3つの「怪しい」3部作を書いてきました。
(2624)「権利」が怪しい
(2625)「多様性」が怪しい
(2626)「誰一人取り残さない」が怪しい
本編は、「怪しい」3部作+(プラス)になります。
3つの『怪しい』を書いてきましたが、どれも言葉自体には問題ありません。「権利を大切にしましょう」「多様性を大切にしましょう」「誰一人取り残さないが良いですね」という言葉は否定すべきではないでしょう。尊重しましょう。しかし、尊重した結果、社会が崩壊に向かっています。何故でしょうか。
本来好ましい概念であるはずなのに、「権利」「多様性」「誰人に取り残さない」と声高に叫んでいる人の中には攻撃的な人が多く、他者の「権利」「多様性」を無視し、少数者を取り残さないという名目で多数者を圧迫することがあります。それが現実です。3つのそのバックボーンは同じではないかと気になりました。その「同じハックボーン」は、「個人主義」だと思いました。
「権利」だけなら良いのだが、「権利」と「個人主義」がくっつくと変になります。「多様性」も「誰一人取り残さない」も同じです。
「全体主義は、個人主義の対義語で、個人の自由を認めず、個人の生活や思想は、組織全体、国であれば国家全体の利害と一致するよう統制されなければならないと考える思想です。この思想に基づく政治体制が全体主義国家です。」
「個人主義」が「全体主義」を否定するのは、問題ないと思います。間違いは、「全体主義」を否定するのではなく、「集団主義」を否定するからです。だから、おかしくなるのです。
集団主義とは「個人と集団の関係において,個人は集団と心理的な一体感をもつとともに集団の目標や利害を自分のものよりも優先させていくという集団中心の考え方。」
「個人主義」と「集団主義」とは相反する方向を向いていますが、どちらか一方のみが正しいとするのは間違いです。相反する方向の中で、いかに調和するかが大切です。
「集団主義が正しいのだから個人主義を否定すべきだ」という考え方では、とても生きにくい社会になってしまいます。一方、「個人主義が正しいのだから集団主義を否定すべきだ」という考え方では社会が成り立ちません。他者の権利を否定してしまうからです。その結果、個人主義が個人主義にとどまらず、利己主義(エゴイズム)に堕ちてしまっています。
利己主義(エゴイズム)を排除すれば、「権利」も、「多様性」も、「誰一人取り残さない」も、「個人主義」も、『怪しくなくなります』
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