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2018年1月31日水曜日

(1135)  なぜ、日本人にできないのか(2) デトロイトにおける「公」と「私」


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(K0276)  人口減少社会と地方再生 <地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0276.html
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前回は、コンパクトシティ化にむけた、デトロイトとライプツィッヒの取り組みを概観した。今回は、「公」と「私」の関係に着目する。
 

ライプツィッヒでは「連邦政府のプログラムである「社会都市(Soziale Stadt)」とEUのプログラムである「EFRE」の助成を受け」、市主導で進めたようだ。
https://www.leipzig.de/imperia/md/content/64_stadterneuerung/karten/foerdergebietskulisse_leipziger_osten_09_2009.pdf

 

一方、デトロイト市は財政破綻していた。動きは複雑であるが、要点を整理する。

(1) 財政破綻したデトロイト市役所に代り、慈善団体のKresge財団が主導して進めた

(2) 都市計画イニシャティブ Detroit Future City(以下DFC〉をまとめ、Strategic Framework Plan(以下SFP)を策定した。

(3) DFC Implementation Office(以下IO)は、DFCの実行組織である

(4) IOは、実際の再生事業に直接関わることはなく、各地区で具体的な活動を展開する住民組織やNPOに対する技術支援を主な活動としている

(5) IOは、SFP策定後、住民や地域コミュニティ、NPO等による空き地の利用転換(Transformation)を促すためのノウハウを整理したツールキット The Field Guide to Working with Lots(以下)の策定に注力した


 

このプログラムの成功の要因は、大きく分けて二つある。

(1) SFPは、空き地の割合の高い住宅地を積極的に非都市化する土地利用の目標像を提示した点で注目される

(2) その実行は、各地区の草の根の活動によるところが大きい

 

組織をもう一度簡単に整理すると4層になる

(1) 慈善団体のKresge財団
(2) 都市計画イニシャティブ Detroit Future City(以下DFC
(3) DFCの実行組織であるDFC Implementation Office(以下IO
(4) 各地区の草の根の活動(住民や地域コミュニティ、NPO等)

組織的に見れば、この4つの層全てが存在し、各々が役割を果たしたことが一つの成功要因と考えられる。


我々の常識では、コンパクトシティ化は「公」がするものと考えるだろう。しかし、このプロジェクトは「私」が進めた。しかし、その「私」は、「公」を視野に入れながら動いている。このように「私」は、まだ日本には少ないのではないか。

「市財政が破綻したにもかかわらず」進められたと考えそうだが、「市財政が破綻したから」進めることができたという側面もあるのではないか。

 

もう一つのポイント「空き地の割合の高い住宅地を積極的に非都市化する土地利用の目標像」については、次回検討する。

2018年1月30日火曜日

(1134)  朝の詩_(13)鯉・(14)老眼


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(K0275)  孤独担当相(イギリス) <インクルーシブ社会>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0275.html

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(A)

(B) 老眼

===== 引用(A) はじめ

朝の詩

 鯉

  横浜市都筑区
  森内真紀人 58

鯉のおいしい
食べ方を
知っていますか

それはね
鯉を笹に包んで
焼くと良いのです

これを
「コイノササヤキ」
といって
どなたからも
大変喜んで
いただけます

(選者 新川和江)
===== 引用(A) おわり
産経新聞 (2018/01/15)

 

===== 引用(B) はじめ

朝の詩

 老眼

  長野県上田市
  山本 幸枝 61

夕食の用意をしようと
小さな即席調味料の
袋の明け口を探す

目から離して近付けて
ようやく読めた
「未知の方向に開く」
何てステキ
一瞬の広大な幸福感

まてまて
目を細めてもう一度
離して近付けて
「矢印の方向に開く」
宇宙まで飛んだ
バラ色が消えていく

(選者 新川和江)
===== 引用(B) おわり
産経新聞 (2018/01/24)

(1133)  なぜ、日本人にできないのか(1) デトロイトとライプツィヒは何をしたか


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(K0274)  合計特殊出生率をV字回復させた「母親資本」(ロシア) <少子高齢化>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0274.html
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(1128)  人口減少の適応策と緩和策 / 「人口減少社会の構想」(12)(放送大学)
Blogでは、http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1228-12.html
に対して、Facebook友達のHidechiyo Andoさんからコメントをいただいた。

