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2017年9月30日土曜日

(1012)  『私がこれだけできる』と分かった


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(K0153) 認知症者が彷徨う素敵な街 / 認知症者の居場所(4) <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k01534.html
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「平成29年度生活支援・介護予防サポーター養成研修(グループリーダー研修)」の三日目(最終日)が終わった。「修了証書」を頂いて、よく見たら、久元善造神戸市長からだった。恐れ多くももったいないので、掲載しておく。
 

締めの「研修全体のまとめ」は、朴木 佳緒留(ホウノキ カオル)神戸大学名誉教授だった。

次のような話を伺った。

===== メモからの復元(正確でないかもしれない)はじめ

 40年ほど前のこと、スウェーデンに学びに行った。当時は、福祉を学ぶものは、こぞってスウェーデンに行く時代だった。


 自治体の人が手配してくれたお宅にうかがった。「遠く日本からわざわざ」と、お手製のケーキで歓迎してくださり、とても恐縮した。ほぼベッドで過ごすが、車いすを使うこともあり、材料はボランティアさんに買ってきてもらい、車いすでも使える特製キッチン(*1)で自ら焼いてくださったらしい。

 精一杯の感謝を伝えると、「えっ、私こそ感謝しているのよ」という言葉が返ってきた。「貴女のおかげで、『私がこれだけできる』と分かった。ありがとう」と。


 できないことを悲しむのが普通だろう。当時の日本では、「上げ膳・据え膳」こそが幸せの象徴だった。おじいさん、おばあさんは、○○してもらうことをとても喜んでいた。

 しかし、スウェーデンでは違っていた。「私が何かをできることが分かって自信を取り戻す」ことを大切にしていた。

 
 「自助」とは、「全部を自分でする」ことではない。もしもそうなら、「自助」はできない。それは悲しい作業であり、孤独へとつながる。

 「自助」とは「自部の力を恃(タノ)(*2)」ことだ。足が不自由なら、車いすを使えば「自助」できる。

===== おわり

(*1) 多分、添付写真(これは日本製)のようなもの/ユニバーサルデザインのキッチン
https://www.renoco.jp/knowledge/138/

(*2) 「自らを恃む」といえば、自分自信を深く信用して、ものごとを決める時の最終的な拠り所として認める、有事の時の頼みの綱とする、といったことを指しています。…たとえば万事休す、となったときにでも、「自分にまだ何かできることはないだろうか」という一点から、解決の糸口を探していけるだけの気概を持てているかどうか。
http://qlonegi.blogspot.jp/2012/07/blog-post_6400.html


2017年9月29日金曜日

(1011) 経験経済・2重の参加型


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(K0152) 街に溢れだす認知症者 / 認知症者の居場所(3) <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k01523.html
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前回の紹介した本『地域活性化戦略』に書いてあった「経験経済」を紹介する。

続けて、私が最近考えている「2重の参加型」について述べる。

 

  「経験経済」

簡単に言ってしまうと、

素晴らしい経験をさせてくれるなら、
少々お高くても、お金は払います。

その通りだと思う。
 

(注)箇条書き形式に書き換えた
===== 引用はじめ

「経験経済」とは、Pineet al.[1999]Schmitt[2000]等が提唱した、企業が消耗的な価格競争から脱することを目指す概念である。

彼らは、具体的に経済価値が (1)コモディティ→ (2)製品→ (3)サービス→ (4)経験と進展する様子を、コーヒー豆を例にとり説明している。

(1) まず、とれたてのコーヒー豆はコモディティ(=代替可能なモノ)段階で1カップ1~2セントの経済価値しかない

(2) 次にパッケージされた製品段階は5~25セント程度の経済価値をもち、

(3) さらにレストランで提供される定期的サービス段階では、50セント~1ドルの経済価値をもち、

(4) 最後に経験の提供段階では、コーヒーをイタリアのサンマルコ広場にあるカフェ・フロリアンでチャーミングな風景を楽しみながら飲む経験を例にすると15ドルの経済価値になるという。

