画面の説明

このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2024年12月27日金曜日

(2626)「誰一人取り残さない」が怪しい

3つの「怪しい」3部作です。

(2624)「権利」が怪しい …………………… 前々回

(2625)「多様性」が怪しい ………………… 前回

(2626)「誰一人取り残さない」が怪しい … 今回

 

 理念としての「誰一人取り残さない」は美しいが、徹底的に現実に当てはめようとすると、社会が成り立たなくなる。

 一人を取り残さないために、他の何人もが損害を受ける。困っている人だけを見ていると、判断を間違える。全体を見て、最適解を探す(言い換えると、妥協する)必要がある。

 「この人が取り残されてしまう」と口々に叫ばれても、ほんの一部しか解決できない。それで文句を言われるのは、たまらない。

 「誰一人取り残さない」ためには、税金をいくら重くしても、追いつけない。一人一人の不便を解決するごとに税金は増え(その「一人」がやたら多い)、結局は、無制限に税金が増えていく。

 「誰一人取り残さない」と主張する人と、「税金を下げよ」と主張する人は、結構、重なっているようだ。「政府がやるべきだ」と言う。しかし、政府がやるためにはお金が必要であり、税金を上げざるを得なくなる。自らの高い税金を支払う覚悟なく、税金は(自分ではない)あっちから取れ、こっちから取れと言う人が多いが、無責任である。

 「誰一人取り残さない」に、無条件には賛成できない。

 

★★★

 

 車椅子では移動が難しい。平成18年「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」等でかなり改善なされたが、「誰一人取り残さない」には至っていない。

 完全実践しようとすると、例えば「すべての階段に車椅子用昇降機やエレベーターを設置せよ」ということになる。大きな問題が3つある。

(1)とてつもない費用がかかる。誰が負担するのか、負担できるのか。そのための増税に国民は賛成してくれるのか。私道や民間敷地内では公金は使えないから、原則自腹になる。利益の上がらないところに投資しても回収できない。補助金をつけないと難しいだろうが、その財源をどうするのか

(2)昇降機をつけると普通の通路が狭くなる。人通りの多いところでは渋滞が起こる。そこまでいかなくても、「誰一人」のために大勢の人が不利益を受ける。大勢の人がいたら、利害は相反するものとなる。

(3)そもそも物理的に設置不可能なところもある。どうするのか

 こう考えると、行き詰ってしまう。

 

 階段で車椅子の人が困っていると、海外では通りがかりの(面識のない)人4人ぐらいが即席チームを作って車いすごと抱え上げて助けてくれるが、日本ではめったに起こらないと言う。いささか海外を美化しすぎているのではないかと感じるが、ここにヒントがある。

 「ハード」(設備)を充実することも大切だが、本来は「ハート」(通常は「ソフト」という)が中心なのではないか。困っている人がいると、近くの人が自発的に助けようとする「ハート(心)」が醸成されていくことこそが、「誰一人取り残さない」精神の神髄ではないか。

 自ら「優しいハート(心)」を抱いて身をもって支援を実践することなく、「ハード」の要求ばかりするのは、それはそれで意味あることだが、どうかと思ってしまう。

 

 遠い先の、「誰一人取り残さない」の世界を夢見てみた。

 誰もが誰にも優しい。困っている人を見かけたら、暖かく見守り、必要なら手を差し伸べる。

 「あれ、貴方、立派なことは言うけれど、自分の手も足も動かないね。優しい言葉もかけないね。ただ一人、取り残されているのは、貴方」。 

0 件のコメント:

コメントを投稿