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2024年12月31日火曜日

(2627)「個人主義」が怪しい

 3つの「怪しい」3部作を書いてきました。

(2624)「権利」が怪しい

(2625)「多様性」が怪しい

(2626)「誰一人取り残さない」が怪しい

 本編は、「怪しい」3部作+(プラス)になります。

 

 3つの『怪しい』を書いてきましたが、どれも言葉自体には問題ありません。「権利を大切にしましょう」「多様性を大切にしましょう」「誰一人取り残さないが良いですね」という言葉は否定すべきではないでしょう。尊重しましょう。しかし、尊重した結果、社会が崩壊に向かっています。何故でしょうか。

 本来好ましい概念であるはずなのに、「権利」「多様性」「誰人に取り残さない」と声高に叫んでいる人の中には攻撃的な人が多く、他者の「権利」「多様性」を無視し、少数者を取り残さないという名目で多数者を圧迫することがあります。それが現実です。3つのそのバックボーンは同じではないかと気になりました。その「同じハックボーン」は、「個人主義」だと思いました。

 

 「権利」だけなら良いのだが、「権利」と「個人主義」がくっつくと変になります。「多様性」も「誰一人取り残さない」も同じです。

 「全体主義は、個人主義の対義語で、個人の自由を認めず、個人の生活や思想は、組織全体、国であれば国家全体の利害と一致するよう統制されなければならないと考える思想です。この思想に基づく政治体制が全体主義国家です。」

https://www.env-simulation.com/jp/senyaitiya/index_45.html#:~:text=%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AF%E3%80%81%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9,%E3%81%8C%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

 「個人主義」が「全体主義」を否定するのは、問題ないと思います。間違いは、「全体主義」を否定するのではなく、「集団主義」を否定するからです。だから、おかしくなるのです。

 集団主義とは「個人と集団の関係において,個人は集団と心理的な一体感をもつとともに集団の目標や利害を自分のものよりも優先させていくという集団中心の考え方。」

https://kotobank.jp/word/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9-77196#:~:text=%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%9B%86%E5%9B%A3%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82,%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E9%9B%86%E5%9B%A3%E4%B8%AD%E5%BF%83%E3%81%AE%E8%80%83%E3%81%88%E6%96%B9%E3%80%82

 

 「個人主義」と「集団主義」とは相反する方向を向いていますが、どちらか一方のみが正しいとするのは間違いです。相反する方向の中で、いかに調和するかが大切です。

 「集団主義が正しいのだから個人主義を否定すべきだ」という考え方では、とても生きにくい社会になってしまいます。一方、「個人主義が正しいのだから集団主義を否定すべきだ」という考え方では社会が成り立ちません。他者の権利を否定してしまうからです。その結果、個人主義が個人主義にとどまらず、利己主義(エゴイズム)に堕ちてしまっています。

 

 利己主義(エゴイズム)を排除すれば、「権利」も、「多様性」も、「誰一人取り残さない」も、「個人主義」も、『怪しくなくなります』 

2024年12月27日金曜日

(2626)「誰一人取り残さない」が怪しい

3つの「怪しい」3部作です。

(2624)「権利」が怪しい …………………… 前々回

(2625)「多様性」が怪しい ………………… 前回

(2626)「誰一人取り残さない」が怪しい … 今回

 

 理念としての「誰一人取り残さない」は美しいが、徹底的に現実に当てはめようとすると、社会が成り立たなくなる。

 一人を取り残さないために、他の何人もが損害を受ける。困っている人だけを見ていると、判断を間違える。全体を見て、最適解を探す(言い換えると、妥協する)必要がある。

 「この人が取り残されてしまう」と口々に叫ばれても、ほんの一部しか解決できない。それで文句を言われるのは、たまらない。

 「誰一人取り残さない」ためには、税金をいくら重くしても、追いつけない。一人一人の不便を解決するごとに税金は増え(その「一人」がやたら多い)、結局は、無制限に税金が増えていく。

 「誰一人取り残さない」と主張する人と、「税金を下げよ」と主張する人は、結構、重なっているようだ。「政府がやるべきだ」と言う。しかし、政府がやるためにはお金が必要であり、税金を上げざるを得なくなる。自らの高い税金を支払う覚悟なく、税金は(自分ではない)あっちから取れ、こっちから取れと言う人が多いが、無責任である。

 「誰一人取り残さない」に、無条件には賛成できない。

 

★★★

 

 車椅子では移動が難しい。平成18年「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」等でかなり改善なされたが、「誰一人取り残さない」には至っていない。

 完全実践しようとすると、例えば「すべての階段に車椅子用昇降機やエレベーターを設置せよ」ということになる。大きな問題が3つある。

(1)とてつもない費用がかかる。誰が負担するのか、負担できるのか。そのための増税に国民は賛成してくれるのか。私道や民間敷地内では公金は使えないから、原則自腹になる。利益の上がらないところに投資しても回収できない。補助金をつけないと難しいだろうが、その財源をどうするのか

(2)昇降機をつけると普通の通路が狭くなる。人通りの多いところでは渋滞が起こる。そこまでいかなくても、「誰一人」のために大勢の人が不利益を受ける。大勢の人がいたら、利害は相反するものとなる。

(3)そもそも物理的に設置不可能なところもある。どうするのか

 こう考えると、行き詰ってしまう。

 

 階段で車椅子の人が困っていると、海外では通りがかりの(面識のない)人4人ぐらいが即席チームを作って車いすごと抱え上げて助けてくれるが、日本ではめったに起こらないと言う。いささか海外を美化しすぎているのではないかと感じるが、ここにヒントがある。

 「ハード」(設備)を充実することも大切だが、本来は「ハート」(通常は「ソフト」という)が中心なのではないか。困っている人がいると、近くの人が自発的に助けようとする「ハート(心)」が醸成されていくことこそが、「誰一人取り残さない」精神の神髄ではないか。

 自ら「優しいハート(心)」を抱いて身をもって支援を実践することなく、「ハード」の要求ばかりするのは、それはそれで意味あることだが、どうかと思ってしまう。

 

 遠い先の、「誰一人取り残さない」の世界を夢見てみた。

 誰もが誰にも優しい。困っている人を見かけたら、暖かく見守り、必要なら手を差し伸べる。

 「あれ、貴方、立派なことは言うけれど、自分の手も足も動かないね。優しい言葉もかけないね。ただ一人、取り残されているのは、貴方」。 

2024年12月26日木曜日

(2625)「多様性」が怪しい

3つの「怪しい」3部作です。

(2624)「権利」が怪しい …………………… 前回

(2625)「多様性」が怪しい ………………… 今回

(2626)「誰一人取り残さない」が怪しい … 次回

 