===== 引用おわり
出典
小長谷一之・福山直寿・五嶋俊彦・本松豊太、『地域活性化戦略』(晃洋書房)

 
●以下は、私の考えだが、「2重の参加型」について述べる。

ある団体で「クラブ活動」を作り出そうとしている。
 

えらい先生を呼んできて、お話を聞く

… 悪くはないが、それは止めませんか
  自分たちでしなくても、注意してみておれば、
  世の中にたくさん、そのような機会があるから


会員が交互に講師になって、他の会員がお話を聞く

… 改善されていると思うが、それは止めませんか
 話したい人は、とうとうと話すが、聞きたい人は疲れてくる。
 「聞きたい話」はすぐに底をついて、
 「話したい話」ばかりになりそうだから。

 

私は「2重の参加型」が大切だと思っている。

(1) 会員が中心になって進める

(2) 参加者は、話を聞くだけでなく、参加する。例えば、

    音楽を楽しもう(聞くのではなく、自ら歌ったり演奏したりする)

    体を動かして楽しもう(参加者が体を動かす)

    クラフトを楽しもう(参加者が物を作る)

    ボードゲームを楽しもう(囲碁・将棋・麻雀は除く。トランプは含む)

    意見交換を楽しもう(講師が話すのではなく、参加者が話す)
 

 
両者は関係していると思い、二つのことを、今回書いた。

2017年9月28日木曜日

(1010) まちづくり成功の方程式


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(K0151) 加速度的に増える認知症者数 / 認知症者の居場所 <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k0151.html
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前回紹介した「空き家」の第一日目に、小長谷一之教授(大阪市立大学創造都市研究科)より、「地域活性化戦略」に関するセミナーがあった。
 

多くの、自称「市民派」の「まちづくり」グループで、なかなか成功しないところが、よく陥っているパターンがある、と言う。

===== 引用はじめ
うちはみなまとまっています。地域主体で一丸となってまちおこしに取り組んでいます(①)。まちで○○という地域資源があるので、○○のまちというブランドでやりました(②)。ところがまったく人が来ず、成功しません。
===== 引用おわり
 

成功しないのには、理由がある。
 

まちづくりの3法則とは、

   第1法則:地元がしっかりしていること(若い人がアイデアを出せる信頼関係)

   第2法則:ライバル・大型店ができないことをする(差別化法則)

   第3法則:顧客の好みにあわせるマーケティングをやっていること(顧客密着化の法則)

 
失敗事例の多くは、第1法則(①)と第2法則(②)は満たしているが、第3法則は満たしていない。地域だけで考えて、地域の古いものをブランド化しようとするだけで、客に受け入れられることがない。「差別化」できても、最終的に、顧客満足が得られなければ、それは独りよがりになってしまうことになる。

 
こうなってしまうのには、理由がある。

 

これまでのまちづくりの教科書の成功例を見ても、第1法則と第2法則しかわからない。だから、この二つで成功すると、勘違いする。

===== 引用はじめ

各地で有名な、少数の「まちづくり成功例」において、そのまちづくりのリーダーたちは、特に、経済・経営的な発想を潔しとしないところがあり、「われわれは自分たちのやりたいようにやってきた…『マーケティング』など考慮していない」という人物は非常に多い。しかしながら、実は、そうしたリーダーは当然の事ながら、優秀な人が多いので、実は、そのやり方が、結果として、ほとんど、「顧客マーケティング」「差別化」の二原則に忠実に従っている(そうでなければ成功していない)。したがって、こういう少数の「幸福な」リーダーたちは、きわめて偶然に、あるいはその才能故に、無意識的に「顧客マーケティング」の原則の方も満たしていた、と考えられる。

===== 引用おわり
 

出典
小長谷一之・福山直寿・五嶋俊彦・本松豊太、『地域活性化戦略』(晃洋書房)

(1009) 空き家 ~ リノベーションへの挑戦 ~


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(K0150) 「これでよいのか、認知症カフェ」 / 認知症者の居場所(1) <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k01501.html
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   空き家 ~ リノベーションへの挑戦 ~

