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2017年1月14日土曜日

(753) 「愛」と「喪失」のしらべ / 中原中也詩集(2)


~ 『100分で名著』 116() 22:25 22:50 Eテレ 放映 ~
 

===== 引用 はじめ

  「朝の歌」


天井に 朱(あか)きいろいで
 
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
 
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
 
  手にてなす なにごともなし。


小鳥らの うたはきこえず
 
  空は今日 はなだ色らし、
 
倦(う)んじてし 人のこころを
 
  諫(いさ)めする なにものもなし。


樹脂の香(か)に 朝は悩まし
 
  うしないし さまざまのゆめ、
 
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな


ひろごりて たいらかの空、
 
   土手づたい きえてゆくかな
 
うつくしき さまざまの夢。

===== 引用 おわり

 
 中原中也(17歳)と長谷川泰子(20歳)は同棲生活をスタートさせた。中也は小林秀雄と知り合い、気に入り、小林の住む高円寺に転居した。ところが、泰子と小林は中也に隠れて会うようになり、ついに泰子は中也を捨てて、小林の元へと走った。


 恋人を失い、友を失い、東京で一人ぼっちになった中也は、詩人としての一歩を踏み出した。独自の喪失感をうたった。

朝が来ても喜びはなく、することもなく、茫然自失。そして夢はすべて消えていく。

 
 
写真は、長谷川泰子、「朝の歌」草稿


 
 
 それでも中也は逃げた女を恨まないばかりか、「身を捨てる」思いになっていた。
 
「私はお前を愛してゐよ」と非常にストレートに、断ち切れない思いを吐露した。


 「ずっと忘れられない愛」を次のようにうたいあげた。

 ===== 引用 はじめ  P.49

「無 題」


    I


 こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、

私は強情だ。ゆふべもおまへと別れてのち、

酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝

目が覚めて、おまへのやさしさを思ひ出しながら

私は私のけがらはしさを嘆いてゐる、そして

正体もなく、今〓〈(ここ)〉に告白をする、恥もなく、

品位もなく、かといつて正直さもなく

私は私の幻想に駆られて、狂ひ廻る。

人の気持をみようとするやうなことはつひになく、

こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに

私は頑〈(かたく)〉なで、子供のやうに我儘〈(わがまま)〉だつた!

目が覚めて、宿酔〈(ふつかよい)〉の厭〈(いと)〉ふべき頭の中で、

戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら

私はおまへのやさしさを思ひ、また毒づいた人を思ひ出す。

そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、

今朝はもはや私がくだらない奴だと、自〈み〉ら信ずる!

 
    II

 
彼女の心は真つ直〈(すぐ)〉い!

彼女は荒々しく育ち、

たよりもなく、心を汲んでも

もらへない、乱雑な中に

生きてきたが、彼女の心は

私のより真つ直いそしてぐらつかない。

 

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に

彼女は賢くつつましく生きてゐる。

あまりにわいだめもない世の渦のために、

折に心が弱り、弱々しく躁〈(さわ)〉ぎはするが、

而〈(しか)〉もなほ、最後の品位をなくしはしない

彼女は美しい、そして賢い!

 

嘗〈(かつ)〉て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめてゐたかは!

しかしいまではもう諦めてしまつてさへゐる。

我利々々で、幼稚な、獣〈けもの〉や子供にしか、

彼女は出遇〈(であ)〉はなかつた。おまけに彼女はそれと識〈(し)〉らずに、

唯、人といふ人が、みんなやくざなんだと思つてゐる。

そして少しはいぢけてゐる。彼女は可哀想だ!

 
    III

 
かくは悲しく生きん世に、なが心

かたくなにしてあらしめな。

われはわが、したしさにはあらんとねがへば

なが心、かたくなにしてあらしめな。

 
 
かたくなにしてあるときは、心に眼〈まなこ〉

魂に、言葉のはたらきあとを絶つ

なごやかにしてあらんとき、人みなは生〈あ〉れしながらの

うまし夢、またそがことはり分ち得ん。

 

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて

悪酔の、狂ひ心地に美を索〈もと〉む

わが世のさまのかなしさや、

 

おのが心におのがじし湧きくるおもひもたずして、

人に勝〈まさ〉らん心のみいそがはしき

熱を病む風景ばかりかなしきはなし。

 

    IIII

 

私はおまへのことを思つてゐるよ。

いとほしい、なごやかに澄んだ気持の中に、

昼も夜も浸つてゐるよ、

まるで自分を罪人ででもあるやうに感じて。

 

私はおまへを愛してゐるよ、精一杯だよ。

いろんなことが考へられもするが、考へられても

それはどうにもならないことだしするから、

私は身を棄ててお前に尽さうと思ふよ。

 

またさうすることのほかには、私にはもはや

希望も目的も見出せないのだから

さうすることは、私に幸福なんだ。

 

幸福なんだ、世の煩〈(わずら)〉ひのすべてを忘れて、

いかなることとも知らないで、私は

おまへに尽せるんだから幸福だ!

 
    V 幸 福


幸福は厩〈(うまや)〉の中にゐる

藁の上に。

幸福は

和める心には一挙にして分る。

 
頑〈(かたく)〉なの心は、不幸でいらいらして、

せめてめまぐるしいものや

数々のものに心を紛らす。

そして益々不幸だ。

 
幸福は、休んでゐる

そして明らかになすべきことを

少しづつ持ち、

幸福は、理解に富んでゐる。

 
   頑なの心は、理解に欠けて、

   なすべきをしらず、ただ利に走り、

   意気消沈して、怒りやすく、

   人に嫌はれて、自らも悲しい。

 
されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。

従ひて、迎へられんとには非ず、

従ふことのみ学びとなるべく、学びて

汝が品格を高め、そが働きの裕〈(ゆた)〉かとならんため!

===== 引用 おわり

 
引用:

太田治子(2017/01)、『中原中也詩集』、100de名著、NHKテキスト

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