 多様性を主張する人は、「多様性に反する」という理屈のもとに、自分たちと異なる考え方を攻撃する。その攻撃は、多様性とは正反対の行為である。

 良いものも、悪いものも、すべてひっくるめて認めよというのが「多様性」である。自分が良いと思うものを他者が悪いと思い、他者が良いと思うものを自分は悪いと思う、それが頻繁に起こるのが、多様性社会である。

 自らの考えに反対する意見を「多様性を認めない」という理由で封印しようとする、そのような「多様性信仰」を破棄しない限り、まっとうな議論ができない。

 

 好ましい多様性と、好ましくない多様性がある。

 現実は、多様性を主張している人たちが、多くの多様な文化、多様な考え方を抹殺している。西欧基準に合わない異国のものは、次々、排除されている。彼らは(実はグローバルでない)「グローバルスタンダード」を盛んに押し付けようとする。何故日本人は、日本を否定するような「グローバルスタンダード」を無批判に受け入れようとするのだろうか。「先進的西欧」の仲間に入りたいからだろうか。

 彼らは、多様性の言葉と裏腹に、(自分たちの価値観に基づき)画一的世界を築こうとしている。他の価値観を認めようとしない。

 

 多様性を唱えるなら、自らの考えに反する意見も「多様に」承認(黙認)しなければならないが、できる人は少ない。異なる意見を承認(黙認)するのが嫌なら、「多様性」という言葉は使わないのがよい。

 

★★★

 

 「LGBTQ+」=「多様性」ではない。この2つは、別の次元の話である。

 LGBTQ+活動の多くは、実際は、多様性を否定している。LGBTQ+を好ましいと考える人も、LGBTQ+を好ましくないと考える人も、現実として存在する。その両方を受け容れるのが多様性である。反LGBTQ+の人を、反多様性だという利用で排除しようとするのは、間違いである。

 

 LGBTQ+を好ましくないと考える人も、LGBTQ+を好ましいと考える人の存在は認めよう。存在は認めるが、LGBTQ+に関する権利を拡大したり、世の中をLGBTQ+色に染めようとしたり、子息をLGBTQ+に誘い込もうとしたり、そのような動きに断固反対するのは、理解できる。

 LGBTQ+を好ましいと考える人も、LGBTQ+を好ましくないと考える人の存在は認めよう。存在は認めるが、LGBTQ+に関する権利を拡大したり、世の中をLGBTQ+色に染めようとしたり、他者の子息をLGBTQ+に誘い込もうとしたり、そのような動きをするのは、理解できる。

 

 どちらが正しいと決めつけてはいけない。自分の意見は主張するのは良いが、相手を根こそぎ抹殺しようとしてはいけない。多様性の名の下に、多くの人が非難され、排除されている。

 

 多様性を維持するのは、極めて難しく、関わる誰にとっても苦渋に満ちたものとなる。それでもなお、多様性は本来、良いものだと思う。閉ざされた世界でない限り、統一した価値観は存在せず、価値観の異なる人と折り合っていかねばならない。互いに、我慢が必要であり、妥協が必要であり、その上で折り合うべく努力する。これが多様性を重んじる社会だと思う。 

2024年12月25日水曜日

(2624)「権利」が怪しい

3つの「怪しい」3部作です。

(2624)「権利」が怪しい …………………… 今回

(2625)「多様性」が怪しい ………………… 次回

(2626)「誰一人取り残さない」が怪しい … 次々回

 

権利を、無条件に与えてはならない

 

(1)義務を負わない者に、権利を無条件に与えてはならない

 義務を守る者の権利を尊重せねばならない

(2)他者の権利を侵害する権利を、無条件に与えてはならない

 権利の行使により他者の権利を侵害せぬよう、配慮せねばならない

(3)権利を与える条件を、誰かが勝手に決めてはならない

 上記(1)(2)において、例外を認めるのは慎重にしなければならない。すべての利害関係者を集め合意が必要である。ただし、全員の合意は、現実には無理である。たくさんの妥協の上に合意がある。

 

 ほとんどすべての権利の行使は、他者の権利を侵害する。

 他者の権利を無視して、自分の権利ばかりを主張する人が多い。そのような自分勝手な権利は、認めてはならない。「私には権利がある」は、無条件には認められない。

 無条件に認めるべき権利があるとするなら、それは何だろうか?

 

★★★

 

 「人は生きていく権利がある」というのは、ほとんどの人が認める権利だろう。「私の生きる権利を行使するため、他者を殺しても良い」というのは、ほとんどの人が認めない権利だろう。

 「他者を殺してはいけない」という条件のもとに、「人は生きていく権利がある」という主張が正当化される。

 一般論として、その権利の行使に当たってどのような条件をつけるか(必ずしも一つではない)について合意できたとき、初めてその権利は正当化される。

 全ての権利の行使には、「義務を守る」と「他者の権利を侵害しない」という条件がつく。権利を行使するときは、そのことを自覚せねばならない。

 

 現実は、「義務を守る」と「他者の権利を侵害しない」という条件が整わないまま、権利が行使される、おかしな世の中になっている。他者の権利をないがしろにして、自らの権利ばかりを主張する人が多い。

2024年12月4日水曜日

(2623) 性格(3) 性格と性格結果(造語)とを分けて考えましょう

 例えば、「私は他人のしていることの欠点が良く見えて、その人のことを強く非難してしまう傾向がある」という人がいるとします。

 これは性格ではなく、性格結果(造語)です。性格結果の裏にいくつかの性格があります。たとえば、「他人のしていることが気になる」「完璧主義である」「感情の影響を強く受ける」「他人に関わろうとする」などの性格が先ずあって、冒頭に述べた傾向が現れます。

 この性格自体には良い・悪いはありません。「他人のしていることが気になる」「他人に関わろうとする」「完璧主義である」「感情の影響を強く受ける」が良く現れることもあります。決して悪いとは言えません。

 それが悪く現れてしまったのが冒頭の傾向であり、人間関係を難しくします。「私は他人のしていることの欠点が良く見えて、その人のことを強く非難してしまう傾向がある」は悪く現れてしまっているのだから、それは是正した方がよいでしょう。

 そのために、性格結果を直接何とかするのではなく、性格に立ち戻ります。「他人のしていることが気になる」「他人に関わろうとする」「完璧主義である」「感情の影響を強く受ける」といった性格が自分にあることを認め、それが変な方向に向かっていないか、暴走していないか、いつも見張っておく。そして、変な方向に向かっている、暴走している、と思ったら、ブレーキをかけ、いったん止まる。こういうことができるようになると、ずいぶん生きやすくなると思います。

 

