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2017年4月1日土曜日

(830) 真の幸福とは何か/人生論ノート(1-2)


~ 『100分で名著』 4月3日() 22:25 22:50 Eテレ 放映 ~
※ すみません。放送日を間違えていたので訂正しました。「4月3日(月)放映」が正しい。
   なお、4月5日 05:30-05:55,12:00-12:25 に再放送があります。

(3)    幸福

      成功することが幸福なのか

 成功しても幸福になるとは限らないし、不成功なら不幸になるとは限らない。

 
      人は幸福に「なる」のではなく、幸福で「ある」

 「今こうして生きている」「人が人として存在する」こと自体に感謝できるかどうかだと思う。そこを気付けば、あるいは、発見すれば、成功や不成功が気にならなくなる。

 
      幸福は「徳」であり、「力」である

 自分が幸福でなければ、人に優しくなれない。徳を積めば幸福になれるのではなく、幸福だからこそ力が出、徳を積める。それが幸福な状態なのだろう。

 
      人格こそが幸福である

「私は、今のままの私で良い」と思えるほど幸せなことはない。力がわき出してくる。人に優しくなれる。

 
      幸福感は幸福とは違う

幸福感を追い求めても、幸福にはなれない。

 
      幸福は伝染する

本当に幸福であれば、それは自然と言動にも現れ、周囲を幸福にする。

 
      近代の娯楽は幸福の代用品

仕事や家事に追われる日々からの、つかの間の逃避。息抜き、気晴らし、憂さ晴らし - を娯楽というならば、そこに幸福そのものはない。

 

<各論>

(3)    幸福

      成功することが幸福なのか

===== 引用はじめ ( P.23
 成功と幸福とを、不成功と不幸と同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。
===== 引用おわり

 成功しても幸福になるとは限らないし、不成功なら不幸になるとは限らない。

 もし成功することが幸福の条件なら、成功して幸福になっても、次の成功をしないと幸福を維持できない。失敗すると、いっぺんに不幸に陥る。どうみても、安定的に幸福ではおられない。

 不成功でも幸福なら、その幸福は簡単にはつぶれない。そのような幸福の方が良いに決まっている。

 
===== 引用はじめ ( P.25
 部下を御してゆく手近な道は、彼らに立身出世のイデオロギーを吹き込むことである。
===== 引用はじめ

 「言う通りすれば昇格させる」「逆らったら左遷する」という理屈で、多くのサラリーマンは簡単に操られる。実に不幸ではないか。「成功すれば幸福になる」と思い込んでいると、不幸になる。

 

      人は幸福に「なる」のではなく、幸福で「ある」

===== 引用はじめ ( P.25 – P.26
 幸福が「存在」に関わるものなのに対して、成功は「過程」に関わる … 存在に関わるとは、今こうして生きていること、人が人として存在していること自体が幸福なのだ…
===== 引用おわり

 「今こうして生きている」「人が人として存在する」こと自体に感謝できるかどうかだと思う。そこを気付けば、あるいは、発見すれば、成功や不成功が気にならなくなる。

 

      幸福は「徳」であり、「力」である

===== 引用はじめ ( P.29
 愛する者のために死んだ故に彼らは幸福であったのではなく、反対に、彼らは幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。
===== 引用おわり

===== 引用はじめ ( P.29
 自分を犠牲にして親を看取ることが徳であり、それを全うしたから幸福なのではなく、自分が幸福であればこそ献身的な介護ができる。
===== 引用おわり
 
 自分が幸せでなければ、人に優しくなれない。徳を積めば幸せになれるのではなく、幸せだからこそ力が出、徳を積める。それが幸福な状態なのだろう。

 

      人格こそが幸福である

===== 引用はじめ ( P.29
地上の子の最大の幸福は
人格のみである
 
自分自身を失わなければ
どんな生活も苦しくはない
自分が自分自身でさえあれば
何を失っても惜しくはない
===== 引用おわり
ゲーテ『西東詩集』

 自分自身を失わないこと - つまり人格こそが幸福である。

「私は、今のままの私で良い」と思えるほど幸せなことはない。力がわき出してくる。人に優しくなれる。

 

      幸福感は幸福とは違う

===== 引用はじめ ( P.30
薬物による快感は幸福ではありません。耳に心地よいスローガンがもたらす高揚感も、真の幸福ではない
===== 引用おわり

幸福感を追い求めても、幸福にはなれない。

 

      幸福は伝染する

===== 引用はじめ ( P.31
機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。 … 幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。
===== 引用おわり

本当に幸福であれば、それは自然と言動にも現れ、周囲を幸福にする。

 

      近代の娯楽は幸福の代用品

===== 引用はじめ ( P.32
娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代りに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である。
===== 引用おわり

仕事や家事に追われる日々からの、つかの間の逃避。息抜き、気晴らし、憂さ晴らし - を娯楽というならば、娯楽は生活と切り離されたものとなり、そこに幸福そのものはない。

 

引用:
岸見一郎(2017/4)、三木清『人生論ノート』、100de名著、NHKテキスト
写真:人生論ノート

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