「やはりアメリカはやることがスゴイですね。私達日本人ももっと『私⇒公』をダイナミックに考える必要がありますね。」
 

なぜ、日本人にできないのか考えることにした。


コンパクトシティ化において、
先ず、彼らは、どのようにしたのか、今回整理する。
 

(1128)から少し復習すると、デトロイト(アメリカ)は、
===== 引用はじめ
「現状の土地利用では住宅地が58%を占めるのに対して、2050年では現状の戸建て住宅地密度を維持する部分を22%まで落とし、22%を緑地の多い低密度な宅地とし、29%を生産緑地や生態緑地に塗り分けられた」プランを示している。都市農業を縮小都市の次世代産業として期待し、市街地から削られる部分の将来展望を、個々の場所に応じて具体的に示すことにより、多様な規模の多様なかたちの都市農業を誘発する
===== 引用おわり
 

放送大学のテキストではあったがFacebook(Blog)で紹介しなかった、ライプツィヒ(ドイツ)は、
===== 引用はじめ
東インナー地区Passでは、市街地全域を現状維持・保全再生・再編の3種にゾーニングしている。市街地が維持できているところは<現状維持>、<保全再生>は、空き家が目立つがメインストリート沿いなど街並みを形成する建物を維持すべきエリアで、<再編>は緑地に優先的に還元していくエリアである。 … <再編>対象ゾーンでは、建物を撤去して暫定緑地として近隣住民に開放することを条件に撤去費用を補助した。<再編>対象ゾーンは、30%にものぼった。 … 2050年までに、東西インナー地区合わせて13.8haの緑地が創出された。
===== 引用おわり
 

アプローチが似ている。
 

===== 引用はじめ
 デトロイトもライプツィヒも、人口減少への適応策で共通しているのは、人口減少にともなってかつて市街地だったが市街地から外す部分、すなわち逆市街化する部分への施策が主眼にある点である。それを可能にしているのが、人口が減っている地区の実態の詳細把握である。人口急減過程では、地区全体がまんべんなく減少することはまれで、ランダムに局所的に空き家が急速に増える。現状分析からみえてくる一回り規模の小さくなったまちのイメージに忠実に、緑地に戻していく市街地と維持していくべき市街地を特定している。
 また、どちらの都市でも、人口減少をしっかり受け止めている。詳細な現状分析から、それぞれの具体的な場所について検討し、結果的に3割程度市街地を削ったまちの姿を描いている。3割の市街地を緑地に戻すことで落ち着いている。
===== 引用おわり
 

合理的な取り組みであり、日本でも同じようにアプローチすればよいと思った。同時に、日本で同じようにアプローチしても頓挫するのではないか、それどころか、アプローチする前に頓挫するのではないか、さらには、そもそもアプローチしないのではないか、とも思った。
 

続く
 
 
出典

岡部明子、「第12章 人口減少の適応策と緩和策」、宮本みち子・大江守之、「人口減少社会の構想」、放送大学教材(‘17)

2018年1月29日月曜日

(1132)  (3)福澤諭吉『文明論之概略』 / 「明治の50冊」


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(K0273)  福祉と事業との両立 <インクルーシブな社会>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0273.html
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 明治7(1874)年3月から1年を費やして書かれ、8年8月に刊行された福澤諭吉の『文明論之概略』。5年2月から9年11月にかけて大衆向けに出された全17編のシリーズ『学問のすゝめ』と同時期に、福澤は本書を執筆した。明治新政府による厳しい言論統制が実施されるなかで、福澤は『学問-』で観測気球をあげて国民や新政府の反応をうかがいつつ、慎重に筆を進めていったらしい。したたかな戦略家なのだ。

 大衆を対象とした『学問-』に対して、本書は封建制度のもとで教養を積んだ知識人に向けて書かれたのだ。彼らに近代の人間と国家のあり方を説いて理解してもらおうと、自身の知見を惜しみなく注ぎ込む。この層が文明の精神を身につけない限り、日本の近代化は形だけのものとなり、独立を守り通すことはかなわないと考えたからだ。加えて、国民が手に入れつつある「自由」を後退させるかのような施策を打ち出す明治新政府に対抗するには、この層が力を持つ以外に道はないからだ。


