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2019年2月10日日曜日

(1509)  オルテガ「大衆の反逆」(2-2) / 100分de名著

 
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(K0650)  プロボノ / 神戸ソーシャルプレッジ <地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/02/k0650.html
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第2回  11日放送/ 13日再放送

  タイトル:リベラルであること
 
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【テキストの項目】

(1)   保守=半リベラルではない
(2)  リベラリズムは「最高に寛大な制度」
(3)  「貴族」とは何か ―― 敵とともに統治する
(4)  バンを求めてパン屋を破壊する

(5)  トポスなき大衆の手による「超民主主義」
(6)  大衆の熱狂が生み出す「偽りの夜明け」
(7)  国家とは根本的に暴力装置である
(8)  支配するとは拳より尻の問題である
 

【展開】

(1)  保守=半リベラルではない
(2)  リベラリズムは「最高に寛大な制度」
(3)  「貴族」とは何か ―― 敵とともに統治する
(4)  バンを求めてパン屋を破壊する
ここまでは、既に書きました。
 

(5)  トポスなき大衆の手による「超民主主義」

 オルテガは、「超民主主義」は、トポスなき人間が公権の主となることによって生まれるものだと考えていました。
 自分自身が意味づけられた場所、自分が決定しえない自分の属性といったものを、大衆はもっていない。自分を導いてくれる先人たちの経験知を共有していない。だから常に浮遊して、どこに進もうとしているのか分からなくなっている。
 

(6)  大衆の熱狂が生み出す「偽りの夜明け」

 ボルシュヴェズムとファシズムは、二つの偽りの夜明けである。明日の朝をもたらすのではなく、何度も経験された昔日の朝をもたらすのである。それらは、原始主義なのである。過去のすべてを消化する方向をとらずに、その一部分と格闘をはじめるような単純さに陥る運動はすべて、同様であろう。
 《直接行動》は、順序を逆にして、暴力を最初の理性だと、厳密に言えば唯一の理性だと宣言している…
 言葉で説明するのではなく、暴力を最初の直接行動として実行することで、自分たちの「正しさ」を分からせようとする。従わない人間は牢獄に放り込んでいく。ロシア革命にせよ、ナチスにしろ、やっているのはそういうことだと。


 

(7)  国家とは根本的に暴力装置である

 オルテガが考える「あるべき国家」像とは、どんなものだったのでしょうか

  大衆が多数派を支配する国家というものが、現代においてもっとも危険である
  国家とは根本的に暴力装置であって、個人のさまざまな自由を抑圧する面をもつ
  国家の「限界」を認識することが重要である
  それよりも大事なことは、他者との合意形成をしながら自分たちで秩序をつくっていこうという意志であって、その延長線上に国家が据えられるべきである
 

(8)  支配するとは拳より尻の問題である

 政府や指導者とはどういう存在であるべきなのか。オルテガは「支配するとは拳より、むしろ尻の問題である」と答えます。
 拳を振り上げて撲ることで支配するのではなく、静かに(尻で)鎮座して、日々との話を聞き、着地点を探りながらその場を収めていくというイメージでしょうか。
 


<出典>
中島岳志(2019/2)、オルテガ「大衆の反逆」、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 

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