が起こるだろう。

強制的に決めさせられたと感じているときは「悪いこと」が気になり、強制した人を恨むだろう。「悪いことが起こったのは、間違ったことを強制されたからだ」と思い、他責になって、自ら努力しなくなる。

自分で決めたのなら、人を恨めない。自責である。何が起ころうと自分で解決するしかないので、自分で解決しようとするだろう。自分で決めたことは良いことだ。

 

 人間というものは、ややこしいものである。
 それを理解し、説明しようとすると、とても、ややこしくなる。

(554) 信仰心と「心を支える希望」


 前回・前々回を書いていて、気にかかる言葉「信仰」が残った。

 
===== 引用はじめ P.129P.130

 … この支え(*) は、二つのものにありました。つまりそれは将来にあるか、永遠にあるかでした。後者は、ほんとうに宗教的なすべての人たちの場合でした。この人たちは、将来を支えにする必要もありませんでした。…

 それに対して、ほかの人たちは、将来の生活を支えにすることになりました。

===== 引用おわり
(*) 心の支え

 

3項目について考察する。

【1.  有信仰か・無信仰か ではない】

【2.  信仰の中身が違う】

【3.  最後に信仰に至ることもある】

 
 
***** 各論 *****
 
 
【1.  有信仰か・無信仰か ではない】

 これまで私は、「信仰がある」「信仰がない」を指標として論を進めた。しかし、これは正しかったのか。第一に気がかりになった点である。

 
 欧米では、キリスト教徒であるか否か、イスラム教徒であるか否か、あるいは信仰があるか否か、だいたいははっきりしている。

 日本では、熱心なキリスト教徒や仏教徒はいるが、大多数はそうではないだろう。では、その人たちが無信仰かというと、そうとは言いきれず、一神教とは異なるある種の信仰心をもっている(これについては後で述べる)と私は考えている。その強弱は、さまざまである。

 
 つまり、欧米では「信仰のある人は…、信仰のない人は…」と論を進めるのが良いが、日本では違うのではないか。「信仰心の強さが中程度の人を対象として、単に…ですと一度言い切る。そのうえで、信仰心の強い人は…という傾向があり、信仰心の弱い人は…という傾向がある、と一部修正記述をする」のがよいと思う。「信仰のある人は…、信仰のない人は…」と書くと、いずれも対象となる人は少なく、多くの人がどちらでもないので、どうすればよいかわからなくなってしまう。

 

【2.  信仰の中身が違う】

 一神教の欧米が日本人を見ると、信仰心がないように見えると思うが、それは信仰心のない欧米人と違う。

 
 「一神教の信仰のある欧米人」が示す徳目を、「一神教の信仰のない欧米人」は示さないが、「一神教の信仰のない日本人」は示す。

「キリスト教の7つの枢要徳を、英語で書いてください」という問に対する回答
を利用して説明する。
 
回答は、
Justice:正義、審判
Love:
Hope:希望、頼り
Prudence:思慮、賢明
Temperance:節制、自制
Fortitude:忍耐、精悍
Faith:信頼、信仰

「一神教の信仰のない日本人」で、この徳目を示す人が多くいる。「一神教でない信仰心」を、日本人がもっていると言ってよいのではないか。

 
 絶望的な局面とは、人の力ではいかんともできない場面であり、対抗するためには人を超えた何者かの関与を必要とする。「人を超えた何者か」は、欧米人にとっては神であり、日本人にとっては「自分を包み込み一体化する存在」ではないか。欧米人は神と契約し、日本人は「自分を包み込み一体化する存在」と共にある。形態は違うが、どちらも「信仰心」と呼んでよいのではないか。

 

【3.  最後に信仰に至ることもある】

 ホスピス(*1) に入所した人が、チャプレン(*2)(神父・牧師など)の話を聞き、人生の最期に洗礼を受けて安らかに亡くなる方も多いと聞く。ビハーラなら、仏教に帰依することもあるだろう。

(*1) ホスピス<デジタル大辞泉>: 末期癌(がん)患者など死期の近い病人を対象に、延命処置を行わず、身体的苦痛を和らげ、精神的援助をして生を全うできるように医療を行う施設
(*2) チャプレン<デジタル大辞泉>:学校・病院・軍隊など、教会以外の施設や組織で活動する聖職者
(*3) ビハーラ<wikipedia>:ビハーラ(vihāra)は、サンスクリット語で僧院、寺院あるいは安住・休養の場所を意味し、現代では末期患者に対する仏教ホスピス、または苦痛緩和と癒しの支援活動を差す。