 本書全10章にわたり論じられるのは、つまるところ『学問-』で訴えた「一身独立して一国独立す」である。古今東西の学問や歴史、世界事情に精通していることにも驚かされるが、その知見を国の独立を守るという目的に向けて総合する能力こそ、真に驚嘆すべきところだろう。

 昨年、角川ソフィア文庫から現代語訳を出した先崎彰容・日大教授は言う。
 「今年は明治150年。わが国はどこから来て、どこを目指そうとしているのか、総点検が求められています。その際、必要なのは『源流』にまでさかのぼって思考することでしょう。『文明論之概略』にはヒントがちりばめられているはずです」
 

【プロフィル】福澤諭吉(ふくざわ・ゆきち)
 天保5年12月(1835年1月)、豊前(大分県)中津藩士の家に生まれる。大坂の適塾で学び、安政5(58)年、江戸で蘭学塾を開く(後の慶応義塾)。英語を独習し、万延元(60)年、咸臨丸で渡米。元治元(64)年に幕臣となり、外国奉行翻訳方を務める。維新後は新政府への出仕を拒み、在野で教育や言論活動に注力。『学問のすゝめ』『文明論之概略』など多数の啓蒙書を著した。明治34(1901)年、死去


引用
一身独立説く「近代の源流」、産経新聞(2018/01/25
(3)一身独立説く「近代の源流」 福澤諭吉『文明論之概略
http://www.sankei.com/life/news/180122/lif1801220023-n1.html
(添付図はこのサイトから転載)

 
 

2018年1月28日日曜日

(1131)  いま『南洲翁遺訓』を読む意味とは /西郷隆盛『南洲翁遺訓』(4-2)


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(K0272)  就労継続支援A型事業所 <インクルーシブな社会>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0272.html
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Eテレ
第4回 1月29日放送/1月31日再放送
月曜日   午後 10:25~10:50

()水曜日 午前 05:30~05:55
      午後 00:00~00:25
 

最後の「いま『南洲翁遺訓』を読む意味とは」について。
 

===== 引用はじめ
 自分が生きている時代に疑問を持ち、いったん立ち止まって、「いま」を相対化しようとするとき、西郷という人物は肯定的に復活します。
===== 引用おわり


===== 引用はじめ
 「このままでよいのか」という疑問が社会に蔓延するとき、自分の「ものさし」を持って生きるためには、現在の文明を相対化し、自分の人生観や死生観をも問い直す「深さ」が求められるでしょう。『南洲翁遺訓』は、現代の古典としてそれを可能にしてくれると思います。西郷は自らが生きた時代と社会を相対化できる文明観を、儒教という古典的知識のなかから導き出し実践した人物だからです。
===== 引用おわり
 

出典
先崎彰容(2018/1)、西郷隆盛『南洲翁遺訓』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
 

2月の「100de名著」は、

ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』
講師:鹿島 茂 (フランス文学者・明治大学教授)

時代を超える神話的想像力

 幾度にもわたって映画化され、またミュージカルに翻案され続けるなど、1831年の発表以来人々の想像力を刺激し続ける『ノートル=ダム・ド・パリ』。
 その魅力の源泉は、「人間の根源的な葛藤」にある。人間がいかにして宿命と向き合い、生きていけばよいのかを、この傑作から読み解く。

2018年1月27日土曜日

(1130)  西郷はどう評価されたか /西郷隆盛『南洲翁遺訓』(4-1)


(1130)  西郷はどう評価されたか /西郷隆盛『南洲翁遺訓』(4-1)
 

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(K0271) ディスコン <体の健康・脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0271.html
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【第4回 目次】

1.  神格化される西郷隆盛

2.  福沢諭吉が評価した西郷の「抵抗の精神」
3.  内村鑑三が評価した西郷の「天」
4.  頭山満と大アジア主義
5.  三島由紀夫における西郷隆盛
6.  司馬遼太郎の「問い」

7.  西郷評価の変遷が意味するもの
8.  いま『南洲翁遺訓』を読む意味とは
 

今回は、「7.西郷評価の変遷が意味するもの」を中心に取り上げる。
次回は、「8.いま『南洲翁遺訓』を読む意味とは」を取り上げる予定。

 