が9月23日(土)から始まった。
 

「ふたば縁(ユカリ)塾」の第3期に当たる。第1期では参加者か少なかったらしい。
開校式に参加したが、案内されていた「定員20名」を今回は遥かに超えていた。

参加者の自己紹介を聞いていると、
既に活動をしていて更に幅を広げようとやる気満々の人もいるし、
よくわからないけれども参加したという控えめな人もいる。

===== 引用はじめ
座学でまちづくりの事や、CB(コミュニティビジネス)を学んだあと、塾生の想いから“場づくりテーマ”を決め、実際に空き家を使って場づくりをしていきます。
===== 引用おわり

主催者も「やる気満々」である。
本当に、そこまでやるの?と思ってしまうが、何事も挑戦である。

狙い通りうまく立ち上げられるかどうか、正直に言って、分からないが、
本気でやればやるほど、様々な成果を期待できる。

雰囲気は良かった。

これからが楽しみだ。

2017年9月27日水曜日

(1008) 辛坊治郎氏の特別講演会


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(K0149) 「定年女子の生き方」と両隣 / 定年女子 <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k0149.html

NPO法人新現役ネット 関西ブログ 読書サロン
http://kansaiblog.shingeneki.com/e654619.html
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昨日(9/26)、辛坊治郎氏の特別講演会(日本生命保険相互会社 北大阪支社 主催)を聞いた。定員700名の予定だったが聴講希望者が殺到し、会場に頼んで1000名定員に変更したが、それでも立見席ができてしまうかもしれない、との説明が冒頭にあった。


案内されていたタイトルは、「時代を読み解く~正しい判断は正しい情報から~」で、これは氏の標準メニューである。
http://www.nobetech-mag.jp/lecturer/%E8%BE%9B%E5%9D%8A%E3%80%80%E6%B2%BB%E9%83%8E/

ところが、内容は明らかに違った。


どうやら、辛坊氏には熱烈なファンがいる一方、熱烈な(?) クレーマーもいて、講演会でトラブることがあるらしい。そうなっても日本生命の責任でないのだがイメージは悪化する、また、熱烈な(?)クレーマーの(保険の)顧客を失いたくない。このような配慮が働いてか、「日本の政治の話をしてくれるな」との要望があったらしい。しかし、これは、講演「時代を読み解く~正しい判断は正しい情報から~」の要だろう。無料だから許されたのだろうが、有料なら「金返せ」となってもおかしくない。それでも、話を無難にまとめるのが、流石のプロ。保険の必要性も巧みに織り交ぜながら、会場を沸かせた。
 

講演の始まる前、いつものようにメモをする準備をして、ふと気づいたのだが、見渡す限りメモを準備している人は誰もいない。聴衆のほとんどは、私のお兄さん・お姉さんの世代である。また、無料の講演である。そういう1000名の聴衆にメモをとらせるような話をしたら、それは多分、プロとして失格なのだろう(2度と呼んでもらえなくなる)。
 

話の内容は、一般論はほとんどなく、氏の経験に基づく話が多く、だから、訴える力が強いのだろう。

最後に、自身のヨット遭難事故について語った。
事故の概要:https://matome.naver.jp/odai/2137178616896697301

これには、批判もある。
http://biz-journal.jp/2017/04/post_18640.html

私も、太平洋横断企画自体は好ましくなかったと思う。ただ、これは起こってしまった事故である。そこで何があったのか、何を学んだかを伝えるのは、報道者としての一つの責任の取り方でもあるのではないか。

ただ、講演で感謝の言葉はあったが、謝罪の言葉はなかった。
そうでないと、やっていけないのかもしれない。
 

それはさておき、「1000人を相手に、どのように何を話せばよいか」を学ぶ機会だと捉えれば、とても参考になる講演会であった。

2017年9月26日火曜日

(1007) 「ソーシャルシティ」(0) / 放送大学のテキストが届いた(3)


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(K0148) 催し物情報(10) <催し物紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k014810_26.html
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放送大学のテキストが届いた。
三つ目は、「ソーシャルシティ」。
 

