◆ 最新投稿情報 今回は、同じ内容
=====(K0214) 『生きていくあなたへ』(日野原重明) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/11/k0214.html
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『生きていくあなたへ』
タイトルを見るだけで壮絶だ。本当のタイトルが透けて見える。
『死にゆく私から
生きていくあなたへ』
インタビューは、体調悪化で多くの仕事をキャンセルした中、本人の強い意志で続けられた。
「死が恐ろしい」-。インタビューは日野原さんの衝撃的な答えから始まっている。
《そう遠くない未来に自分が死ぬという事実を、とても恐ろしいことだと感じています》
もしも「死は恐ろしくない」と書いてあったら、「さすがに日野原さんは素晴らしい!」と感動するが、それで終わってしまうだろう。「死が恐ろしい」と言われると、他人事ではない。
===== 書評からの 引用はじめ
「(死に近づいていることは)本人が一番意識していたでしょうからね。でも質問に義父は、ありのままに自分の弱さもさらけ出して答えた。あれだけ多くの人の死を看取り、(キリスト教の)信仰を持っている人なのに…誠実だと思う一方で辛いなって」===== 引用おわり
寄り添い続けた次男の妻、眞紀さん(70)の言葉
「死が恐ろしい」ならば、私でも言えるだろう。
でも、そこで終わらないのが、さすが、日野原さん。
===== 書評からの 引用はじめ
亡くなる10日ほど前になって知人にこう語ったという。《(死が)前は怖かった。一度、きれいなお花畑へ呼ばれたけど行かなかった。今はもう、その時に誰が手を携えてその世界へ連れて行ってくれるのか、その瞬間、どんなことが起こるのか、見るのがすごく楽しみなんだよ》
===== 引用おわり
どうしたら、こんなことを言いながら死んでいけるのだろうか。
本のタイトルの後半にヒントがあるのではないかと、私は思った。
『生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉』
「どうしても遺したかった言葉」。
心は、相手を思いやっている。「私」に向かっていない。「私の死に」向かっていない。
最期まで、自分のことは後だ。
もう一つ。
自分の頭の中にあるものは、死ぬと同時に消え去る。
しかし、それを書いたものにしておけば、死後もそれは遺る。
魂の言葉を吐き出すことにより、そこにある魂は生き続ける。
一部だとは思うが、このような側面もあったのではないか。
前々回、私は書いた。
(K0212) 私が死ぬときの意思決定 <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/11/k0212.html
私は、すぐ死ぬとは思わないまま書いている。それはそれで意味あることと思っている。
それにしても、自分の死を体でも頭でも感じながら、書いた文章は、すさまじい。
Facebookの方では、次回「愛の実践の人だった」として続きを書く予定。
以下のBlogでも、同じ内容を掲載予定。http://kagayaki56.blogspot.jp/
日野原重明、『生きていくあなたへ 105歳どうしても遺したかった言葉』(幻冬舎、2017/9/27)
書評(喜多由浩)。産経新聞(2017/11/02)
http://www.sankei.com/life/news/171016/lif1710160032-n1.html
幻冬舎
http://www.gentosha.co.jp/book/b11125.html
楽天ブックス
https://books.rakuten.co.jp/rb/15112610/?lsid=a_bk_aun_sp_book_3974846
Amazon
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8F%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%B8+105%E6%AD%B3+%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E3%82%82%E9%81%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89+