このシリーズ終わり

2024年12月3日火曜日

(2622) 性格(2) 性格が良く現れるよう、悪く現れないよう、にする

 例えば、「自己主張が強い」性格だと、どんどん自己表現をして行動を起こす一方、軋轢を起こして人間関係を悪くすることもあります。前者では性格が良く現れ、後者では性格が悪く現れました。「親切」は良い性格のように見えますが、度が過ぎれば「お節介」をして周囲を困らせる悪い性格にもなります。「ケチ」と言うと悪い性格のように見えるが、「節約家」というと良い性格のように見えます。

 各々一体者であり、現れ方が違うだけです。そこで「お節介」や「ケチ」を消すと、同時に「親切」や「節約家」も消えてしまいます。良い悪いは別にして(現れ方は別にして)、その大元になるものを性格と呼びます。「親切」「お節介」の元をたどり、善悪が入らないように意識すると「人とのかかわりを強く、深くしたい性向」といった表現になるでしょうか。逆に強くしたり深くしたりするのを避けたい(弱く、浅くしたい)人もいるでしょうし、どっちとも言えない人もいるでしょう。

 その人の持つ「人とのかかわりを強く、深くしたい性向」はそのままにして、「良く現れる」(親切)を強化し、「悪く現れる」(お節介)を抑制する(ゼロにはできない)よう心がけましょう。

 コツは、「悪く現れる」が起こってきたなと感じ取ることです。そこで「あれあれ、悪い癖(お節介)が出ちゃったな」と一息置いてください。それだけで、ずいぶん変わります。本来の自分は変えていないので、無理はありません。

続く

2024年12月2日月曜日

(2621) 性格(1) 自分の性格を変えよう(治そう)としない

 人は、それぞれに性格があります。例えば「いつも自分の理想に向かって努力する」「何か困っている人がいると、直ぐにその人のそばに行って手を貸そうとする」「成功することが最も好きで、成功のために手段を選ばない」「ユニークで創造的で、独創的で、何よりも感動を大切にする」「物事をじっくりと考え、データを集め、慎重に行動する」「真面目、誠実であることを大切にし、周りと仲良くしたいという気持ちを人一倍強く持っている」「人生を楽しく、明るく過ごしたくて、熱中した陶酔感を大切にする」「自己主張が強く、何事にも第一人者であることを志向する」「落ち着いてゆったりとした安定感がある」などです。

参考データ:https://www.enneagram.ne.jp/about/about_type#type1

 

 人はいくつもの性格を帯びていて、その中に嫌いな性格や、持て余し気味の性格もあるでしょうが、その性格を変えよう(治そう)としてとはいけません。その理由は、

(1)    自分らしくなくなり、苦しくなります

(2)    自分の長所を消してしまいます

(3)    そもそも性格は変えられません

です。

 

続く。 

2024年11月28日木曜日

(2620) 兵庫県民として気になる

Googleで「兵庫県」をキーワードにして検索し、「ニュース」を選択すると、

最初に「斎藤知事に関するニュース」とあって、4つの記事が紹介されている。

  兵庫・斎藤知事の代理人、PR会社社長の投稿内容「事実でない」
  兵庫 斎藤知事 知事選で支援のPR会社への支払い内訳明らかに
  PR会社経営の女性「盛っている?」斎藤・兵庫県知事代理人「事実ではない」公選法違反を否定
  斎藤元彦知事代理人が午後会見 公選法違反指摘に反論か

この4つを除くと、最初のページで10個のうち7個が斎藤知事関連

2ページ目は、10個のうち9個が斎藤知事関連

3ページ目は、10個のうち9個が斎藤知事関連

 

 兵庫県には、このニュースしか無いのだろうか? 異常だ。

 もしも県知事が違法なことをしたと確定されたら、大ニュースになるのは理解できる。でも、まだ、全然どうなっているか分からない段階である。

 

 斎藤知事PR会社関連ニュースは、純粋に法律上の問題だと私は思う。法律に違反しているか、していないかだけの話。一般人でなく、法律知識のあまりない「コメンテーター」でもなく、権威付けられた法律の専門家が判断することだろう。

 

 ネットも気になるが、心配になってしまうのがマスメディアである。

 それぞれ人によって個人的な意見はあるだろうが、現在は、本当のところ、法律違反しているか、違反していないか分からない(確定していない)。もし違反していなかったとするなら、現在、無実の人をひどく傷つけていることになる。影響力の強いマスメディアはそれを避けるため、慎重にならねばならない。具体的には「裏を取る(情報源を検めるなどして情報の真偽を確認する)」必要がある。

 

 『社長は20日付でインターネットの投稿プラットフォームで「広報全般を任せていただいた」などと発信した』と「発信した」ことは事実であるが、最も大切な「広報全般を任せていただいた」ということが事実かどうか、その実質的な内容が法に抵触するものなのか否か、これらは全く検証されていない。

 つまりマスメディアは、事実かどうか不確定な情報をもとに、「裏取りできていない社長の発言が、真実であることを前提に」記事を書き、大騒ぎしている。

 

 先に、稲村候補が「稲村氏は外国人参政権を公約にしておらず、この言説を自ら否定しています」とはっきり言っているのに、それを否定するようなニュースを流すのは「デマ」だとなっていた。その論理が成り立つなら、斎藤知事が「SNS戦略を依頼した、広報全般を依頼したというのは事実ではない」と明言しているのに、それを否定するようなニュースを流すのもデマになる。その「デマ ニュース」をマスメディアが垂れ流していることになる。

 

 マスメディアは、真実が何かには関心がなく、自分たちの好みと、受けそうな記事を書くことに熱心なのではないか。それではまるで、彼らが批判的に見ているネットと同じではないか。

 

 マスメディアの姿勢が問われていると思う。それに対して、マスメディアは、反省しておらず(当然)正そうともしていない。この問題を糺す記事も、見かけない。

  

2024年11月25日月曜日

(2619) あの世への架け橋

三途の川をわたるより、

虹の架け橋をわたって、

あの世に行きたい

 

虹の架け橋は、

希望

 

希望は、

これから行くあの世への希望

残していくこの世への希望

 

そのため、

今、

何をすればよいのだろうか 

2024年11月23日土曜日

(2618) 百条委員会が悩ましい / 兵庫県

1.   経緯の簡単な整理

(1)告発文書問題

 兵庫県の元幹部が、斎藤氏のパワハラの疑いなどを告発する内容の文書を、ことし3月、報道機関などに送った。斎藤氏は「事実無根の内容が多々含まれている」などと批判。その後、元幹部は県の公益通報制度を使って内部通報を行った。しかし県は元幹部を停職3か月の懲戒処分とした。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241117/k10014636221000.html

 (一部並べかえた)

(2)パワハラ疑惑、おねだり疑惑

 議会が問題視し、マスコミが大々的に報道した

(3)「弁護士でつくる第三者委員会」(以下、「第三者委員会」)