 
 「信仰を得る能力」と言うものがあるなら、それは健康な時より病める時に高まり、平穏な時より苦難の時に高まる。人生の最期の時を過ごすに当たって、「日本人的な信仰心」にこだわることなく、キリスト教や仏教などの信仰心に移ることも選択肢に入るだろう。

 

 (532)(533)では、フランクルの枠組みを継承しながら「心を支える希望」について考察してきた。しかし、日本人に当てはめとき、日本人の信仰の特性を大切にするなら、また、違った展開になる。

2016年6月29日水曜日

(553) 心を支える希望<遠い未来がない場合>


 前回、「絶望的な境遇にあっても、心の支えがあれば、強く生きていくことができる。それは、希望をもつことによる」とした上で、信仰のない人においては「遠い未来に希望を置く」ことを提案した。

 しかし、「遠い未来に希望を置く」ことができない場合もある。

 
===== 引用はじめ P.135
 けれども、バラックの中で隣に寝ている人たち、しかも自分たちが死ななければならないこと、いつ死ぬかということ、死が近いことをかなり正確に知っていた人たちに対してどういえばよかったというのでしょうか。
===== 引用おわり

 
 フランクルは、自答した。

===== 引用はじめ P.136
 生きる意味、生き延びる意味に加えて、苦悩する、むだに苦悩する意味を、いいえ、それ以上に、死ぬ意味をも示されなければならなかったのです。

 もちろん、死ぬ意味がありうるのは、前回お話したように、「死を自分のものにすること」が大切だというリルケの言葉にあるような意味でだけでしょう。
===== 引用おわり

 
===== 引用はじめ P.137
 いずれにしましても、ひとりひとりが、とにかくどこかにだれかがいて、見えない仕方で自分を見ていて、ドストエフスキーがかつていった意味で「立派に苦悩に耐える」ことを求め、「死を自分のものにする」ことを期待しているとわかっていたのです。当時、だれもが、死が近くなると、そういう期待を感じたのです。
===== 引用おわり

 
 フランクルは、「死ぬという課題に対して、責任がある」と言う。
 
===== 引用始め P.136
 私たちは、この死ぬという課題に対して、生きるという課題に対してと同じように責任があるのです。その責任は誰に対する責任なのでしょうか。どういう審き手に対する責任なのでしょうか。 … たとえば、バラックの中で、ある人はこの責任を自分の良心に対して感じていたのかもしれません。べつの人は神に対して、またべつの人は離れたところにいるひとりの人間に対して、この責任を感じたかもしれません。このような相違は大した問題ではありません。
===== 引おわり

 
 死を直前にして何者か(フランクルにおいては自分の良心も含む)が近くに現れ、それに対して死ぬという課題に責任をもつ。


 フランクルの考えの説明はここまでとして、以下に、私の意見を述べる。

  

 「とにかくどこかにだれかがいて、見えない仕方で自分を見ていて」ということが起こる。自分と関わる他者、それも、具体的な人ではなく、感覚の中でのみいる他者であり、かつ自分に関心を示している。

 死を間近に控え、自分が縮小した隙間に何者かが現れ、自分に関わってくる。ここまでは、私も同じ考えである。

 
 しかし、フランクルによれば、
「立派に苦悩に耐える」ことを求め、「死を自分のものにする」ことを期待していくる。

 何を?というと、責任を果たすことを求め、期待してくる。ここが、フランクル的であって、日本人的ではない。ここは、フランクルにとって真髄の部分であって、ここ替えてしまうと、フランクルから離れてしまう。でも、やむをえない。

 

 日本人にとって、他国の人がどうかはわからないが、日本人にとっては、自分を包み込み一体化する存在だと思う。責任は求めてこない。

 
 それは、神や祖先かもしれないし、イデオロギーかもしれない。民族や歴史や自然かもしれない。ともかく永遠なるものであって、有限である自分を包み込み、自分と一体化する。ここで、自分は存在しなくなることは、ありえない。

 
 私がそう思うだけであって、「日本人は」というのは、無謀かもしれない。

 
出典
V・E・フランクル、「それでも人生にイエスと言う」、春秋社

2016年6月28日火曜日

(552) 心を支える希望


 絶望的な境遇にあっても、心の支えがあれば、強く生きていくことができる。
それは、希望をもつことによる。


希望を見い出せないような絶望的な状況で、
どのようにすれば、希望を抱き、心の支えを得て、強く生きていけるのか。

 
­­­===== 引用はじめ P.123P.124

 … 収容所の囚人は、収容所に入れられて数日のうちにもう、どんどん無感覚になっていきます。自分の身に起こる事柄にますます無感動になります。… そうなると、ひたすら、その日一日をなんとか生き延びることにだけ全力が注がれるようになります。