 本書では、情報通信技術を用いて、実空間での人と人、人とまちとのコミュニケ―ションを促し、活性化を図っているまちを「ソーシャルシティ」と呼び、現代のまちをみる視点やまちづくり施策の効果をどのように評価していくのか、その方法について、実際の例を交えながら解説している。

 人々が日常の暮らしの中で豊かな体験ができる未来のまち「ソーシャルシティ」を想像しながら、本書を読み進めていただければ幸いである。
 

  章立て

第1章 消費者行動とまちづくり

第2章 まちの評価

第3章 まちづくりの目的

第4章 マーケティングと消費者行動

第5章 消費者の意思決定

第6章 ソーシャルグラフの活用とSNS

第7章 モバイルコミュニケーション

第8章 移動体センシングと行動認識

第9章 赤外線放射カメラでまちの熱環境をとらえる

第10章 熱収支シミュレーションでまちの熱環境を予想・評価する

第11章 快適空間とヒューマンファクタ

第12章 新しい消費者の登場と来街者UX

第13章 実空間マーケティングの未来

第14章 各国で進む都市開発

第15章 ソーシャルシティとまちづくり

 

出典
川原靖弘・斎藤参郎、「ソーシャルシティ」、放送大学教材(‘17)

2017年9月25日月曜日

(1006) 「家族と高齢社会の法」(0) / 放送大学のテキストが届いた(2)


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(K0147) 「定年が見えてきた女性たちへ」 / 定年女子 <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k0147.html
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放送大学のテキストが届いた。
二つ目は、「家族と高齢社会の法」。

 

「家族と高齢社会の法」という講義は、変容し続ける家族が抱える課題を、それぞれのライフステージごとに法律的な視点から検討することを目指すものである。

法律を学ぶに際して無数にある全ての法律を知ることが求められるわけではない。社会の変化、法律の背後にある「法の精神」(Legal mind)を学び、現実の社会に生じた課題や紛争解決の筋道を見いだすことこそ、重要である。
 

  章立て

第1章 変容する家族か直面する課題

第2章 婚姻-家族をつくる

第3章 グローバーリーゼーションと家族

第4章 離婚

第5章 離婚と子ども

第6章 家族の虐待

第7章 高齢社会を支える法理念

第8章 老いじたくを支える法制度① - 成年後見制度

第9章 老いじたくを支える法制度② - 相続と遺言

第10章 公的年金と社会的扶養

第11章 仕事と社会参加

第12章 高齢者の住まいとケア

第13章 縮小する家族と介護

第14章 高齢期の医療と法

第15章 変容する家族と今後の課題

 

出典
川島志保・関ふ佐子、「家族と高齢社会の法」、放送大学教材(‘17)

2017年9月23日土曜日

(1005) 記憶の作られ方


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(K0146) 単行本「定年女子」 / 定年女子 <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k0146.html
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(1002)でいきなり“「苦労した」と言う人は、苦労しなかった人だと思います”と書いた。私の実感・直感からでてきた言葉だが、それはどういうことか、なぜそうだと言えるのか、説明していないのが気になっていた。仮想の物語を作って、考察する。
 

===== 「仮想の物語」はじめ
会社で解決困難な大きな問題が発生した。本来は関係ないのに、私がその解決を命令された。「婆を掴まされる」とは、このことだ。上司に訴えたが、「命令だ」と言うだけで拉致があかない。

心を入れ替えて、逃げずに取り組むことにした。しかし、問題の根は深く、悪戦苦闘しても見通しが立たない。見るに見かねたのか、Aさんが自発的にサポートしてくれた。

事態は少し改善したが、結局、解決できずに会社に大きな損害が生じて、その問題は終わった。
===== 「仮想の物語」おわり


この「仮想の物語」が記憶にどう残るか。
 

「普通の人」には、次のような記憶が残るのではないか

(1) 私は、理不尽な命令を受けた
(2) 頑張ったけれど、解決できなかった
(3) そのため会社に大きな損害を与えてしまった
(4) しかし、その責任が私にあると言われるのは、承服できない
(5) 本当に私は、苦労させられた
 

