【 正解 ・ 上の生き方 】 『上の生き方』は、「私の見識」と「相手の正解」だと思います。「私の見識」なら「彼らの見識」のなかで取り入れるものと捨て去るものを区別できます。深く愛し合う二人、強く結ばれた友人の間には「相手の正解」があります。
※ 前回からの続き
(1) 正解はない … 「彼らの正解」
(2) 全てが正解だ … 「私の正解」
(3) 最善と思われる正解はある … 「その場の正解」
(4) それが正解だとは言い切れない … 「相手の正解」
(5) 平均値が正解ではない …「正解ゾーン」
(6) 正解より大切にしたいものがある … 「私の見識」
『上の生き方』は、「私の見識」と「相手の正解」だと思います。
「私の見識」なら「彼らの見識」のなかで取り入れるものと捨て去るものを区別できます。そこが「私の正解」との違いです。「私の正解」は世界から孤立しているので、世間で通用しません。私の思い込みにすぎないからです。
「私の見識」は、「何々は何々である」といった具体的な正解ではなく、正解に至る道筋のようなものです。それには、何が正しいかを貫く道理があり、ある種の普遍性があり(全てにではない)、柔軟性があり、常に未完であり(未だ完成していない)、自己学習能力があり、成長を続けます。価値体系があるため、一つ一つの正解は孤立せず、互いに結びつき、調和を形成しています。
一方、深く愛し合う二人、強く結ばれた友人の間には「相手の正解」があります。頭で分かるのではありません。自ずと見えてくるのです。まるで相手の人格が自分の中で生きているかのようです。二人は、別の人格のままで、意見も違っています。でも、「相手の正解」が顕れます。私は私のままで、それでいて、私とは違う相手と調和します。
「私の見識」は私個人の中にあり、「相手の見識」は私と相手が重なり合ったところにあります。
<出典> なし
※ このシリーズ終わり
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