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このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2025年3月20日木曜日

(2638) 創造した価値をどこに置くか

生きている限り、価値を創造したくなり、

価値を創造していると感じているとき、充実感を覚える

自己肯定感に満たされる

 

問題は、その創造した価値を何処に置くかだ。候補は二つある

一つは、①自分の外の人に置くこと

もう一つは、②自分自身に置くこと

 

大きな違いが二つある

一つは、①だと二人で喜びをかみしめる(相手の喜びで私も喜ぶ。私の喜びを相手も感じ取る)ことができるが、②では自分が喜んでいるだけだ。寂しい

もう一つは、①だと自分が死んでも価値はその人に残るが、②だと自分が死ぬと同時に全て無くなり、何も残らない。虚しい

 

人は、しばしば、この寂しさ、虚しさを感じ取るが、あたかもそれが存在しないように振る舞う。強がっているのだろうか

 

難しい言葉を使っているが、…

 

困っている人がいるとき、そばにいて、話を聞いているうちに、その人が元気を取り戻し、前向きに考えられるようになった

 

これもまた、外に価値を積み上げている

 

日常生活の中で、平凡に生きていても、外に価値を積み上げられる

これだけではない、が、これもある

 

2025年2月13日木曜日

(2637) 玄関先に置き石があったら警戒しましょう

 神戸市の閑静な住宅街ではここ最近、家の玄関先などに置かれた不審な石が相次いで発見されています。その数は、この2週間ほどで26件です。この石は、いったいなんなのか。警察が警戒しているのが、窃盗グループによるマーキングの可能性です。

 

 神戸市だけでは、ないみたいです。

 

玄関先に“置き石” 窃盗グループが人の出入りを確認か 神戸市で約2週間で26

https://news.ntv.co.jp/category/society/8181dfa7d021467a898d151d056099e4



 


2025年2月7日金曜日

(2636) これも、盗撮?

 これを悪いとは言わない(言えない)けれど、どうなんだろうか?

 道で写真を撮ろうとして、たまたま高校生がその前をよぎると、盗撮として通報されてしまうかもしれない。うかつに街の写真を撮れない。

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日本不審者情報センター2/6()14:43

(兵庫)神戸市*****で盗撮の疑い 2月6日朝

 

 兵庫県警によると、6日午前7時ごろ、神戸市*****で高校生への盗撮の疑いが発生しました。(実行者の特徴:女性、20〜30歳、白色ボアジャケット、茶色メガネ)

 

■実行者の言動や状況

・生徒らにスマートフォンを向けた。

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因みに

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そもそも不審者とは?

 不審者とは、つきまといや声掛け、勝手に写真を撮る、体を掴むなど、不審な行為をする人の総称です。不審者は泥酔時などに突発的な犯行を行うことがある他、事前にターゲットに目をつけ、計画性を持って犯行におよぶケースも多く見られます。

 不審者に目を付けられると、誘拐やとおり魔などの重大事件に巻き込まれる可能性もあるため、日頃から十分な警戒が必要です。

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https://www.mamoleo.jp/column/security/what-are-the-characteristics-of-a-suspicious-person.html

だそうで、「勝手に写真を撮る」と、れっきとした不審者になるので、通報されてもしかたがないようです。

(2635) 私はどういう人と付き合わないのか

私はどういう人と付き合わないのか、考えてみたら、いくつかでてきた

 

相手にたいし、

尊敬の念をもって向き合わない人

 

相手を人間としてではなく、

(自分の目的を達成するための)道具として、みる人

 

自分の利益にのみ意識が集中し、

相手の利益に関心がなく、

相手の痛みも感じない人

 

相手にたいてし、

強い競争意識をもっている人(弱ければ大丈夫)

 

 

別に、この人たちと人間関係を断つわけではないし、

不満を述べるわけでもないし、

まして、非難したり責めたりすることもない(正確には「少ない」)

私としては、普通に、付き合っている(つもりだ)

 

それでも、なんとなく距離感が出てくる

だから、私の身近には、このような人はあまりいない

 

 

反対に、私はどういう人と付き合おうとしているのか、

考えてみたが、不思議なことに何も思いつかない

 

こちらの方は、理屈ではないようだ

おそらく、私から近づこうとすることが、少ないからだろう

 

 

では、どういう人と付き合っているのか?