 議会は、第三者委員会を立ち上げた

(4)「地方自治法第100条に基づく調査特別委員会」(以下、「百条委員会」)

 第三者委員会が結論を出す前に、議会は百条委員会を立ち上げた

(5)不新任決議案

 両者が結論を出す前に、議会は不信任決議案を提出し、満場一致で可決された

(6)失職・出直し選

 県知事は、辞任や議会解散を選ばず、失職・出直し選を選択した

(7)第三者委員会と百条委委員会は作業を中断した

(8)県知事選で斎藤知事が再任された

 以上の経緯を経たので次は(9)に移る

(9)第三者委員会と百条委委員会は作業を再開する

 ここで、第三者委員会については、本当に中立な人が第三者委員に選ばれているかが心配だが、手続き上の問題はなく、再開するのが当然だろう

 一方、百条委員会の方が悩ましい

 

2.   県民が無罪と裁定した / 百条委員会は自己矛盾に陥った

 単純な言葉を使えば、県民は無罪と裁定した。もし有罪なら、そのような人を知事として選ぶはずがない。ただし、「斎藤氏は有罪だが、当選した」という反論もあろう。

 「百条調査権の発動に際しては、証言・若しくは資料提出拒否に対し禁錮刑を含む罰則(同条第3項)が定められており」とされ、強力な調査権限を持つ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%9D%A1%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

 百条委員会の委員は、議員であり、委員長や副委員長も議員である。

 何故そのような強力な権限を持てるかと言うと、彼らは県民(ここでは兵庫県を想定)から選ばれた人であり、県民からの委託を受け、県民の民意を代表しているからだ(例えば県の職員にそのような権限を与えることはできない。法律の専門家にも、大学の教授にも、民間企業のトップにも、誰にもこの権限を与えることはできない)。

 その民意が、斎藤氏を県知事として再び選んだ。

 「斎藤氏は有罪だが、当選した」とすると、「県民はバカだから間違えた。百条委員会が正してあげましょう」ということになる。これでは民意を反映するどころか、民意を覆すことになってしまう。依頼主を無視して、自分たちが決めるということになる。県民から与えられた権限で、民意を無視していることになる。そもそもそのような権限は認められない。

 もし、選挙の前に百条委員会が結論を出していたら、どのような結論であれ、少なくとも形式的には何の問題もなかった。議会は百条委員会に調査を依頼しながら、百条委員会を無視して勝手に結論を出してしまった。何のために百条委員会を立ち上げたのだろうか。そこが間違っていたので、身動きの取れない状況になってしまった。

 

3.   裁判官が被告に殴り掛かった / 当事者は裁判官になれない

 今回、議会が県知事に不信任を出しということは、議会が県知事に、俗な言葉を使うと、ケンカを売り、県知事がそれを受けたと言えるだろう。県議会と県知事の両方がケンカの当事者であるにも関わらず、一方の当事者が裁判官役を務め、他方の当事者を被告として裁く。こんなことは、あり得ないだろう。

 議会はケンカをしかけた以上、絶対に勝たねばならない。まさに、冤罪を生むパターンになっている。このような危険があるのに、このまま進めてよいのだろうか。冤罪をうまない手立ては、あるのだろうか

 

4.   議会は民意を反映しているのだろうか

 議会が意図的に民意を無視したわけではない。

 しかし、議会の出した結論「斎藤氏に資質がない」は、民意によって完全に否定された。議会は、民意を反映できていないことを、白日の下に晒してしまった。

 議会は、県民から「議会不信任」を突き付けられたのではないか。ただ、本人たちにその自覚はなさそうだ。県民が間違っていると思っているのだろう。そうならば、傲慢だ。

 

5.   疑惑(1)

 斎藤氏当選の原動力の一つとして『旧態依然』『既得権益』への県民の不信が大きかったと思う。斉藤氏の疑惑を追及してきたが、今や、議員たち自身が疑惑の対象になってしまった。

 その疑惑をなんとか自ら晴らしてほしいが、多分無理だろう。下手な弁解をすると、疑惑がますます深まってしまうのではないか。ならば、居直るしかないことになる。

 

6.   疑惑(2)

 更に新たな疑惑が出てきた。百条委員会・奥谷委員長 親族の会社が倒産→私怨で斎藤おろしに加担? Xで拡散する疑惑を「一族経営では全くない」と完全否定

https://news.yahoo.co.jp/articles/2f58bec4be71050817df44acce14a7a15575b3c4

 奥谷氏は、完全に否定している。奥谷氏の言っていることが正しいとすれば、本件については奥谷氏に何の落ち度もない。ただ、利害関係者となりえる人、あるいは見なされる恐れのある人は、委員長に留まらないほうがよいだろう。特に、厳しい判断を下したら、痛くない腹をさぐられる。

 私は本件において奥谷氏を否定するつもりも非難するつもりもない。留まると、本人が苦しい立場になるし、百条委員会も厳しい結論を出しにくくなる。問題があるなら、ちゃんと指摘してもらわねばならない。そのためにも、委員長はかわった方がよいのではないか。

 

7.   議員辞職

 議会が信頼を取り戻すには、議会もやり直し選挙をすれば、すっきりする。斉藤氏は信を問うて再選された。議員も信を問うて再選されれば、誰も文句を言わない、言えない。

 再び議会が不信任決議案を提出し、それが通れば、知事が議会を解散できるが、その条件がないと、知事が議会を解散させることができない。解散が怖いから、議会はもう、不信任決議案は出さない。つまり、知事が議会を解散させることはできない。

 一方、「地方公共団体の議会の解散に関する特例法」というのがあって、「議員数の四分の三以上の者が出席し、その五分の四以上の者の同意」があれば、自主解散、つまり議員が自ら議会を解散できるらしい。

https://laws.e-gov.go.jp/law/340AC1000000118/

“兵庫県議会の「みそぎ解散」はあり得るか 維新・吉村氏がけじめ要求、県議賛否入り乱れ”

https://www.sankei.com/article/20241122-GVQIXS5DQFM45ICQX4IZ2BXURE/

 ただ、そのようなことをするとは思えない。落選してしまう可能性も大いにある。彼らは県民に信頼されようが、されまいがおかまいなく、任期いっぱい務めるだろう。きっと「次の選挙のころには、みんな忘れているから、大丈夫」と。

 

8.   県政を停滞させているのは誰か

 県政は、ますます停滞するだろう。

 発端は斎藤知事のように見えるが、その前に元県幹部がいて、その後ろに議会がいる。

 斎藤知事を潰したいのだが、議会で叩いてもはかばかしく進まない、第三者委員会もはかばかしく進まない、百条委員会もはかばかしく進まない、しびれを切らして知事を首にしてもうまくいかなかった。次に何を画策するのだろうか。県知事潰しのためなら、県政を混乱させることもいとわない人たちが県政を停滞させているのではないだろうか。