 西南戦争がはじまると、言論世界の大勢は、西郷を「時代錯誤なために無謀な戦いを起こし、世を混乱させた存在」と批判した。これには、明治新政府に統制されていた面もある。

 死後の西郷隆盛は、公には、まず明治国家に弓を引いた反逆者、賊徒と評価された。しかし、その人気は衰えるどころかますます高まり、庶民からは神格視されていったと言ってもいい状況だった。西南戦争のさなかに「西郷星」なるものが話題となった。

 啓蒙主義者の福澤諭吉は「抵抗の精神」を評価し、西郷擁護の立場にあった。キリスト教者である内村鑑三は西郷の「天」に注目し、『代表的日本人』のなかで西郷をきわめて高く評価した。二人とも、西郷に自負心を見出していた。
 

 遠山満は終生、西郷への憧れを口にしていた。帝国主義的膨張の魁であるという批判的な評価にさらされた遠山が戦前の西郷イメージを独占した結果、戦後の西郷への評価も、当初は否定的なものになった。
 

 1960年代の日本人は、「国内における経済成長一辺倒への疑問」と「アメリカ追従への批判」という二つのベクトルで、近代社会への強い疑問を抱くことになった。そのとき、強くアジアをイメージさせる西郷隆盛は、肯定的なイメージで浮上してきた。

 中国文学者であった竹内好は、「第二の維新革命家」としての西郷隆盛に光をあてた。三島由紀夫は、自らの行動を肯定する思想として、西郷隆盛を高く評価した。
 

 司馬遼太郎は『翔ぶが如く』の中で、「西郷は斉彬の弟子でありながら維新後の青写真をもたず、しかも幕末における充実した実像は、そのまま維新後の人気のなかで虚像になった」と批判した。
 

出典
先崎彰容(2018/1)、西郷隆盛『南洲翁遺訓』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

2018年1月26日金曜日

(1129)  高齢者の住まいとケア / 「家族と高齢社会の法」(12) (放送大学)


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(K0270) 棒サッカー 100歳夢中 <体の健康・脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0270100.html
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目標&ポイント
===== 引用はじめ
 急速な高齢化に伴い、高齢者の住まいも多様化している。多くの人が高齢期を迎えても「住み慣れた自宅で暮らし続けたい」と考える一方で、介護が必要になれば「家族に迷惑をかけたくない」という思いもある。本章では、高齢者が住み慣れた地域で暮らすために適した住まいとケアにかかわる社会保障と法について学ぶ。
===== 引用おわり
 

<構成> 第12章 高齢者の住まいとケア

1. 高齢者の住まいと社会保障・福祉
2. 高齢者の住まいの全体像
3. 高齢者の住まいと契約
4. 高齢者の住まいと地域
 

 「住み慣れた自宅で暮らし続けたい」をA欲求、「家族に迷惑をかけたくない」をB欲求とする。人は、A欲求・B欲求の充足を欲しつつも、現実を踏まえて妥協する。その様子をモデルとして二つの図で示す。今回書いているのは、テキストの知識を使って、私が創ったオリジナルである。
 

(1) 住まい方の形態とA欲求・B欲求の充足

  「独立して住み続ける」は、A欲求・B欲求の両方を充足している
  「高齢者施設に入所する」「高齢者住宅へ転居する」は、B欲求(家族に迷惑をかけたくない)を充足するために、B欲求(住み慣れた自宅で暮らし続けたい)を断念している
  「同居」および「隣居」「近居」は、B欲求にこだわらず、子の世話になることを前提にして選択をしている。A欲求は、充足されることも、充足されないこともある
 

(2) 「独立して住み続ける」ことを永続できる…を前提としない

  最初は健康な二人で始めても、そのうち一方が要介護状態になって介護生活に移り、最後には二人とも要介護状態になる
  最初は健康な二人で始めても、どちらか一方が死に、最後には独居になる
  介護保険の介護やその他の支援を受けても限界がある
  「最後まで二人で元気に生きたい」と願う気持ちはわかるが、願望と現実とは違う。現実に目をつぶってはいけない。「独立して住み続ける」は最後には出来なくなることを前提として準備すべき
 

