【 スギナ茶 ・ レシピ 】「一つまみのスギナ茶を入れて、8分煮込む」から話が展開していく。戸惑いの中で発見した。レシピを見て作る料理、レシピに頼らず作る料理、それぞれどのような意味があるのか。この考察は、教育にも通じる
妻に、スギナ茶の淹れ方を聞いたら、「鍋で水を沸騰させ、一つまみのスギナ茶を入れて、8分煮込む」だった。シンプルと言うか、雑過ぎると思った。
おでんをつくる鍋もあるが、さすがに大きすぎるので、手ごろな鍋を選んだ。「一つかみ」が難しい。多めの一つまみと、少なめの一つかみでは、倍以上違う。が、こんなものかなと適当に入れて作った。時間を決めてくれたのはありがたかった。
とりあえず作ったが、良かったのか心配だったので飲んでみた。ただ、スギナ茶では分からない。砂糖や醬油なら、多すぎたとか少なすぎたとか、ある程度はわかるのだが。
ところで、心配した時点で、何かが降りてきた。何だ!これは? 結論は、「これが料理であり、これが教育だ」。
レシピでは、大さじ何杯とか、何gとか、何Lとか書いてあって、それを見て作れば心配しない。心配になるから出来栄えを調べようとする。そこが大切なのだ。
テレビドラマで、「お義母さん、味見してください」と嫁が、だしの入った小皿を差し出す場面がよくあった(最近は LGBTQ 規制が厳しいのでNGかもしれない)。「○○家」の味は、マニュアルでは伝えられない。
お義母さんの味を自分舌で把握したら、後は、どんな料理を作っても大丈夫だろう。もしかしたら、お義母さんが亡くなったら、今度は自分が嫁に伝えるときに、新しい「○○家」の味ができるかもしれない。それで良いと思う。
マニュアル通り作れば、十分、美味しいものができる。「それで何が悪い? これで良いではないか! 文句言うな!」と言われると「ごめんなさい」しかない。ただ、「一つかみ」という伝え方には、意味があると思った次第である。
一方、細かく手順を教えて、その通りさせるのが教育ではない。それは、教育の入口で、最終地点ではない。結果を吟味し、フィードバックさせる力を持つ、これができるようになると、どんな場面でも適応できる人間が育つ。マニュアルのない世界に突入した時、生き延びられるのは、その人だ。
ただ、全く何もヒントがないと辛い。大きな、取り返しのつかないようなミスを犯さない範囲で、できるだけ自由に取り組むチャンスが欲しいし、そのようなチャンスを与えたい。
不味い食事は、がまんすれば済むこと。ただし、それが別れ話に繋がってしまいそうなら、あるいは、夫婦の愛に亀裂が入りそうなら、レシピを見ながら、頑張って料理しましょう。
<御参考> インターネットで調べたら
https://www.nokitishop.jp/SHOP/t-sugina.html (敷信村農吉)
「美味しい淹れ方:水1リットルにつき、大さじ1~2杯を入れ、沸騰後、気泡が出続ける程度のとろ火で7~8分煎じます。急須を使う場合は、熱湯を注いでお好みの濃さになるまでお待ちください」
https://kawashima-ya.jp/contents/?p=2291 (かわしま屋)
「スギナ茶の淹れ方には鍋ややかんで淹れる方法と急須で淹れる方法の2種類があります。★鍋またはやかんで淹れる場合:1.乾燥のスギナの葉5~10gと、約1Lの水を用意します。2.水と乾燥のスギナの葉を鍋に入れ、火にかけて沸騰させます。3.お湯が沸騰したら弱火で1~2分ほど煮込みます。4.火を止めて、茶こしで葉をこしたらスギナ茶のできあがりです。お好みの濃さになるように、沸騰時間を調整してください。★急須で淹れる場合:…
※ なお、実際に計ってみたら:大さじ1杯は約0.8g、「私の一つまみ」は約3g、でした。
因みに、
Yahoo!
Japan 知恵袋 「レシピを見ながらの料理は、「料理上手」ではないですよね?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10125749830
の「質問」と「その他の答」が面白かった。
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