 一方、斎藤知事が県政を停滞させようとすることは、ないだろう。誰よりも困るのは、自分自身だから。

 

9.   困るのは県民

 私も、兵庫県民の一人です。

 彼らにとって、県民はどうでもよい、筋が通らなくてもよい、ひたすら自分が可愛いのだろう。私から見ると、可愛くない。

 

2024年11月22日金曜日

(2617) 兵庫知事選を巡る6つの対立軸

※ 長いです。

最初に目次を示します。関心のある部分のみを部分的に読んでいただいて、問題ありません。

 兵庫県知事選を巡り6つの対立軸があったが、結果としては、いずれも斎藤氏に有利に働いた。それが斎藤氏の勝因だと思う。

1.   「斎藤か斎藤以外か」

2.   「デマを流すマスメディア VS 真実伝えるネット」

3.   「『旧態依然』『既得権益』 vs. 改革者」

4.   「稲村か稲村以外か」

5.   「稲村か斎藤か」

6.   「ファクトかデマか」

 

7.   選挙後の、稲村氏と立花氏のコメント

 

 「有権者が既成政党と距離を置く現状が浮き彫りになり」、「国政選挙の戦略も見直さなければならない」との認識は広がっている。「斎藤氏の勝利は、新聞やテレビなどの報道より交流サイト(SNS)がより大きな影響を及ぼした結果だと指摘されている」(産経新聞 2024/11/19

 良いことか良くないことか分かは別にして、現実はこのような動きになっていく。何が本当か、分かりにくい時代になった。マスコミやネットの情報に惑わされることなく、適切に判断する「国民の能力」が、とても大切になっていく(藤波)。

 

1.   「斎藤か斎藤以外か」

1.1.  「斎藤か斎藤以外か。私は絶対、負けるわけにはいかない」。斉藤氏は選挙戦初日から繰り返しこう訴え、改革を継続するとして支持を求めてきた

1.2.  「斎藤か斎藤以外か」の構図は、インターネットを中心に逆境の斎藤氏への同情を呼ぶ「判官びいき」の世論も醸成した

1.3.  「反斎藤」で一致しながら個別の対応はバラバラの各党の動きが、四面楚歌だった斎藤氏の猛追を許した点は否めない

(産経新聞 2024/11/18

 

2.   デマを流すマスメディア VS 真実伝えるネット」(コミュニケーション研究所)

2.1.  SNSの力

 「序盤の劣勢をSNSの力で逆転した初めての大型選挙ではないか」(立民の小西洋之参院議員)

 

2.2.  斎藤氏 対 稲村氏

 1116日時点の斎藤氏と稲村氏のXInstagramのフォロワー数、およびYouTubeのチャンネル登録者数を以下(左下のグラフ:略)に示します。斎藤氏のフォロワー数は、いずれも稲村氏の10倍以上となっており、ネット上では勝敗がついている印象を受けます。(ネットコミュニケーション研究所)https://netcommu.jp/Report/hyogochijisen2024

 なお、以下のようなことはあってはならない。徹底的に調査してほしい。「17日投開票の兵庫県知事選で敗れた元尼崎市長の稲村和美氏を巡り、後援会が開設した公式X(旧ツイッター)アカウントが選挙期間中、何者かによる一斉の虚偽通報が原因で2回凍結された」

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF21CLX0R21C24A1000000/

 

2.3.  立花氏

 斎藤氏は動画においても稲村氏を圧倒していましたが、今回の選挙において、YouTube上でより大きな影響を及ぼしたと考えられるのは、斎藤氏を支持・支援するネットワークでした。特に、同じく立候補していた立花孝志氏は、自身のフォロワー数63万人を誇るYouTubeチャンネルで100本以上の動画を投稿し、これらは合計で1,500万回近く再生されました。(出典は同上) 立花氏の「デマ」については、後出(「ファクトかデマか」)

 

2.4.  SNSで広がったもの

 疑惑は捏造だとする見方がSNSなどで広がった。斉藤氏を応援するとして無所属で出馬した「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、「斎藤氏は被害者」などと訴える場面もあった。(産経新聞 2024/11/18) … 後出(「ファクトかデマか」)

 「外国人の地方参政権」については、後出(「稲村か稲村以外か」)

 

3.   「『旧態依然』『既得権益』 vs. 改革者」

3.1.  「これは『旧態依然』『既得権益』に対する嫌悪や、それに剥奪されてきたと感じる人たちがあげる狼煙なのではないか」(国民民主の伊藤孝恵参院議員)

 

3.2.  選挙戦最終版の14日には、県内の22市町が稲村氏支持を表明したが、斎藤氏の勢いの前に敗れた(産経新聞 2024/11/18)。稲村氏支持22市長 4勝18敗(産経新聞 2024/11/19

 『旧態依然』『既得権益』を守りたい「県内の22市町」が、稲村氏と結託したとみなされ、逆効果だったのではないか(藤波)

 

3.3.  大濱崎卓真氏(選挙コンサルタント・政治アナリスト)の見解

 市長有志22人が最終盤に表明をしたことは、終盤戦において、稲村陣営の「焦り」を顕在化しただけでなく、既得権益側という位置付けを確定させるのに十分です。既得権益に対抗するという斎藤前知事のストーリーを、稲村氏が飲み込んでしまったこの出来事は、最後の3日間で選挙戦の構図を確定させてしまい、終盤の差が広がる結果につながったことは間違いありません。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fad1771764de45da6ac0b992e362475877898725/comments

 

4.   「稲村か稲村以外か」

 バラバラだった「稲村以外」が最後は斎藤氏に集まった。

4.1.  外国人の地方参政権    後出(「ファクトかデマか」)

https://news.yahoo.co.jp/articles/4fc301892285921d6a4d4b158dff1674a9e4c777?page=1

4.1.1.  外国人の地方参政権(1)

 前知事の失職に伴う兵庫県知事選挙に立候補している稲村和美氏について、「当選すると外国人の地方参政権が成立」するという言説が拡散していますが、誤りです。稲村氏は外国人参政権を公約にしておらず、この言説を自ら否定しています。

4.1.2.  外国人の地方参政権(2)

 自民党の岡田ゆうじ神戸市議会議員は、自身のアカウントで「稲村氏は極左の『緑の党』の共同設立者の一人で、緑の党は外国人参政権を主要政策としている。知事選出馬に際し、緑の党の役員は降りたようだが、Wikiには記載が残っている。不適格では」と1028日に投稿している。

 