(3) 高齢者施設への入居・高齢者住宅への転居

  高齢者施設と高齢者住宅との違い
===== 引用はじめ
 高齢者施設は、施設へ入居することにより、24時間365日にわたり、切れ目なく、施設の職員から包括的な介護を直接受けることができる。…
 高齢者住宅は、高齢者を入居対象者とし、見守り、安否確認、生活相談、食事等の家事支援などの生活支援サービスが付帯している住宅であり、地域の介護サービス事業者が提供する居宅サービスを利用することで、居室や住居での生活を継続することができる。…高齢者住宅には、施設に入居するほど支援や介護を必要としないが、生活支援サービスを必要とする人の入居が想定されている。
===== 引用おわり

  入居時の条件がある
 例えば、二人住まいで、一人が要介護3以上になると、特別養護老人ホーム(特養)に入れる可能性があるが、そうではない伴侶は特養に入れない。特養に入所させると、自分は独居になる。有料老人ホームなら、両方が入所できるところもある

  高齢者住居を検討する場合に注意すること
  介護体制は充実しているか、介護状態になっても住み続けられるか
  看取りまでしてくれるか

  要介護状態での転居は厳しい
  選択に当たり、誰か他の人が決めたところになる。色々見てまわって、自分が気にいったところではないところに移り住むことになる
  契約行為(入居契約・賃貸契約・家の売買)は、心身ともに健康であっても大変だ。要介護状態での契約行為は厳しい
  転居には大きなストレスがかかる。新たな人間関係を結ぶことにより、快適な生活を送りやすくなるが、介護状態になってからでは厳しい
  「元気な時は自宅で過ごし、いよいよ駄目になったら老人ホームに入る」という人が多いが、いかがなものか
 

出典
原田啓一郎、「第12章 高齢者の住まいとケア」、川島志保・関ふ佐子、「家族と高齢社会の法」、放送大学教材(‘17)


2018年1月25日木曜日

(1128)  人口減少の適応策と緩和策 / 「人口減少社会の構想」(12)(放送大学)


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(K0269)  生活援助ヘルパー <公助>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0269.html
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目標&ポイント

===== 引用はじめ
 人口減少に歯止めをかけようとするのが<緩和策>であり、人口が減少しても困らないようにするのが<適応策>である。人口減少への関心は<緩和策>にもっぱら集中しているが、仮に出生率が大幅に回復しても数十年は人口減少傾向が続くため、いずれにせよ<適応策>は欠かせない。
 都市計画アプローチの人口減少対策として取り組まれているのが、都市のコンパクト化であり、<適応策>と<緩和策>の両面を持ち合わせている。しかし、<適応策>としては、逆市街化するエリアに対する展望が必須であるのに、それが副次的で、市街地を維持するエリアに対する施策が中心に据えられている点が課題である。
===== 引用おわり
 

「第12章 人口減少の適応策と緩和策」の目次

1. 人口減少と向き合う枠組み・その前提
2. 都市計画で試みられていること
3. 市街地から外すエリアへの対策
 

【各論】

1. 人口減少と向き合う枠組み・その前提

(1) 人口減少は自明な問題として扱ってよいのか
 人口減少自体が必ずしも問題ではない: 松谷明彦は「人口減少は本当に憂慮すべき問題なのだろうか、むしろ居住空間や余暇など質的に充実した社会を確立する好機である」と明るい未来を提示しようとしている。1人当たりの居住面積など、1人当たりの指標は、量/人口であるから、分母である人口が小さくなることは指標の改善につながりやすい。人口が減少して国総体としてはマイナス成長でも、1人当たりの豊かさは向上し続けることは可能である。

(2) グローバルな人口動態の文脈で人口減少はどう位置付けられるのか
 減少と増加の両極を抱えるグローバルな人口問題の一方の極である: 地球規模でみると、人口増加の勢いは止まらず、都市化が加速し、特に人口急増に起因する深刻な社会問題が抱える大都市が焦眉の問題となっている。日本が人口減少問題の深刻さを訴えても、グローバルな人口増加を吸収するスポンジとして期待されるだけである。

(3) 出生率が回復しても数十年間は人口減少局面が予想されているのはなぜか
 人口減少は数十年ほぼ確実に続く: 出生数は、出生可能な女性の数と出生率の積で決まる。出産可能な女性の数が数十年にわたって減り続けるために、仮に出生率が目標とする 2.07 に改善しても人口減少は続く。

