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2020年6月3日水曜日

(1989) 白井義男とボクシング - カーン博士の指導で開花した世界チャンピオン / あの頃日本人は輝いていた(6)


◆ 最新投稿情報
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(K1130)  まとめ / 「あすなら10の基本ケア」(14) <介護>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1130-1014.html
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ダグ・マリノの強烈な左フックをあごに受け、二メートルも吹っ飛ばされた白井義男は一瞬脳震盪を起こし、意識がもうろうとしてきた。耳元から高い声が聞こえた。「WAKE UP YOSHIO」カーン博士であった
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 マリノはこのチャンスに思い切って打って出ることはできなかった。減量によってスタミナが切れていたのだ。息を吹き返した白井は本来のフットワークを使って左右のフックで反撃を開始した。 …

 やがてリング中央でコールする林レフリーの声が響いた。「シラーイ!」。試合を実況していたラジオ東京(現TBSラジオ)の小坂アナウンサーは絶叫した。「日本人、白井義男が勝ちました」
 占領を脱したとはいえ、コンプレックスを引きずっていた日本人がアメリカ人を倒して世界チャンピオンになった瞬間であった。まさに日本人全体を代表しての勝利といっても過言ではなかった。


 試合の前夜、カーンは熱い口調で白井に語りかけた。「ヨシオ、自分のために戦おうと思うな、敗戦で自信と希望を失った日本のために戦うんだ」
 高松宮ご夫妻、三笠宮、栃錦、映画スターなど各界の人々がリングサイドで、そして何千万という日本人がラジオの前で応援するなか、白井は見事期待に応えた。


 世界チャンピオン白井の誕生は、一人のアメリカ人力ーン博士との出会いがなければあり得なかった。

 … カーン博士はそのうちの一人に注目した。白井義男であった。カーンは白井の“ナチュラル・タイミング”に目を止めた。“ナチュラル・タイミング”とは、カーンによると「相手との距離を測定し、寸分の狂いもなく行動に移せる能力」だが、世界一流のボクサーでも、この素質を備え持っているのは、指を折るくらいしかいないという。その素質が白井にあることをカーンは見抜いたのだった。カーンはボクシングの経験はなかったものの、理学、生物学、栄養学などを学び、教えたりするうち、タイミングの重要性、コンディショニング、防御と正確なパンチ技術など先進的なボクシングトレーニングの方法を身につけ、選手を見る目に狂いはなかった。

白井義男(19232003
 東京生まれ。戦後、GHQスタッフのカーン博士にコーチを受け「科学的ボクシング」によって非凡な素質が開花した。1952年ダド・マリノ()を下し、日本人初の世界フライ級チャンピオンになり、四回防衛。引退後は解説者、評論家として活躍。

写真は、「日本人初の世界王者、白井義男さんの忘れられぬ言葉」
https://www.nikkansports.com/sports/column/hyakkei/news/202005110000326.html

<出典>
池井優、『あの頃日本人は輝いていた』(芙蓉書房出版)



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