4.2.  行き所を失った票の行方

4.2.1.  自民党、保守層

 自民党が独自候補を断念し、さらに、斎藤氏、稲村氏、清水氏に分裂し、自民党員は失望し困惑した。特に保守層は「3人とも投票したくない。白票しかない」と思っていたが、「兵庫県知事選情勢、稲村氏わずかにリード 斎藤氏が猛追」(共同通信社 2024/11/09)というニュースが流れた。稲村氏は尼崎市で「性的少数者に対するパートナーシップ宣誓」をしており(ここまでは確認されたファクト)、「外国人参政権に賛成やLGBT法に賛成しており左寄りだ」という懸念から、稲村氏だけは避けたいとした。斉藤氏でも清水氏でもよかったが、斎藤氏の方が稲村氏に勝てる可能性が高いので、斎藤氏に投票した。斉藤氏を積極的に支持しているわけではない(藤波が聞いた話)

4.2.2.  消去法

 期日前投票を済ませた兵庫県西宮市の50代の男性会社員は「これは、という候補者がいなかった」と嘆き、最後は「消去法」で投票したと語った(産経新聞 2024/11/18。彼が誰に投票したかは不明)

 

4.3.  何を信じればよいのか

 公約はあてにならない。当選するためなら、自分の信条に反することでも、不可能なことでも、政治家は平気で嘘を語る。石破首相は次々と公約を破って平然としている。民主党は政権奪取時のマニフェストの多くを実現しなかったが、反省もしていない。トランプ次期大統領の経済政策は矛盾だらけで、実現は難しいと言われている。

 「デマを流すマスメディア」は何の反省もせず(選挙当日のテレビを見たが、サンテレビは反省したが、NHKは自らを反省することはなかった)、「真実伝えるネット」も怪しげな情報も流している。

 今回では稲村氏や斎藤氏が過去に何をしてきたか、何を言ってきたかをしっかり調べるのが重要だろう(マスメディアは自分の嫌いな報道をしないが、ネットを見ればわかる。ファクトと確認できたことだけを信じればよい)。「過去はそうだが現在は違う」と言うかもしれないが、それなら「現在はこうだが将来は変わるかもしれない」ということになり、今言っていることを信用しにくい。

(以上、藤波)

 「これだけは言っておきたい。選挙は一時の情熱ではなく、政党や候補者の理念、政策、実績を冷静に判断して投票すべきである」(鹿間孝一氏:ジャーナリスト、コラムニスト)

https://www.sankei.com/article/20241120-4KINZOBVDNN27C4T2RYQY2EN4E/

 

5.   「稲村か斎藤か」

 稲村氏と斎藤氏と、何が違っていたかを確認しておく。

 

5.1.  演説:斎藤氏は一貫していたが、稲村氏は変化した

 斎藤氏の演説の内容は告示日と最終版でも大きな変化は見られず、終始一貫したものだった。 … 「改革」「県政」「必要」「支援」および、県立高校への投資という実績を強調するため「学校」「子供」

 稲村氏の演説は当初は自らの政策を訴える内容が多かったが、終盤には対立候補批判が増えるなど変化がみられるようになった。

 以上、産経新聞(2024/11/21)

 

5.2. 

 以下、「声」を4つ、拾い集めてみた。出典は、https://news.yahoo.co.jp/articles/fad1771764de45da6ac0b992e362475877898725/comments (前出)

5.2.1.  (1)

 稲村さんは斎藤さんや立花さんの悪口ばかりの選挙戦だった。かたや斎藤さんは名指しで悪口は言わず、自分の信条・誠意を貫いて支援を呼び掛けた。見えている景色が最初から違うんです。

5.2.2.  (2)

 いや、間違いなく稲村さんは斎藤候補と争おうとしてたと思うよ。でもそもそも県民はそこを争点だと思ってなかったんだよ。

 実直に政策と実績を見て、県庁ではなく県民の方を向いて兵庫県の未来が潰れてしまわないように県政を進めてくれるのは誰なのか、有権者一人ひとりが考えて投票した結果だと思うよ。斎藤候補と戦って、県民に負けたんだよ。

5.2.3.   (3)

 第一声が県庁前で県庁職員向けであったこと。県民より県庁職員の既得権益ファーストが露わになりました。

5.2.4.  (4)

 根本的には、リハックの討論会で、稲村さんはまったく質問に対する返答がなってなかったのが決定打となっている気がする。あの段階では、しっかり質問に返答出来ていれば稲村さんに投票するつもりでした。

 その後も他人の悪口ばかり、風通しが良い県政ってなんなのって感じです。結局、斎藤さんしかないという選択でした。

ReHacQ討論会】兵庫県知事選挙【候補者7vs高橋弘樹】

ReHacQ−リハック【公式】 2024/11/01

https://www.google.com/search?q=%E3%83%AA%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E8%A8%8E%E8%AB%96%E4%BC%9A&oq=%E3%83%AA%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E8%A8%8E%E8%AB%96%E4%BC%9A&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUyBggAEEUYOTIKCAEQABiABBiiBDIKCAIQABiABBiiBNIBCTE2NjFqMGoxNagCCLACAQ&sourceid=chrome&ie=UTF-8#fpstate=ive&vld=cid:0d3b1874,vid:b-bNBgMhpNM,st:0

5.2.5.  「声」総括

 引用事例のバランスの悪さが気になるが、「稲村氏の演説のここが良かった」という記事に巡り合えなかった。私のパソコンにフィルターがかかっているのだろうか?

 

6.   「ファクトかデマか」

 

6.1.  「当選すると外国人の地方参政権が成立」するという言説が拡散 (前出)

 これに対して「稲村氏は外国人参政権を公約にしておらず、この言説を自ら否定しています」(前出)と反論したが、これでは不十分だったと思う。

 稲村氏は芦屋市長であったとき、自らの退職金を1年目の500万円から最終、3期合計5,000万円に引き上げている。(注)以下のサイトでは、稲村氏の実績も評価している。

https://iscgh2022.jp/inamura-kazumi-taisyokukin/

 もちろん「退職金を合計5,000万円にする」という「公約」は掲げていなかっただろう(私は尼崎市民でないので読んでいない・未確認)。「公約にあげていないから、しない」という論理は成り立たない。更に「稲村氏は極左の『緑の党』の共同設立者の一人で、緑の党は外国人参政権を主要政策としている」(前出)という経緯(ファクト)がある。「当選すると外国人の地方参政権が成立」は、「ファクト」を積み重ねて帰結し得る、合理的な推論で「デマ」に当たらないと思う。ただ、本人が否定しているので、本人にその意思があるような表現だと、ウソになる。断定的に表現すると、レッドラインを越えてしまいそうだ。選挙になると皆さん断定的な表現になる。