これとは違う、「別の人」もいる。その人にも同じような記憶は残るが、それは頭の隅に追いやられる。次のような記憶が頭の中心を占める。

(1) 私は、「命令」は筋違いだと思ったが、引き受けた
(2) その問題解決のために、私は最大限の努力をした
(3) Aさんが自発的にサポートしてくれた。とても嬉しかった
(4) 結果や評価はどうであれ、私にできることは全てした
 

「普通の人」が、命令が理不尽だと思い、募る不満に気をとられてしまったとしたら、解決のための努力に手が回らない。「解決のための苦労」はしていないのに、与えられた環境が「苦労」だと思い、「私は苦労した」と言う。


「別の人」は、筋違いの命令でも引き受けたこと、解決のために最大限の努力をしたことで、自分なりの満足感がある。自発的にサポートしてくれたAに深く感謝する。「Aが助けようとした自分」に誇りを感じる(私が最大限の努力をしたから、サポートする気になってくれた。Aにとって私は助けるに値する人間であったから、サポートしてくれた)。結果的に、会社に損害がでたが、私以外の誰が担当しても、避けられなかったと確信している。外的な評価はどのようなものであれ、自分の自身に対する評価は揺るがない。

この人は、「問題解決のための苦労」をたくさんしたが、それはあまり記憶に残らず、満足感と感謝と自尊心が記憶に残る。「私は苦労した」とは言わない。

(1004) 悪は「陳腐」である / 『全体主義の起原』(ハンナ・アーレント_) (4)


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(K0145) 個人Blog 9月中旬リスト <サイト紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k0145blog.html
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9月25日放送/9月27日再放送
100分で名著』 Eテレ 放映

月曜日   午後10:2510:50
()水曜日 午前05:3005:55、午後00:0000:25

 

第4回 悪は「陳腐」である

(1) アイヒマンとは何者か
(2) アイヒマンが突き付けた問題
(3) アーレントに向けられた批判
(4) 誰もがアイヒマンになりうる
 

<陳腐>

表題“悪は「陳腐」である”の「陳腐」を辞書で引くと「古くさいこと。ありふれていて、つまらないこと」とあるが(デジタル大辞泉)、ここでは「ありふれて」の意味で使っている。

 
<アイヒマンとアーレント>

アイヒマンは、ナチス親衛隊(SS)の中佐だった人物で、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に移送し、管理する部門で実務を取り仕切っていた。アルゼンチンに潜伏していたが拘束され、エルサレム法定の裁判(1961年)を受けた。

『全体主義の起原』を著したアーレントはその後、「人間」の歴史的起源を探り、その哲学的探求は、『人間の条件』として結実した(1958年)。
 

<『エルサレムのアイヒマン』:陳腐>

アーレントは自ら『ザ・ニューヨーカー』誌に志願し、特派員としてエルサレムに赴いて裁判を傍聴し、『エルサレムのアイヒマン』を著した。『エルサレムのアイヒマン』は、裁判の傍聴録という形を取りながら、全体主義体制における道徳的「人格」の解体について考察している。

アーレントによれば、アイヒマンは、どこにでもいそうな、ごく普通の人間だった(banal:陳腐)。若い頃から「あまり将来の見込みのありそうもない」凡人で、自分で道を拓くというよりも「何かの組織に入ることを好む」タイプ。組織内での「自分の昇進にはおそろしく熱心だった」とアーレントは綴っている。

アーレントが見たアイヒマンは、自らが「法」と定めたヒトラーの意向に従っただけの、平凡な官僚だった。たまたま与えられた仕事を熱心にこなしていたにすぎず、そこには特筆すべき残忍さも、狂気も、ユダヤ人に対する滾るような憎しみもなかった。

 
<複数性>

悪は平凡なものではなく、「悪を行う意図」を持った非凡なものであるという思い込み、期待、あるいは偏見。近代の法体系ですら、それを前提としているとアーレントは指摘している。

