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2018年11月1日木曜日

(1409)  (33) 正岡子規『病牀六尺』 / 「明治の50冊」

 
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(K0550)  個人Blog 10月下旬リスト <サイト紹介>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/11/k0550-blog.html
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1.   『病牀六尺』とは、どんな本か

1.1.  不治の病で床に伏し、激痛と闘いながらも森羅万象への好奇心を持ち続けた日々の記録
1.2.  亡くなる2日前まで計127回、新聞「日本」に連載された


2.   死期が迫った日々の送り方

2.1.  一人の近代人がどんな最期を迎えるのか、その実況中継
2.2.  達観したような言葉
2.3.  〈あきらめ〉の境地
2.4.  俯瞰(ふかん)してとらえる視点
 
 
3.   今日的意義 ~ 子規の文章は現代人に欠けている決定的な何かを訴えかけてくる
 


【展開】

1.   『病牀六尺』とは、どんな本か
 
1.1.  不治の病で床に伏し、激痛と闘いながらも森羅万象への好奇心を持ち続けた日々の記録
===== 引用はじめ
 〈病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである〉。6尺は約1・8メートル。その狭い床からほとんど動けない生活がもう何年も続く。
 不治の病で床に伏し、激痛と闘いながらも森羅万象への好奇心を持ち続けた日々の記録は、今も読み手の心を揺さぶる。
===== 引用おわり
 
1.2.  亡くなる2日前まで計127回、新聞「日本」に連載された
===== 引用はじめ
 俳句や短歌、文章の革新運動を進めた正岡子規は脊椎カリエスに侵され、34歳の若さで世を去った。その最晩年の随筆『病牀(びょうしょう)六尺』は、明治35(1902)年の5月5日から亡くなる2日前の9月17日まで計127回、新聞「日本」に連載された。
 厳しい病状から書き起こされる日記形式の随筆は、6月以降一日も休まず掲載された。
===== 引用おわり
 

2.   死期が迫った日々の送り方

2.1.  一人の近代人がどんな最期を迎えるのか、その実況中継
===== 引用はじめ
 目前に迫る死を意識した子規がやったこと、考えたことが新聞で日々発信される。意図せずして、一人の近代人がどんな最期を迎えるのか、その実況中継となった
===== 引用おわり
 
2.2.  達観したような言葉
===== 引用はじめ
 〈悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった〉〈死生の問題は大問題ではあるが、それは極(ごく)単純な事であるので、一旦あきらめてしまへば直に解決されてしまふ〉…。
===== 引用おわり
 
2.3.  〈あきらめ〉の境地
===== 引用はじめ
 連載には激励や質問の手紙も届いたようだ。〈あきらめ〉の境地についての読者の質問に答えながら、子規は〈病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない〉と力強くつづっている。
===== 引用おわり
 
2.4.  俯瞰(ふかん)してとらえる視点
===== 引用はじめ
 一貫しているのは、若くして死ぬ自分の境遇をただ嘆き悲しむのでなく、俯瞰(ふかん)してとらえる視点です。その客観性とユーモアが救いになっている
===== 引用おわり
 

3.   今日的意義 ~ 子規の文章は現代人に欠けている決定的な何か、を訴えかけてくる
===== 引用はじめ
 戦後70年余り、私たちは『欲望主義』の時代を生きてきた。でも確たる理想や目標もなく、個人の欲望だけで手にした今の幸福はむなしい自己満足にすぎないかもしれない。子規の文章は現代人に欠けている決定的な何か、を訴えかけてくるのです
===== 引用おわり
 


【プロフィル】正岡子規(まさおか・しき)
 慶応3(1867)年、現在の松山市に生まれる。本名・常規(つねのり)。東大国文科中退。日本新聞社へ入社し、新聞「日本」紙上で俳句の革新運動を展開。短歌革新や写生文の提唱にも力を注いだ。脊椎カリエスによる病床生活の末、明治35(1902)年に死去。著書に『歌よみに与ふる書』など。
 


<引用>
正岡子規『病牀六尺』 病を楽しみ国の未来思う
【明治の50冊】(33) 産経新聞(2018/10/22)
 
(33)正岡子規『病牀六尺』 病を楽しみ国の未来思う
https://www.sankei.com/life/news/181022/lif1810220011-n1.html

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