 マスコミ(及び稲村氏?あるいは、その支持者?)はこれを『ネットはデマをふりまく』として、攻撃した。結果として、稲村氏は多くのネットを敵に回してしまったのだろう。(以上、藤波)

以下、https://news.yahoo.co.jp/articles/fad1771764de45da6ac0b992e362475877898725/comments (前出)

 ネットの情報は、昔も今も玉石混淆です。

 ですが、TV等の情報が玉ではない事が周知の事実となった今多くの人はネットでの情報から、「自分の信じる情報」、「理屈の通った情報」を追うようになりました。

 今回も、メディアが出す数々の違和感ある情報に反発する形で「より論理的と思える情報」や、問題とされる事よりも「今後の県政を動かせる実行力等に期待した内容」を、是とする人が多かったのだと思います。(括弧は藤波が追記)

 (以下、藤波)ネットのデマに振り回される人もいるが、マスコミからの情報のみに頼るのではなく、玉石混交のネットの中から信頼できる情報を引き出して、妥当な判断を導き出している人もたくさんいるだろう。日本人は、バカばかりではない。

 

6.2.  「疑惑は捏造」だ、「斎藤氏は被害者」だ (前出)

 これはデマともファクトとも言えないと思う。兵庫県で折角「県議会調査特別委員会(百条委員会)」や「弁護士でつくる第三者委員会」を立ち上げたのに、その結論が出ないままに県議会が「知事は資質欠く」という恣意的(証明不可能)な理由で不信任案を通してしまったので、公式な結論はまだ出ていない。

 そこで、“私は「疑惑は捏造」だ、「斎藤氏は被害者」だと思う”と言うのも自由だし、“私は「疑惑は捏造」と思わない、「斎藤氏は被害者」だと思わない”と言うのも自由だろう。今の時点で「疑惑は捏造」「斎藤氏は被害者」をデマだと決めつけることはできない(ただし、その根拠に嘘があれば、デマと言える)。デマだと決めつけるにはそれなりの根拠が必要だ。自分の気に入らない意見に安易に「デマ」というレッテルを貼って流布すれば、それこそ「デマ」と言われかねない。(以上、藤波)

 

6.3.  立花氏が流したという「デマ」

 立花氏が流したという「デマ」については、私は直接読んだり聞いたりしていないのでよく分からない。解説記事などを読むと、事実に即しない情報や悪質なところも多々あり、かつ、少なからぬ影響があったようだ。

 問題があるところについては、断罪しなければならないだろう。また、悪質なデマに惑わされないためにどのようにすればよいか、考えていかないといけない。民主主義を守るために、デマ対策は今後必須になっていくだろう。(以上、藤波)

 ちなみに、斎藤陣営は「(立花側と)一切連絡を取っていない」と言っている。

 以下、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/84446?page=4

 もう一つ、支持者動員の大きな要因になったのが、斎藤を当選させるために出馬したというNHK党の立花孝志による発信だ。選挙制度を揺るがす、その脱法的行為に加え、YouTubeXで文書問題に関するデマ含みの暴露情報、元県民局長の人格を貶めるような憶測、百条委の県議たちへの攻撃を流して耳目を集めた。斎藤の街宣終了後、居残った聴衆に向けて行う「ハイエナ街宣」(と本人が称していた)も人気を集め、多くの人たちがこれを「真実」と受け取っていた。

 

6.4.  「敗因はデマ」とは言えない

 事実でない情報の拡散や悪質なデマもあっただろうが、稲村氏は多くの要因があって落選したのであって、「デマで落選した」とは言えないと思う。そう言って終わらせると、大切なことを見落としてしまう。(藤波)

 

7.   選挙後の、稲村氏と立花氏のコメント

7.1.  稲村氏

 「候補者の資質を問うというより、何を信じるかということが大きなテーマになった選挙だと感じています」と振り返った。また、日に日に注目度が増した選挙戦に「斎藤候補と争ったというより、何と向かい合っているのかなという違和感があったのは事実です」と首をひねった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c367b06053d50bf6225fdb486e28fb194610713e

 

7.2.  ニコニコニュースの開票特番

https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202411170001755.html

7.2.1.  稲村氏

 県職員や県民とのコミュニケーションを訴えたが、その点があまり争点にならなかったと語った。また、斎藤知事時代の県政のガバナンスの問題点が知事選の発端として「もともとこの問題がスタートした経緯と、今回選挙戦で(ネットで)拡散したストーリーに少しズレがあるのではないか」と振り返った。

7.2.2.  立花氏

 「ネットの特徴で、テレビを見ていると総合的にやるので、自分にいいことも言ってくれるし自分に嫌なことも言ってくれるから、なるほど、と思うでしょうけど、ネットって自分が心地いい情報しか聞かない人が多い」と例をあげ「今の稲村さんの話を聞いていると、何で自分が落選したのか、よく分かっていらっしゃらない」と指摘した。


2024年11月20日水曜日

(2616) アドバイス

1.   アドバイスを受けて

 アドバイスを受けて、

   スーッと受け入れることができる場合と

   不快感、反発感があって受け入れにくい場合と

 がある。その違いは、どこから来るのだろうか

 

2.   違い

2.1.  土俵

 その人がその人の土俵の上で発したアドバイスか

 私の土俵に乗ってくれて発したアドバイスか

 

2.2.  価値観

 その人がその人の価値観から発したアドバイスか

 私の価値観を尊重して発したアドバイスか

 

2.3.  状況

 おそらくその人の経験から良かれと思って発したアドバイスだろう

 しかし、状況によって、有効になったり無効になったりする

 そのことを配慮しているか、押し付けになっていないか

 

2.4.  我(が)

  自己顕示欲 ~ 私はこんなことも知っている

  マウント ~ 私は、あなたにアドバイスする立場だ

  優位感 ~ 私は貴方より優れている

 このような我(が)は、発する人は意識しないが、受け取る人は感じる

 

3.   アドバイスを受けたとき

 

3.1.  真摯に検討する

 いかなる印象を受けようと、いかなる動機があろうと、それらとは関係なく、アドバイスそのものが自分に役立たないか、真摯に検討する

 

3.2.  受容するか無視するか、はっきり決める

 役立ちそうならありがたく受け入れる。役立ちそうになければ無視する

 

3.3.  お礼を言う

 例えば、我(が)から出たアドバイスであっても、私のためにアドバイスしてくれた側面もある

 

3.4.  ゴタゴタ言わない

 例えば、土俵が違うまま議論しても何も産まれない。双方が不快になるだけである。余計なことは言わない

 

4.   アドバイスをするとき

 

4.1.  自己チェックする

 相手が不快にならないよう、2.の項目をしっかりチェックする

 

4.2.  相手の目を見ながらアドバイスする

 相手の目が輝いていたら、アドバイスを続ける

 相手の目が濁っていたら、アドバイスを終わりにする

 

