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2022年2月6日日曜日

(2559) 『日蓮の手紙』(1-2) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】第1回では、日蓮の生涯を概観したいと思います。その六十一年の生涯を眺めながら、日蓮の『法華経』への思いと、くじけぬ魂がわかる手紙を紹介しましょう。


第1回  7日放送/ 9日再放送

  タイトル: 人間・日蓮の実像

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1)    末法思想と鎌倉新仏教

(2)    遊学の果てに『法華経』を選び取る

(3)    世直しのため『立正安国論』を上呈

(4)    四度の法難

(5)    茨の道で深まる信念

(6)    安房の漁師の心意気

(7)    手紙にあふれる温かみとユーモア

 

 

【展開】

(1)    末法思想と鎌倉新仏教

 日蓮が生きた鎌倉時代初期は、仏教史で言うと既に末法の世に入っているとされていました。末法とは、釈尊(お釈迦さま)が亡くなってしばらくは「正しい教え」(正法)が行われるが、次第に「似て非なる教え」(像法)に取って代わられ、最終的には正法が見失われ、いかに修行しても覚りに至ることができなくなる、という考え方です。

 そのような時代の中から、次々に新しい宗教者が登場しました。法然、その弟子の親鸞、一遍、栄西、道元、そして、日蓮などです。彼らが説いた教えを総称して鎌倉新仏教といいますが、その最大の特徴は、民衆の救済に主眼を置いていた点です

 ほんの数十年の違いながら、これら先行の宗派が既得権益をがっちりと獲得していたため、後発の日蓮にはさまざまな困難が降りかかったのです。

 

(2)    遊学の果てに『法華経』を選び取る

 そして、ありとあらゆる仏典の中からこれぞ、と選び取ったものが『法華経』でした。

 『法華経』は大乗仏教の代表的な経典で、釈尊が入滅して500年ほど経った紀元1世紀末~3世紀初頭に編纂されました。 …『法華経』は、本来の仏教からの逸脱を是正し、小乗と大乗の対立を乗り越え、融和させることを課題として成立しました。このように、あらゆる人の平等と成仏可能を説くゆえに、『法華経』は「諸経の王」と称されています。

 『法華経』は釈尊の教えの原点に返ろうとする志向性を持っており、男女の差別や出家者と在家者の差別、また小乗と大乗の差別も乗り越え、誰もが仏(ブッダ)になれると主張しています。『法華経』が日蓮の心をつかんだのはまさにこの点でした。

 

(3)    世直しのため『立正安国論』を上呈

 『立正安国論』は、旅人と主人の間答という特徴的な形式をとつた書物です。

 あるとき旅人が主人のもとを訪れ、打ち続く飢饉、疫病、天変地異などについて嘆きます。これに対して、主人はともに嘆いて、なぜそのような災いが続くのか、対話を通じて原因と対策について考察を深めていきます。「旅人」には北条時頼が、「主人」には日蓮自身が擬せられています。

 主人は、世の中が乱れているのは「正しい法」(正法)に基づいた政が行われていないからであり、このままいけば災いはさらに増し、他国侵逼の難(他国から侵略される災難)、自界叛逆の難(内輪揉めによる内乱)が起こると警告します。

 

(4)    四度の法難

 日蓮の人生を一言で表すとすれば、″受難の人生″というのが最もしっくりくると思います。61年の生涯のうちに、四度も法難(信仰のためにこうむる災難)に遭いました。どれもが命にかかわるほど苛烈なものです。

「松葉ヶ谷の法難」 浄土教の門徒が、松葉ケ谷の草庵を焼き討ちした。

「伊豆流罪」悪口罪といういわれなき罪を着せられ、伊豆の伊東に流された。

「小松原の法難」 東条郷松原大路(小松原)で襲われ、頭に傷を受け、片腕を折られた。

「龍口の法難」 日蓮は相模国龍口の刑場に連行されますが、土壇場で処刑は中止され、首の皮一枚で命がつながりました。そして、佐渡への流罪に減刑されます。

 

(5)    茨の道で深まる信念

 佐渡への流罪はとてつもなく過酷で、心折れそうになったこともあります。

 自分が本物の「法華経の行者」であるなら、おのずと天の神々の加護があるはず。それがないということは、自分は本物の「法華経の行者」ではないのだろうか。そうであるなら、自分のどこが間違っているのか検証しなければならぬ、と自省しているのです。

 そして、自分は絶対に負けぬという堅固な決意にたどり着きます。

 色々と考えをめぐらして行きついた結論は、諸天(神々)に頼る気持ちはありません。見捨てられて結構です。あらゆる難も受けて立ちましょう。身命を擲つ(ナゲウツ)ことも覚悟しています。    (『開目抄』、文永9(1272)2月)

 

(6)    安房の漁師の心意気

 漁師さんの世界というのは、いわば競争の世界です。それと同時に、悪天候や時化の具合など、命にかかわる情報は何でもあけっぴろげで共有します。多少乱暴なところがあるかもしれませんが、陰湿さはなく、言うべきことをはっきりと言います。いわば漁師の心意気といったところです。私(=解説者)は、日蓮が恐れることなく幕府にものを言えた理由の一端を見た思いで、思わず膝を打ったのです。

 日蓮の故郷は大原漁港の近くです。そうか、日蓮の心根の大本はここにあったのか――と、腑に落ちました。日蓮はいわば″海洋民族″的でした。幕府は、それに対して、″農耕民族″的でした。ここにも、日蓮の主張が容れられなかった理由が読み取れます。

 

(7)    手紙にあふれる温かみとユーモア

 日蓮が信徒に送った手紙には、どれも人間的な温かみがあります。日蓮が宗教者として多くの人を惹きつけたのには、日蓮が唱えた教義はもとより、日蓮の人柄の魅力も大きかったのではないかと思っています。

 加えて、そこはかとないユーモアもあります。きっと、日蓮のまわりには人を和ませる温かい雰囲気が満ちていたのではないでしょうか。そうでもなければ、あれほど幕府から睨まれた門下に、人が集まるはずがありません。

 

 

<出典>

植木雅俊(2022/2)、『日蓮の手紙』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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