===== 引用おわり

 
===== 引用はじめ P.129

 典型的な囚人になってしまったのはいつでしょうか。その人が自分の心を埋没するままにまかせたのはいつでしょうか。その答えは、心の支えをなくしたときだ、心の支えがなくなったらすぐだ、という答えになるはずです。

===== 引用おわり

 ナチスの収容所の話である。このような境遇にあっても、「内面的に前進し、内面的に自己超越して成長し、ほんとうに大きな人間に成長したたくさんのケースを知っている」とフランクルは言う。

 
我々は、収容所を「絶望的な境遇におかれたとき」と、読み替えてもよいだろう。その境遇に打ち勝つには心の支えが必要である。それは絶望的な状況の中で希望を見出すことにより得られる。

 

 「希望をどこに置くか」をキーとして、私(藤波)の考えを述べる。
 希望を置く場所の候補は、四つある。

    現在

    近い将来

    遠い将来

    永遠

最初に答えを言うと、①と②は失敗し、③と④は成功の可能性がある。

 

 先ず、「① 現在に希望を置く」は、不可能だろう。希望の見いだせない絶望的な現在において、希望を見出すのは「絶望的」だろう。

 

 次に、「② 近い将来に希望を置く」は、「近い将来」に破綻する可能性が高い。短い時間で絶望的な境遇が改善されるとは考えにくい。

===== 引用はじめ P.131P.132

 … その人はブダペストのオペレッタの台本作家でタンゴ作曲家でもありました。彼は、奇妙な夢を見たと言うのです。「二月の中頃、夢の中で、私に話しかける声が聞こえて、なにか願いごとを言ってみろ、知りたいことを聞いてみろ、ていうんだ。答えてやれる、未来を予言できる、ていうんだ。そこで、私は聞いたんだ。私にとっていつ戦争が終わるんだって。わかるかい。私にとってというのは、アメリカの部隊がやってきて、私たちを解放してくれるのはいつかということだ」。「それで、その声はなんと答えたんですか」。彼は身をかがめて私の耳に口をつけ、意味ありげにささやきました。「3月30日だよ」。

 
 … 三月の終わりごろ、夢の声が予言した期日がどんどん近づいたのに、戦況はその声が正しかったとは思われないようなようすでした。その人はどんどん元気を失っていきました。3月29日、彼は高熱を出しました。3月30日、戦争が「彼にとって」終わるはずだったその日に、意識を失いました。そして、3月31日に彼は亡くなったのです。発疹チフスで亡くなったのです。 

===== 引用おわり

 

次に、「③ 遠い将来に希望を置く」事例を紹介する。

===== 引用はじめ P.118P.119

 そんなとき、囚人たちのひとりは、こういうこと* を考えるのはもうたくさんだと思いました。そして、べつのことを考えようと、「もっと人間にふさわしい」ことで悩もうと気をとりなおしてみました。けれども、なかなかうまくいきませんでした。それで一つのトリックを使いました。… 未来の視点から眺めてみようとやってみたのです。彼はどうやったのでしょうか。彼は、自分がウィーンの市民大学の講壇に立って講演しているのだと想像しました。しかも、いままさに体験していることについて講演しているのだと想像しました。心の中で「強制収容所の心理学」という題で講演していたのです。

===== 引用おわり
* 収容所囚人相応の日常の悩み。食べること等

強制収容された精神科医フランクル自身のことを語っているくだりである。

 

最後に、「④ 永遠に希望を置く」について

 ===== 引用はじめ P.129P.130

 後者* は、本当に宗教的なすべての人たちの場合でした。この人たちは、将来を支えにする必要もありませんでした。… その人たちは、そもそも将来を体験するという、つまり強制収容所で生き延びるという無茶な要求を将来の運命に背負わせなくても、気持ちをしっかりもっていることができたのです。

===== 引用おわり
* 永遠にある心の支え

 

