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2019年5月11日土曜日

(1600) 『平家物語』(2-2) / 100分de名著

 
◆ 最新投稿情報
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(K0741)  ワールドマスターズゲームズ2021関西 <体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/05/k0741-2021.html
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第2回  13日放送/ 15日再放送

  タイトル: 驕れる者久しからず
 
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【テキストの項目】

(1)  栄華の翳り、きっかけは些事
(2)  文章のリズムを味わう――橋合戦
(3)  頼朝、ついに挙兵
(4)  平家が闇の力を失う――富士川の合戦

(5)  無能な人をリーダーにしてはいけない
(6)  本当に優れた人は誰にもわからない
(7)  清盛の病――「すはしつる事を」
(8)  清盛、悪行がたたり「あつち死」
(9)  浄土教の教えから清盛の死を読み解く
 

【展開】

(1)  栄華の翳り、きっかけは些事
(2)  文章のリズムを味わう――橋合戦
(3)  頼朝、ついに挙兵
(4)  平家が闇の力を失う――富士川の合戦
 
 ここまでは、既に書きました。
 

(5)  無能な人をリーダーにしてはいけない

 富士川の合戦で戦わずして敗走した平家軍の大将軍は、維盛でした。しかし、更迭されることもなく、倶利伽羅峠の戦いでも大軍を率い、今度は兵のほとんどを失います。
 『平家物語』では、維盛と宗盛を無能なリーダーとして描いていますが、彼らを決して貶めてはいません。維盛はこんなに美しい人だった、宗盛は子どもを思う非常にいいパパとして褒めています。
 無能な人を上に置くとその組織はダメになると分かっているのに、私たちは、よくそんなダメな人を組織の上に置いてしまいます。それは、その人がいい人だからなのです。
 

(6)  本当に優れた人は誰にもわからない

 『平家物語』では、「ダメな人をトップにしてはいけない」という教訓が語られます。だからといって「いい人を上に行かせる」という「実力主義」がいいと推奨してはいません。「ダメ」は分かますが、「いい」に関しては難しい。
 いわゆる「優れている人」は、「理解可能な優れている人」なわけで、実はあまり優れていない可能性が高い。「こういう人がいい」と言った瞬間に、そこで視野や価値観が固定され、硬直化し、そのままいくとやがて組織の疲弊につながります。
 
(注)原文からなるべく忠実に書いています。(5)の「いい」は、実力はないけれど人間的にいいことを指し、(6)の「いい」は、実力のあることを指しています。
 

(7)  清盛の病――「すはしつる事を」

 木曽義仲が唐突に登場し、「俺と一緒に戦おうぜと」と廻文を方々に送るや、信濃、四国、九州の武士たちも平家に背いて源氏についてしまいました。清盛が源氏を攻めようと兵を出した、まさにそのとき清盛が病気になりました。
 「明くる廿八日より、重病をうけ給へりとて、京中、六波羅、『すはしつる事を』とぞささやきける」とあります。「すはしつる事を」には、大変なことになったという意味と、それ見たことかという意味の両方があるのではないでしょうか。
 

(8)  清盛、悪行がたたり「あつち死」

 筧の水を引いて身体に流しかけると、意志や鉄などの焼けたように、水がほとばしって、身体に寄りつかないという「焦熱地獄」で、二日後、清盛は「悶絶躃地して遂にあつち死(ジニ)」しました。悪行の過ぎた清盛の死は「あつち死」でした。身悶えして、飛び跳ねるように死ぬことを言います。
 

(9)  浄土教の教えから清盛の死を読み解く

 既成の仏教が衰え、新しい仏教としての専修念仏信仰が生まれてきました。『平家物語』は、まさにその時代の物語です。清盛ほどの悪行を犯し続けた人でも、死に臨んで「南無阿弥陀仏」と念仏を称えさえすれば往生できると言うのです。
 それなのに清盛は「頼朝の首が見たかった」という強烈な思いを残して逝ってしまいました。この遺言によって、彼が浄土に行けないことは決定的になりました。清盛以外の平家の武将たちはみな念仏を称えながら亡くなります。『平家物語』でそのような最期の姿を語ることが、亡くなっていった人に対する鎮魂になります。
 


<出典>
安田登(2019/5)、『平家物語』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)


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