アイヒマンを死刑に処すべき理由は、彼に悪を行う意思があったかどうか、彼が悪魔的な人間だったかどうかということとは関係なく、人類の「複数性」を抹殺することに加担したからだと主張している。

人間は、自分とは異なる考え方や意見もつ他者との関係のなかで、初めて人間らしさや複眼的な視座を保つことができるとアーレントは考えていた。多様性といってもいいだろう。アイヒマンが加担したユダヤ人抹殺という「企て」は、人類の多様性を否定するものであり、そうした行為や計画は決して許容できない。

 
<実験>

条件が整えば、誰でもアイヒマンになり得る。このことは、「ミルグラム実験」や「スタンフォード監獄実験」で示された。ごく普通の人も、一定の条件下では権威者の命令に服従し、善悪の自己判断を超えて、かなり残酷なことをやってのける。
 

<無思想性>

考えるという営みを失った状態を、アーレントは「無思想性」と表現し、アイヒマンは完全な無思想に陥っていたと指摘する。

アーレントのいう無思想性の「思想」とは、そもそも人間とは何か、何のために生きているのか、というような人間の存在そのものに関わる、いわば哲学的思考である。

私たちは日々、いろいろなことを考えている。しかし、本当に「考える」ことができているだろうか。実は既成観念の堂々めぐりを「無思想に」処理しているだけではないだろうか。

 

10月は、『歎異抄』 講師:釈 徹宗

===== 引用はじめ
信じる心は一つである。

 浄土真宗の開祖・親鸞の教えは逆説に満ちた革新的なもので、それゆえに現代に至るまで多くの人々を救う一方、少なからぬ誤解も受けてきた。「悪人正機」をはじめとする『歎異抄』に収められた親鸞の言葉と、苦悩と矛盾に満ちた親鸞の生き方から、現代社会をよりよく生きるためのヒントを探る。
===== 引用おわり
テキストは、9月25日発売予定。
20164月のアンコール放送で、当時のテキストがそのまま利用できる。

※ このFacebook(Blog)では取り上げ済み【(467) (473) (480) (487)】なので、
  新たには書かない。

 

出典:
仲正昌樹、ハンナ・アーレント『全体主義の起原』、「100DEで名著」、NHKテキスト(2017/9)

2017年9月22日金曜日

(1003) 「人口減少社会の構想」(0) / 放送大学のテキストが届いた(1)


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(K0144) 「第一の人生」と「第二の人生」を重ね合わせる(2) / 人生100年時代の人生設計(4) <個人の発達>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k014424.html
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放送大学のテキストが届いた。

一つ目は、「人口減少社会の構想」
 

  章立て

第1章 人口減少と少子化
第2章 超高齢・多死社会の到来
第3章 人口減少社会の家族変動
第4章 人口減少社会の地域人口変動

第5章 人口減少社会の移動―国内―
第6章 人口減少社会の移動―海外―

第7章 変わるライフコース
第8章 変わる家族と世帯
第9章 くらしのセーフティ・ネット
第10章 家族とくらしの再構築

第11章 人口減少社会と地域コミュニティ
第12章 人口減少の適応策と緩和策
第13章 規模縮小下のまちづくり

第14章 人口減少社会の社会保障
第15章 人口減少社会の構想

 

第1章から第4章は、人口学をベースに人口減少をめぐる基本的な事柄について整理し、長期にわたる人口減少社会を出現させる要因は何かをみていく

第5章と第6章は、国内の人口がこれまで以上に規模の大きい都市に集中する可能性があること、日本国内の人口の減少が見込まれるなか、海外との人口移動がこれまで以上に注目されるようになることをみていく

第7章から第10章は、人口減少とそれにまつわる社会環境の変化のなかで人々のライフコース、家族・世帯がどう変化し、人々のくらしにどのような問題が生じているのかをみる

第11章から第13章は、人口減少社会において地域コミュニティはどのように変容していくかについて幅広い視点から考える

第14章と第15章は、人口減少社会において重要な意味をもつ社会保障について考える
 

出典
宮本みち子・大江守之、「人口減少社会の構想」、放送大学教材(‘17)