【 あこがれ 】憧れを抱くところまでは、自分の考え一つで、できるでしょう。それだけで、人生が豊かになっていくと思います。「0.憧れのない人」「1.憧れはあるが、憧れるだけで終わる人」「2.憧れに近づこうとして、近づけなかった or 近づけた人」
昔の話、私が大学に入学したころ、「世界の名著」シリーズの中から何冊かを読みました。その中で強いあこがれを抱いたのが、フロイトとダーウィンでした。何もないところから理論を打ち出し、全世界を変えてしまったからです。50年以上前のあこがれは、今も持ち続けています。
2024年4月「100分de名著」:フロイト『夢判断』で解説者は、「フロイトは、マルクスやニーチェと並ぶ、現在思想の源流」と3人の名を挙げています。また、「フロイトは自らの発見を、コペルニクスの地動説、ダーウィンの進化論に次ぐものと位置付けています」
スポーツマンやアーティスト、あるいは、実業家や政治家にあこがれる人もいるでしょう。伝記や偉人伝があこがれの対象の人を紹介してくれます。齋藤孝は、シュリーマン『古代への情熱』で、トロイアにあこがれてついに発見したシュリーマンを紹介し、自身の経験にふれながら「教育の基本は、『憧れに憧れる』ことだ」と書いています(2024年3月「100分de名著」)。あこがれの対象は、人だけではありません。
私の会社生活を振り返ると、尊敬する上司は多くいましたが、憧れる上司がいなくて、自分の将来像を描くのがむずかしかったように思い出します。「あの人のようになりたい」という思いは、力強い指針になります。
私なりに分類してみました。
0.
憧れのない人
1.
憧れはあるが、憧れるだけで終わる人
2.
憧れがあり、近づこうとする人
2.1.
近づけなかった人
2.2.
近づけた人
私は、2.1. 、大谷翔平は2.2.でしょうか。
「ファーストにゴールドシュミットがいたり、センターを見ればマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球をやっていたら誰しも聞いたことがあるような選手たちがいると思う。憧れてしまっては超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう」(大谷翔平)
動画があります https://the-ans.jp/wbc/311267/2/
大谷翔平は、「今日一日だけ」憧れを捨てようと言っています。1年の内364日は憧れの中に生きており、それが彼をたゆまない成長に導いているのだと思います。
私は、2.2が幸せで、2.1が不幸だと思いません。一心に憧れに向かって邁進しているときほど、楽しい時間はありません。既に十分報酬を得ています。さらに、たとえ憧れに到達しなくても、期待していなかった良い副産物に恵まれます。人との出会いもその一つです。
ところで、2.2は、そこに近づけた後、どうするのでしょうか。おそらく更なる高みに向かい、2.1.に戻ると思います。そうしないと、その人は立ち止まってしまって、動けなくなってしまうのではないでしょうか。
私から見ると、0.と1.はつまらない人生のように思えます。本人がそのように生きたいなら、それでよいと思います。批判したり無理強いしたりする気はありません。各々の人生の主人公はその人なので、自分で決めればよいと思います。
お金がなくても、友達がいなくても、誰もが憧れを抱くことはできます。能力が無くて実現できないかも知れないが、憧れを抱くところまでは、自分の考え一つで、できるでしょう。それだけで、人生が豊かになっていくと思います。
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