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2018年5月19日土曜日

(1242)  生きがいを奪い去るもの(1) / 神谷美恵子『生きがいについて』(3-2) / 100分de名著

 
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(K0383)  将来の認知症に備える(7)民事信託のメリット <高齢期の家族経済>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0383-7.html
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【目次】

(1)  「待つ」という営為

(2)   闇の奥に光を見る

(3)  「かなしみ」が導く光

(4)  「幸福論」としての『生きがいについて』

(5)  「私の死」と向き合う

(6)   語りえない悲しみ

(7)   罪を犯したこと

(8)   必要とされること

(9)   悲しみの深みで他者とつながる
 
 

【展開】今回は、(1)(5)
 
(1)  「待つ」という営為

 危機を感じると人は、何とかして一刻も早く立ち上がろうと躍起になる、

===== 引用はじめ
 …神谷はこうした試練のときにおける「待つ」ことの意味、「待つ」ことのはたらきを語っています。前に進むだけでなく、そこにたたずみ、時期を「待つ」。それが、もっとも創造的な営みである場合が、人生にはある、というのです。
 「待つ」という行為を経ることで、私たちは、真に自分に必要なものを、自分のなかから見出すということへと導かれていく。その導きの光になるのが、苦しみや悲しみだと神谷はいうのです。
===== 引用おわり
 

(2)  闇の奥に光を見る

 ジョン・ミルトンは失明し、失意の日々を送るが、ふたたび詩と向き合い、ついに、人類の遺産ともいえる『失楽園』という壮大な詩を完成させた。

===== 引用はじめ
 ミルトンは危うく絶望に陥りかけるが、この時彼を再び立ち直らせたのが昔の使命感であった。当時の文書のなかで彼はいう。「私の胸のなかにいますあの天的な警告者」の「光」は「私が弱ければ弱いほどあざやかに輝き、私が盲になればなるほど、私の視力は明らかになるであろう。」

 自らを包む闇が深ければ深いほど、光を強く、確かに感じるようになる。絶望とは闇の経験であると同時に光を見出す経験だったというのです。
===== 引用おわり
 

(3)  「かなしみ」が導く光

 前回(1241)書いた。
 

(4)  「幸福論」としての『生きがいについて』

 『生きがいについて』は、形を変えた「幸福論」だといってもよいように思える。

===== 引用はじめ
 「ほんとうの幸福」は、悲しみや苦しみの門を超えたその先にある場合もある。真の幸福を知るのは、真に悲しみと苦しみを経験した人である。世に言われるような幸福そうに見える人間、あるいは自分をそう見せる人間ではない。不幸、懊悩、貧しさを経た人間にこそ「人間の持ちうる、朽ちぬよろこび」が宿っていると彼女はいうのです。
===== 引用おわり
 

(5)  「私の死」と向き合う

 「故人の存在にすべてを賭けていた」場合、その人の死は「私の死」である。

===== 引用はじめ
 神谷は「うめき」という表現を使っています。他者に見えず、聞こえないのが「うめき」です。それが「私の死」にほとばしりでる、声にならない、悲しみの「声」です。
 嘆くとき、人は声や言葉を発しますが、「うめき」は声さえ出ない場合もあります。また、それが他者に聞かれることも稀です。人は真に一人でいるとき、「うめき」という営みをするからです。
===== 引用おわり
 
 

<出典>
若松英輔(2018/5)、神谷美恵子『生きがいについて』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付写真は、この本からの転載


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