 信仰心のある人は、信仰そのものが心の支えになる

 信仰心の無い人は、遠い将来に希望を描くことにより、心の支えを得ることがある。

 
その時に起こっているのは、

A.現在や近い将来に希望を置くと、それが実現しないことがすぐ分かってしまうが、遠い将来に希望を置けば、実現するかどうかは、近々ではわからない

B.「希望はいつ実現するか」「そもそも希望は実現するのか」といった答えのない問いに翻弄されることを、希望を描く作業により、遠ざけることができる

C.遠い将来のことではあるが、希望を描くことにより、心の支えを得て、生きる気持ちを取り戻し、勇気を得られる。未だ実現していない将来だが、今のその人を支え、力を与えている。「将来」は、今すでにその役割を果たしている。それが、いつ実現するか、本当に実現するか、は大きな問題ではない(今現在に取り組むべき課題ではない)。

 
出典:
V・E・フランクル、「それでも人生にイエスと言う」、春秋社

2016年6月26日日曜日

(551)  「女の一生」(ギ・ド・モーパッサン)


 6/22 22:00- BS朝日 放映済 「あらすじ名作劇場」

 

「女の一生」(ギ・ド・モーパッサン)のあらすじ

===== 引用 はじめ

修道院を出て両親と共にレ・プープルの屋敷で暮らし始めた17歳の少女ジャンヌは、美しく素晴らしい人生が自分の前にあると心躍らせ、美青年ジュリアン子爵と結婚する。だが結婚すると夫はジャンヌに対する愛情を無くし、金に執着するようになる。夫はジャンヌの乳姉弟のロザリや、友人のフルヴィル伯爵の妻とも関係を持ち、さらにジャンヌの母もかつて父の友人と不倫関係にあったことを知り、ジャンヌは人生に対する希望を失っていく。妻の不倫を知ったフルヴィル伯爵は、ジュリアンと伯爵夫人が逢瀬している移動小屋を斜面から突き落とし、二人は死ぬ。

 
未亡人になったジャンヌは息子ポールを溺愛するが、ポールは外国で女と暮らし、金の無心にしか手紙をよこさなくなる。両親も死に、ひとりきりになったジャンヌの元に、屋敷を追い出されたロザリが戻ってくる。ロザリの助力でジャンヌは財産を整理し、屋敷を売って小さい家に移り住む。やがて、ポールから、恋人が子供を産んで死にそうだと手紙が来る。ロザリはポールの元に行き、女の子の赤ん坊を連れて戻り、明日ポールも帰ってくるとジャンヌに告げる。

===== 引用おわり
Wikipedia 『女の一生 (ギ・ド・モーパッサン)

 
 以下は、番組の紹介ではなく、私が調べたこと。
 

 モーパッサンは、自然主義文学の代表的な作家であり、日本の文学界に大きな影響を与えた。

===== 引用はじめ

上田敏が所持していた英訳本を、独歩や花袋が借り受けて翻訳を試みたあたりから、日本の文壇におけるモーパッサンの一種の流行が始まり、自然主義文学との関連でしきりに論じられた後、いわば広く浸透して、殊更に論じられることは少なくなってゆくまで、すなわち明治30年代から大正時代に文壇に活躍した作家達は、多かれ少なかれモーパッサンを読んだし、賛同したり反発したり、あるいは翻訳して小銭を稼いだりした。

===== 引用おわり

 
 
 自然主義文学者としてのモーパッサン

===== 引用はじめ

… どちらかといえば想像力はさほど豊かでなく、また社会小説を書くに必要な構成力も持っていなかったモーパッサンの描く世界は大体において彼が実際に生きてきた環境に限られていた。

 モーパッサンが生きていた文学的環境はすでにレアリスムの色彩が濃厚になっていたし、また、人間としての彼も、どちらかといえば冷徹なレアリストであった。

===== 引用おわり
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8951/maupassant.html
 

この小説は、モーパッサンの母をモデルにしたらしい。
 田山花袋の『蒲団』は、大きな影響を受けた。

 
===== 引用はじめ

そして島崎藤村の『破戒』(1906年)や田山花袋(1907年)の『蒲団』が自然主義文学の支柱を成した。花袋は、『露骨なる描写』を発表し、自分の作品を貫く論理を明らかにしようとした。
 しかし、『蒲団』の衝撃は大きく、これによって自然主義とは現実を赤裸々に描くものと解釈され、ゾラの小説に見られた客観性や構成力は失われ、変質してしまった。

==== 引用おわり
Wikipedia 『自然主義文学』

 
 このようにして、日本の自然主義文学は、私小説の方向に大きく引っ張られた。

 

次回「あらすじ名作劇場」は、629日(水)放送】22:00~)

「若きウェルテルの悩み」(ゲーテ)