5.   人間関係、特に親子関係

 

5.1.  このことは人間関係をよくすることに関わる

 

5.2.  特に親子関係がうまくいっていないとき、振り返ってみよう

 親子関係は非対象であるという特徴がある

 親は子を養育し指導する立場からしばしば「アドバイスの禁」をおかしてしまう

 子は親の愛を頭では理解しても、反発心が起こり、矛盾の中でいたたまれなくなる

2024年11月18日月曜日

(2615) 妙法寺から馬の背へ、高倉台バス停の怪

(2614) 道程、成功要因」の続きです。

 前回、「東側・西側を問わないなら、馬の背(須磨アルプス)へのアクセスには、妙法寺側(東側)からがより楽である。つまり、六甲全山縦走路を逆行するのがよい」という結論を出しました。

 公表されている所要時間を見ると、登山口から横尾山までが35分、登山口から東山までが15分でした。横尾山と東山との所要時間は20分で、地図で見ると、大雑把に言って、2対1で東山に近い位置にあります。また、登山口と横尾山との間に栂尾山があり、つまり、一つの大きな起伏があるが、登山口と東山との間には山はありません。よって、経験者の話(妙法寺からの方が楽だ)は、正しそうです。

 ただ、私は実際には行っておらず心配になったので、妙法寺から馬の背直前まで行って引き返してきました。

 感想を言うと、①登山口から整備された比較的なだらかな道が続くが、②東山山頂に近づくと急な階段が続き、③東山から馬の背までは下りになるが、反対からだと「岩をよじ登る」ような落差の大きい岩の道が続き、降りていくのに苦労しました。私は戻ったのですが、「よじ登る」ほうが楽でした。なお、大きく迂回する道があり②の道程がよりなだらかになると思います(同じ高さを登るなら、途中の凸凹があまりないのなら、歩く距離が長い方が平均傾斜は小さくなる)。

 対面ですれ違った人に「馬の背は怖くなかったか」と聞いたが、「怖かった」という人は一人もいませんでした。それでも、私は馬の背を渡らず、引き返しました。一人で行って万一滑落したら、救いようがありません。参考までに以下の記事を紹介します。

「須磨アルプス馬の背の滑落事故」(2024/09/22

https://www.yamareco.com/modules/diary/121565-detail-340101

 バス停(横尾小学校前)から東山への行き方を図示します。

 本日会ったのは、高倉台から妙法寺へ向かう人が圧倒的に多く、これに逆行すると馬の背ですれ違うことになります。大丈夫だろうか? 少なくとも「馬の背の部分」では無理なので譲り合うしかなく、少数派の方が恐縮しそうな気がします。行っていないのでわかりませんが。

 

 また、どうでもよいことですが、須磨一の谷 ~ 妙法寺の途中の高倉台バス停で、両方向けのバス停が、同じ向きになっているのが、ずっと謎だったのだが、ようやく謎が解けました。図に示します。

 

 このシリーズ終わり。 






2024年11月16日土曜日

(2614) 道程、成功要因

※ 「(2613) 3日間の散歩」の続きです。 

 須磨浦公園駐車場から馬の背に行って戻る道程を図にまとめました。私は馬の背(須磨アルプス)まで行ったことがないのですが、詳しい人に聞き取りながら作りました。山登りに慣れていない、時間制約がある(暗くなる前に帰りたい)ことを考慮すると、適切だったと思います。

 特徴は、

  六甲全山縦走路に拘らない(途中で離脱し、一部、逆行する)

  徒歩のみに拘らない(途中と最後でバスを利用する)

  馬の背を踏破することにこだわらない(途中で引き返してよい。往復してもよい)

  できるだけハードな道のりは避ける(栂尾山への登りがキツイ)

  今回は鉢伏山まで徒歩で登った(ここもキツイ)が、ロープウエイなど使うと更に楽になる

  時間の節約になる(復路はバス利用)

  元に戻れる(駐車場からスタートし、駐車場に戻る)

  特に、車で来た初心者に向いている(ベテランには物足りない)

 

 途中で別れたので確かめようがないが、多分、楽しんでもらえたと思います。これを成功例として、成功要因を分析します。

 

 先ず、彼女たちのしたことを時系列で並べると、

  したいことを決めた(馬の背に行きたい!)

  ラフに下調べした

  現場に行って行動を開始した(山陽須磨浦公園駅から歩き始めた)

  分からないことを人に聞いた

  親切な人に出会いアドバイスを得た

  良いアドバイスだと判断し実行に移した

 

 こう書けば、一般化できるでしょう。

 

 ここで⑤をどう考えるかで、作戦のたて方が変わります。⑤は運任せなのです。従って⑤が伴わず、うまくいかないまま終わってしまう恐れがあります。そのため、多くの人は、②の下調べを綿密に行います。これが正攻法です。

 

 正攻法ではあるが、欠点もあります。綿密に調べても、冒頭の道程は描けなかったと思います。惨敗に終わる(当初目的が全く達成されない)可能性は低いが、今回のような大きな成功は期待できないでしょう。しっかり下調べをしていたら、人にあまり聞かないだろうし、予定通りの行動をしようとし、柔軟に対応しなくなります。当初計画は必ずしも完璧でなく、もしかしたら間違っているかも知れないのに、是正されにくいのです。

 

 運を織り込むと様子が変わってきます。一番大きな違いは、正攻法では思考の場で自分の頭が働くだけですが、運を織り込むと、現場にいながらその現場で他者の知恵を吸収できるチャンスが大きく増えます(運だよりなのでうまくいかないこともありますが、その時は「今回は運がなかった」とあきらめましょう)

 

 運任せという点が気になると思いますが、それは運が向こうから来ると思っているからです。運は自ら手繰り寄せるものです。夢を抱いて一生懸命何かをしていると、助けてくれる人が寄ってきます(70年以上生きてきての実感です)。

 

 大切なことは三つあります。①夢を描き語る、②夢を実現するために協力を求める、③夢を実現するために自分にできることはすべてする。③がないと、助けにきてくれる人が来ないし、たまたま来ても直ぐ去っていきます。①や②がないと、誰も気づいてくれません。

 

 ありきたりのことをしたいのなら、正攻法で十分でしょう。でも、画期的なことをしたい、画期的な経験をしたい、なら、運を取り込むことをお勧めします。

 

 計画を重視し過ぎると、いつまで立っても検討ばかりして③に至らないまま、熱意が消えてしまいます。新しいことを始めようとするとき、情報量が少ないので、たいした計画は作れないし、立てた計画も正しいかどうかわかりません。情報量の少ない場合はラフな下調べで現実に飛び込み、現実に真正面から向かいながら、現実の中で修正していけばよいのです。