【 正解 ・ 彼らの正解 ・ 私の正解】 「彼らの正解」を得ようとすると、正解はない。選択肢がある以上、どれを選んでも、他者から正解でないと思われるリスクがある。私がそう思うのが「私の正解」。私にとっては正解だが、世間で通用するかは疑問
大切な人が亡くなり、故人にお花を供えようとしたとき、大体は迷ってしまいます。葬儀社に連絡すると、いくつかのパターンを示され、どれにしますか?と決断を迫られます。安すぎると失礼かと思うが、高すぎるとご遺族に気を遣わせてしまう恐れがあります。
正解はあるのかと考えると、6つの正解があるようです。
(1)
正解はない
(2)
全てが正解だ
(3)
最善と思われる正解はある
(4)
それが正解だとは言い切れない
(5)
平均値が正解ではない
(6)
正解よりも大切にしたいものがある
(1)
正解はない
例えば、15,000円、20,000円、25,000円の3コースあるとして、実際にはばらつきがあったとします。ここでは、価格帯のみで考えてみます。
15,000円を供えると、多くの人から安すぎたと言われそうです。25,000円を供えると、多くの人から高すぎると言われそうです。では中をとって20,000円を供えると、ある人からは安すぎたと言われそうだし、ある人からは高すぎたと言われそうです。つまり、選択肢がある以上、どれを選んでも、他者から正解でないと思われるリスクがあります。
(2)
全てが正解だ
ある人が15,000円を供えたいと思って15,000円を供え、ある人が25,000円を供えたいと思って25,000円を供えた。どちらも正解ではないでしょうか。つまり、正解は、15,000円、20,000円、25,000円のどこかに宿るのではなく、その人の思いに宿るという考え方です。
正解ではありそうですか、これを正解と言い切ってよいのでしょうか。私にとっては正解ですが、それが世間に通用するかどうかは、わかりません。
名前をつけてみました。
(1)
正解はない … 「彼らの正解」
(2)
全てが正解だ … 「私の正解」
<参考URL> (写真も拝借)
お葬式に供える供花の手配やマナーと相場
<出典> なし
※ 次回に続く
【同時掲載】Facebook 「藤波進 なみさん」で検索
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