結果として、

「付き合わない人」とは逆の人、または、

中立の人(クセの少ない人)だろう

 

私は、自分を、幸せな人間だと思う

2025年1月29日水曜日

(2634) 『関心』に焦点を当て、「本の読み方」を考える 


 1.   読書サロン(1)

 多くの「読書会」では、指定された本を皆が読み、感想を交換します。この「読書サロン」では、参加者銘々がお気に入りの本を紹介します。その点で「ビブリオバトル」は「読書サロン」と似ているが、「ビブリオバトル」では優劣を競う一方、「読書サロン」では競いません。

 

2.   本と「私」との関係

2.1.  一般的なケース

 本は「私」の外にあり、そこから知識を得ます。「私」の知識は増えるが、「私」は本質的には変わりません。

2.2.  私の場合

 本を私の領域に招き入れ、そこから知恵を得ます。そのため、私の考えや行動が本に影響され、変わることがあります。

 そうしたいから、そうしているが、そうせざるを得ない事情もあります。

 

3.   本と関心との関係

3.1.  一般的なケース

 「私」に関心のある本を選ぶので、「私」の関心とマッチングしています。

3.2.  私の場合

 「100de名著」を紹介しているので、私の関心とは無関係に本が指定されることになり、私の関心とマッチングするとは限りません。私に関心のない本は読み続けられません。そこで「本の中に私の関心のあるものを発見し、本を私の中に取り込んで読む」という読み方をします。

 

4.   関心の拡張

4.1.  一般的なケース

 「私」に関心のある本を選んでいるため、自ら自覚している(顕在的)関心に留まります。

4.2.  私の場合

 私に関心のない本を読み続けねばならないとき、自ら自覚していない(潜在的)関心に領域が拡張されます。

 

5.   読書サロン(2)

 以下は、読書サロン参加者全員に当てはまるでしょう。

5.1.  他の人が好きな本の紹介を聞いて

 「私が本屋に行っても取り上げないような本を紹介してもらえるのが読書サロンの魅力だ」というのが、多くの参加者の共通した感想です。このようにして関心が拡がります。

5.2.  私の好きな本を紹介して

 ただ本を読むだけではなく、他の人に紹介しようとすると、読んだ本を自分の頭の中で再構築せねばならず、読みが深くなります。それだけでも意味があるが、さらに他の人の感想を聞くと、自分では気づかなかったことに気づくこともあります。このようにして関心が拡がります。

 

6.   成長

 関心が拡がることにより、自分が成長していると感じています。


 

2025年1月26日日曜日

(2633) グーは、パーに勝てる。あきらめるな

グーは、チョキに勝ち、チョキを使ってパーに勝てばよい

 

グーも、チョキも、パーも、このようにすれば、

苦手な相手に勝てるチャンスはある

 

あきらめるな

 

例えば。苦手な人を説得しようとするとき、

この方法は、有効だ 



2025年1月21日火曜日

(2632)「自己発行動」か「状況発行動」か(ともに造語)

 また、理屈っぽい話に戻ります。

 

 Aさんは自分の考えをしっかりもっていて、自己主張の強い方です。

会議では、はっきり自分の考えを主張し、

反対する人には、時として攻撃的な発言をします。

「声が大きい人が勝つ」を実践しているような方で、

会議では、いつも大きな声でしゃべり続け、

(少数派の時も)自分の意見を強引に通します。

 

 そんなAさんが急に変わりました。

敵対していたと思われる人にも穏やかに話しかけ、

他者の意見への協力的な発言もみられるようになりました。

どうして、そんなことが起こったのでしょうか。

 

 

 Aさんの所属する団体Bで最近、

長であったCさんが、退任されました。

 

 私は、それがきっかけだったのではないかと、

思いました。

 以下は、私の仮説で、正しいかどうかわかりません。

 

 

 AさんはCさんをとても尊敬していて、

元々考えが近いのでしょう、

主張することが似ています。

当然、CさんはAさんをいつも支持していました。

 

 そのCさんがいなくなったので、

Aさんが主張しても、強力に賛成し、

最後まで応援してくれる人がいなくなりました。

 

 そこで、

大声で主張すると自分が孤立することを

賢いAさんは悟ったのではないでしょうか。

 

 

 Aさんは自分の考え方をはっきりもっていて、

自己主張が強い性格であり、

それに基づいて行動していた

「自己発行動」(造語)という考え方では、

Aさんの行動の変化を説明できません。

 

 一方、Aさんには強力な庇護者Cさんがいる

その状況に応じて行動していた

「状況発行動」(造語)という考え方なら、

Aさんの行動の変化を説明できます。

 

 

 ある行動が

「自己発行動」なのか「状況発行動」なのか、

見分けがつきません。

状況の変化が起こって、初めて分かります。

 

 