(4)  緩和と適応という考え方
 ここで、人口減少対策として、人口の減少を食い止める<緩和策>と人口が減少しても困らないようにする<適応策>を分ける発想を導入してみる。<緩和策>に目を奪われがちだか、限界がある。<適応策>は絶対に必要なのに、取り組んでいない。木下斉は、「問題なのは人口減少そのものではなく、減少することがわかっているのにそれに対応しないこと」と述べている。
 

2. 都市計画で試みられていること

 略
 

3. 市街地から外すエリアへの対策

(a) 都市は、拡大するときはスプロール的である。饗庭伸は、縮小するときは、逆スプロール的にはならず、気泡が増えるようにスポンジ的だととらえている(図12-4

(b) しかし、わが国の都市計画分野では、人口減少プロセスで市街地が縮むように一回り小さくなる(都市がスプロール的に拡大するプロセスの逆回し)ことを大前提としている。日本で、都市のコンパクト化を試みているところもあるが、集約化にともなって居住しなくなる地域についての施策は副次的なものにとどまっている。施策の要であるのに、市街地から外すエリアの展望は示されていない

(c) デトロイト(アメリカ)は、「現状の土地利用では住宅地が58%を占めるのに対して、2050年では現状の戸建て住宅地密度を維持する部分を22%まで落とし、22%を緑地の多い低密度な宅地とし、29%を生産緑地や生態緑地に塗り分けられた」プラン(図12-2)を示している。都市農業を縮小都市の次世代産業として期待し、市街地から削られる部分の将来展望を、個々の場所に応じて具体的に示すことにより、多様な規模の多様なかたちの都市農業を誘発する
 

出典
岡部明子、「第12章 人口減少の適応策と緩和策」、宮本みち子・大江守之、「人口減少社会の構想」、放送大学教材(‘17)


2018年1月23日火曜日

(1127)  快適空間とヒューマンファクタ / 「ソーシャルシティ」(11) (放送大学)


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(K0268)  祈りは遺伝子を「活性化」する <心の健康・体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0268.html
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目標&ポイント

===== 引用はじめ
 快適な環境を評価するための環境因子の例を紹介し、ヒューマンファクタを考慮した快適空間の創出方法について紹介する。また、まちにおける快適空間評価について、物理環境情報、ヒューマンファクタ、社会的側面の観点から論じる。
===== 引用おわり
 

【目次 / 第11章 快適空間とヒューマンファクタ】

1. 快適な環境とは
2. 快適環境の個別適合
3. まち環境における快適性の評価
 


 快適さというのは極めて人間的なものであり、それを物理量に変換するのは難しいだろう。人によって個性が違うし、同じ人でもその時の状態によって評価が違うだろう。
 

 第一に、「快適な環境」について。快適性に影響すると言われている環境要因について、温熱と音とに焦点を当てて見ている。

 温熱環境においては、温熱感覚に注目している。温熱感覚は、皮膚の感覚受容による温度情報と、生体深部を含んだ体全体の温度感覚の高次レベルにおける統合により引き起こされる、「暑い」「暖かい」「涼しい」「寒い」といった感情を伴う主観的な感覚のことである。この人間の温熱感覚においてどのような環境が快適なのかを考える(添付 図11-2 参照)

 音環境においては、人にとって好ましく快適な音環境とは、必要な音を十分に知覚することができ、かつ不必要で不快な音が可能な限り除去された環境ということができるだろう。また、住環境下に好ましい音を加えることで快適な音環境を作り出すという方法で音環境の改善を目指す動きがあり、これは「快音化」と呼ばれる。
 

 第二に、「快適環境の個別適合」について。調査によれば、同じ環境に対して、快適さを示す人もいれば不快さを示す人もいる(添付 図11-3 参照)。ASHRAE(米国暖房冷凍空調学会)は、集団の構成員の80%以上の人が環境に満足できれば、その環境を快適と判断するとしている。


 第三に、「まち環境における快適性」。まち環境において利用者が快適と感じる空間は、空間の物理的要因、利用者の生理的要因、及び社会的要因を総合して創出される。
 

出典
川原靖弘、「第11章 快適空間とヒューマンファクタ」、川原靖弘・斎藤参郎、「ソーシャルシティ」、放送大学教材(‘17)