「自己発行動」だと決めつけず、

「状況発行動」かもしれないという

含みをもって人を見るように心がけると、

判断を間違えるのを減らすことができる

のではないでしょうか。 


2025年1月19日日曜日

(2631) 朝のルーティーン 

06:15 アラーム(1) 起きる準備。冬は暖房を入れる

06:24 アラーム(2) 06:2506:35 テレビ体操

   妻は朝食準備、私は新聞を取り入れザっと読む

   体重・体組成を測り、記録する

06:55 アラーム(3) 天気予報とニュース(NHK総合)

   食事開始

07:15 アラーム(4) 連続テレビ小説(NHK BS) 再放送(カーネーション)と先行放送版(おむすび)

07:45 アラーム(5)(火曜日と金曜日) 燃えるゴミを出す

 

 会社を辞めてから、ずっとこのパターンです。睡眠時間は、でたらめ(*)ですが、朝のルーティーンを入れることにより、生活のリズムは崩れません。

(*) 夜8時でも眠たくなれば寝る。そのまま朝まで寝ていることもあるが、夜中に目覚めたら起きる。そのまま朝まで起きていることもあり、眠くなって二度寝することもある。家にいるときは、眠くなったら朝寝でも昼寝でもするが、長く寝ることは少ない。

 要は、眠くなったら寝て、目が覚めたら起きる。時計は関係ない。体のバッテリーが弱ってきたので、「眠くなっても頑張る」ということはあきらめた。

 朝のルーティーンだけは守る。ただ、体調の悪いときは無理せず崩し、体調がよくなったら戻す。

 

2025年1月16日木曜日

(2630) 熱の出ない風邪(治りかけています)

コロナやインフルエンザではないようです


喉がムズムズして、咳が止まりませんでした
前半は、目やにが出て、鼻水は出ませんでした
後半は、目やにが止まり、鼻水が出ました

風邪のせいで目やにや鼻水が出て嫌だな、
と思っていたのですが、
思いなおしました

悪い黴菌君が入ってきて、
「からださん」が戦ってくれています
目やにや鼻水の形で、
「からださん」が黴菌君を外に押し出しています

そうイメージすると、
鼻水をかむたびに、目やにをとるたびに、
自分の体が浄化されているようで、
明るい気持ちになってきました

痰がでるのも、咳が出るのも、
同じかなと思っています

でも、咳がでて、喉が痛くなり、
鼻水をかんで、鼻が痛くなっています
痛くなるのは、やっぱり、嫌です

2025年1月13日月曜日

(2629) 裸足で廊下を歩く

普段、畳の部屋で裸足で過ごしています。

空調をいれているので、寒くはありません。

でも、トイレに行くときの廊下が冷たいです。


嫌だなと思っていたのですが、ふと気づきました。

これって気持ちいいな。


足の裏全体でしっかり床を踏みしめ、

冷たい廊下直にに触れ、

ゆっくり歩いて、冷たさを楽しんでいます。


でも、近いトイレの時だけで、

長時間になるときは、靴下をはいています。

温かい足だからこそ、冷たさが快い。


2025年1月1日水曜日

(2628) 7転び8起き

 私は、会社を辞めて、

給料はもらわず(若干の有償ボランティアはしている)、

自ら稼ぐこともなく、でも、活動はしている。

 

 活動をしていて、うまくいかないこともあり、12月には大きく落ち込んだ。

でも、2~3日後には、元気を取り戻していた。

 

 うまくいかなかった理由を考えていると、

次々に、自分の失敗、その原因が分かってきて、元気になってきた。

「よし、今度は失敗しないぞ」。一歩ずつ、賢くなっていく自分がいる。

 

7回も転んだ幸せ、かみしめる

8回起きる、チャンス貰った

 

 私は過去のことはあまり考えないし、

過去について他人に語ることは少ない。

 

 記憶としては、7回転んだことは忘れ7回起きたことは覚えている。

(1回目は、生まれて初めて立った時なので、覚えていない)

だから、過去をふりかえると、「幸せだったな」と思う。

転んだ経験は、教訓として加工して、次に進んだ。

 

教訓だけは、しっかり覚えている。

ただ、囚われないように注意している。

うっかりすると、自ら学んだことに囚われてしまうことがある。

 

 私は、過去について他人に語ることは少ない。

青年は、未来を語り、

中年は、現在を語り、

老人は、過去を語る。

 

 齢をとったというだけではなく、本当の意味での老人が、

私の周りにたくさんいる。

私は、未だ、気持ちだけ(残念ながら「だけ」)は、若い。

 

 因みに、「数の七には、「千(多い)」という意味があり、八は末広がりで「幸福」という意味があります。」だそうです。

https://www.sukiwa.net/otsu/otsubbs/news/2009/030801/index.html#:~:text=%E4%BD%95%E5%BA%A6%E3%82%82%E8%BB%A2%E3%82%93%E3%81%A0,%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82